「先帝」とは、幼くして命を絶たれた安徳天皇である。
「上臈(じょうろう)」とは天皇にお仕えした女官たちで、かろうじて生きのびた彼女らは、壇ノ浦辺にとどまり、海藻を集め山野の花を採って、町や港に出入りする船人を相手にそれを売って生計を立て、生きるためとはいいながら遊女にまで落ちぶれるものも多かったという。
 彼女らは毎年三月二十四日の先帝の御命日に、ありし日の装束を身につけて、阿弥陀寺の御陵に詣でて香華を捧げた。この習わしが、今日に残る四月二十四日、春の先帝祭の「上臈参拝」といわれている。御裳川に先帝の衣が流れついたというが、このとき帝の御遺骸を収容したのがもと平家の武将中島四郎大夫といわれ、その子孫が代々先頭に立って参詣する。
 ちなみに、今日みられる上臈参拝の道中は、稚児(ちご)・警固(けいご)・禿(かむろ)を従えた官女と上蕩で、六人一組の五つ組、先頭の組から振袖太夫、二、三、四番太夫、傘留め太夫といい、髷(まげ)は島田・兵庫など、着物は繻子(しゆす)の打掛け、帯は大きく太鼓に結んで俗にいう花魁姿、黒塗りの高下駄で外八文字を踏んで道中を進み、先帝にちなむ水天門をくぐって、赤間神官・安徳天皇阿弥陀寺陵に参拝する。
 
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