大内氏25代の義弘は、将軍足利義満と戦って和泉国(大阪府)堺で敗死したが、義弘の子、持世はまだ幼少なので、留守をまもっていた義弘の弟、盛見が、大内家の名跡を継ぐことになった。
 
 盛見は、自分のあとは兄義弘の子持世につがせたいと考えたものの、盛見にも豊久丸という子があり、この豊久丸が成長したあと、もし持世との間に相統争いが生ずるようなことになってはとの配慮から、恩愛のきずなを断って、自分の子豊久丸を子どものうちに亡きものにし、大内家の安泰と領国の平和をはかろうと決心した。
 
 こうして機会を考えていたが、毎年行われる鰐石川(山口市) での螢見物の舟遊びにことよせて、これを決行しようと覚悟した。その夜、 一年一度の舟遊びとて、鰐石川には美しく着飾った家中の人たちを乗せた多数の舟が浮かび、人々は管絃の楽や酒盛りに心奪われていた。
 
 豊久九はこうした大人たちとは離れたところで、ひとり舟端で螢合戦にみとれていたが、いつかその姿は消えて見えなくなっていた。家中の人々が豊久丸のいないことに気づいたときは、もう夜も大分ふけていて、どうすることもできなかった。
 
 あくる日、鰐石川の本流構野川の下流である小郡の東津という所で、豊久丸のあどけない姿の水死体を見つけたのは、権野川一帯を探し回っていた大内家の家臣によってであった。さすがの盛見も哀れと思い、そこに五輪の石塔を建てて豊久九を葬り、菩提をとむらうため一寺を建立したという。今の小郡町東津にある妙湛寺がそれで、豊久丸の位牌や五輪の塔も残っている。
 
空き地に車を停めてお寺への参道を上がります。
たくさんのモミジがあるので紅葉したらきれいでしょう。
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山門をくぐります。
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境内はモミジにおおわれて、とってもいい雰囲気です。
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本堂を正面にみて左に進むと説明板があります。
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中央に五輪塔があります。
お家の存続のために我が子でも手にかける、これが武士なんですね。かわいそうな話です。
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(2011.10.28 撮影)