下関市長府の忌宮神社で十二月七日夜から十五日朝まで行われるお忌祭は俗に「お忌さん」ともいわれ、その起源についてはいろいろのいい伝えがある。
 
神功皇后が仲哀天皇崩御のあと、斎宮(いつきのみや)を建て、斎主となって七日七夜の間、斎戒沐浴天神地祗を祀られ、三韓討つべきかどうかの御神託を乞われたが、その結果討つべしとの神告があり、勇躍征途につかれたという、この七日七夜の故事にゆかりをもつとか。神功皇后三韓征伐にあたり、斎宮にこもって七日七夜戦勝を祈願されたによるもの。神功皇后が仲哀天皇崩御の喪に服するにあたって、灯火を消して謹慎の意を表されたによるもの。また、神功皇后三韓征伐から凱旋ののち、日ならずして応神天皇の御降誕があり、このとき七日七夜の間、斎宮にこもられたことによるものなどである。そのいずれにせよ、七日七夜斎宮に入られた神功皇后ゆかりの故事を伝える点では一致している。
 
七日夕刻から神域全体は注連縄を張りめぐらされて諸人の参入を一切封じ、神官は神殿の奥深くこもって口伝の秘法による祭儀が執り行われるもので、町家でも静かに暮らして祭儀の終わるのを待つというふうである。
 
このような看板が立てられています。
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進入禁止。注連縄があります。
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正面にも注連縄があります。
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門も閉じられています。
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参拝できませんが、御守(500円)を購入できます。
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ズームしましょう。境内に神官がおられます。
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(2011.12.12 撮影)