夏もそろそろ終わりの兆しが見え始めてきた。

夏の風物として海で行われるスイカ割りがある。


目隠しをされ、棒をもった者を、言葉で誘導して、スイカを叩き割る。


この遊びでの言動と、レッスン等での指導で起こる先生と生徒の関係を対比すると、興味深い現象が起こることに気が付く。


誘導者(先生)はスイカ(指導の目標・到達点)が見えているので、目隠しされた人(生徒)をスイカに向けて誘導する。


もし、最初に「右」と言われれば迷わず右に動き出す。


さて、このときスイカを通り過ぎてしまったら、誘導者は何と言うか?


「左!」


である。


スイカ割りでは素直に左にいくだろう。


ところかが、レッスンで指導を受けている場合は少し違う反応となる。

「前は右と言っていたのに、今は左と言われた。なんで前回と逆のことを言われるんだ?」

と生徒は思うのである。

これによって、生徒が先生への信頼性を疑うことすらある。


☆先生からの指導にしたがって練習した後、逆方向あるいは全く別角度の指示を受けた場合、「指導された事柄をやり過ぎている」と解釈する。


先生の気が変わった訳ではない。自身が見えていない点を見えているように錯覚しないことが大事である。スイカ割りのごとく、逆方向を指示されても素直に従うことが、指導者の真意に近づくことであることが解るだろう。


また、指導者側も単に方向を指示するのではなく。


「行き過ぎたから左」


と、実践された表現が過多であったり、方向が微妙にズレたことを、補足説明することによって、意思の軋轢を回避することが出来ることもわかる。


スイカは大きいときも小さいときも、何個もあるときもあるかもしれない。また砂浜の広さもいろいろあるだろう。


できれば用心し過ぎて


「もっと前、もっと前」


と同じ言葉を繰り返されるよりは、


「右、左、ちょい斜め後ろ」


といろいろ言われるくらい大胆に動きたい。そのほうが、スイカに当たる時間は短縮できるだろう。