第3楽章は、病に侵される以前の血気盛んな頃(幼少期?)を回顧するような躍動感あるスケルツォと故郷の情景を描くトリオから成る。


冒頭がハ長調で、弦楽器のユニゾンから始まり、木管に受け継がれる様は、シューベルトのグレート交響曲に似ている。ちょっとした遠隔調への転調もシューベルトのようでもある。カリンニコフは関連する資料に当たったことがあるのかもしれない。


♪冒頭のユニゾンのテーマは5度を埋める下降音階の装飾音で始まるが、第1楽章のテーマにある5度を埋める音階上昇に源を求めるのは穿った見方かもしれない。その後も4度の中を2度と3度に分けながら進み、4小節目ではその動きがリズムの特徴をもって現れる。

そのあと、木管に現れる揺れ動きながら上昇する旋律線は第1楽章にも見られた。

いずれにしても様々なフレーズがパッチワーク状に張り付けてある印象である。動きが予想出来ない幼な児のようでもある。

途中で半音階を使った妖しいフレーズが現れる。幼児期にも予兆はあったのであろうか。

しかし無邪気な明るさでスケルツォ部を閉じて、中間部、2拍子のトリオが始まる。


♪オーボエの民謡風の旋律はスケルツォ冒頭テーマの2小節目に起因して、第1楽章の3音動機を使っている。広大な原野とうら寂しい農村の風景が連想される。

その中から突如として、クラリネットに陽気ではあるが粗野な舞曲が現れる。私はストラヴィンスキーのペトルーシュカの1場面を連想した。

村祭りが去るとまた寂しい風景、しかしそこにある美しさと郷愁を感じることができる。

♪スケルツォの再現はしばらくは正確に行われる。

多様なフレーズを一通り再現すると、音楽は別方向へ軌道を変える。ヘ長調でテーマを再現し、半音階フレーズを経過して、ハ短調に至る。

スケルツォが初めて寂しい表情を見せる部分となり、トリオの民謡も一瞬姿を見せる。

再び半音階の上昇は見られるが、圧倒的に活気のあるフレーズにより遮られ、冒頭テーマの大合奏を経て、力強く終わる。