第2楽章は、信仰への疑念と不安、神なるものと自己との対比が描かれているように見える。


♪冒頭の静謐な空間描写は、ロシアの冷たい平原を連想できるが、より広大な宇宙空間をも想像できる。

第1楽章の下属調の平行調である変ホ長調は、以前調性格論でも述べたように、英雄や海のイメージとつながるが、広大で計り知るものが出来ないものを表現する調かも知れない。変ホ長調で宇宙を表現する平凡な例ではホルストの「惑星」の木星、極端な例ではハイドンのマーキュリー交響曲があるだろう。

宇宙に想いを馳せるとき、そこに自然の脅威や神の存在を感じるだろう。そういった自己を越えた神的存在に向き合うカリンニコフの姿が見える。

ヴィオラとイングリッシュホルンの旋律は、音階下降を装飾したもので、完全5度の進行を持つ。穿った見方だが、完全5度は神を表す(音程比が2:3であり三位一体の概念と関連づけられていた)。
『神の降臨』のイメージは第4楽章での再現における文脈においても意味を持つと思う。


♪これに対してオーボエが嘆きの歌を歌う。最初の音形は第1楽章の主題と関連している。病に侵された身を神に訴える。

すぐさまヴァイオリンが高みから神の言葉で応える。ハープは冒頭の音形を弾いており、この旋律が神の言葉であることを示唆している。

再び短いオーボエの嘆き、そしてその感情は高まり、激しく、苦しみを訴える。



♪泣き崩れるように激情が鎮まると、ホルンが神の降臨、クラリネットが神の言葉を同時に奏する。神の慈悲を感じる美しい場面。

しかし、病という神が与えた試練はやはり理解しがたいものである。そのやるせない想いを神にぶつける様が、神のテーマと嘆きの歌が重なり、イ長調主和音(神)と嬰ト短調属和音(自己)が拮抗する特異な音楽で表現される。


♪最後は、最初と同じ宇宙の調べが戻ってくる。

人生は、自然の営みの悠久なる様に比べれば及ぶべくもない。

神の御業に全てを任せるしかないのだろうか?

という哲学を感じさせながら、曲はあっさりと閉じる。自然が無言であるように。


無為自然