習志野シティフィルの定期演奏会まであとひと月となった。


今回はカリンニコフの交響曲第1番をメインにとりあげ、その様相を聴衆に汲み取り易くするような楽曲を前半に演奏する。


私自身、この曲は馴染みがなかったので、いろいろ勉強して、練習を重ねながらイメージを膨らませていった。


そのなかで私が感じたのは、叙情豊かな楽想が次々と現れていく個性的な様式感である。


交響曲の伝統的な様式からわずかに外れながら、様々な調に飛躍して感情の振幅を大きくとろうとしている。


結果としては様式を俯瞰することがいくぶん難しくなっている。

こういった側面では、マーラーの交響曲に近い印象もある。演奏する側としては場面に応じた表現の切替が必要であるだろう。


そこで問題となるのは、表情を表す情報が譜面上に少ないことである。テンポ表記は各セクション冒頭にあるのみで、楽想の変化する場面においては何も書かれていない。


おそらくカリンニコフは古典的な楽譜表記に留め、楽想に応じた表現を演奏側に委ねたのではないかと考える、ブラームスやそれ以前の作家に見られるように。


今回の我々の演奏では、楽想に的したテンポや表情を模索しながら、それを適宜配分することで、各楽想を際立つようにする。絵巻物ではなく、ページをめくるように音楽を読み進めてもらう狙いだ。


場面転換のスパンが不規則であることも、この曲の特徴であろう。フレーズの長さがまちまちである場面では、新しいフレーズが来たときの心理的ショックが効果的に得られる。これも譜面上でなく、譜面の下に隠されているが、それはしっかりと読みとることができる。


全体像としては多様な情感を盛り込み、それらが混ざり合う、壮大な世界観を表現しようとしたと見ることができるだろう。


演奏会までに各楽章に関しても感想と演奏コンセプトを述べていきたい。