まず。






・学校は絶対では無い。

・正義でも無い。

・運が悪ければ最悪の幼少青年期を迎えるもの。




これが頭に無い方々が多いこと。





はっきり書きます。





あなたが学校で楽しいことや結果を出してきたこと。


それはたまたまあなたが悪さをする輩の標的に狙われずに過ごせた学校生活をおくれただけの事です。



???「それも実力のうちだ!」




これで論破したつもりにする人もいるかもと思いますが、そればかりでまかり通るほど大人になれば通用しなくなる。



そういう輩を受け入れていた企業もこのコロナ禍で疲弊し、"実力のうちだ!"と心の中で常に敗者にならず椅子取りゲームで勝ってきた勝つ方程式も崩れている、または一回スクラップアンドスクラップ、全てをぶち壊す時期に入ってきたのかもしれません。




私は不登校の時期が短期間に高校時代に一度ありました。



とあるグループからのイジリとは言えないような行い。



そればかりで我慢はしてきましたが、度を超えたイジリに流石に耐え切れず、涙腺が崩壊がし、そこで何もかも誰の意見も耳に入らず、そのままブラックアウト。




やっとまともに人の意見、自分を俯瞰できたのも数日後。



そこで今高校に通うのは嫌だ!、と思い、親に内緒で学校に行くふりをして近場な海まで平日は自転車で漕いで行っていました。



よく掲示板のコピペ文みたいな、全てが嫌になったらとりあえず海に行く、をそのままやって不登校を繰り返しました。



もちろん内申点も最低点。



まあ理由も言わずに海で1人黄昏てサボりですから、自業自得だとは思います。








これ、コロナ禍の今だと学生たちはどうでしょうか?できるでしょうか?



野外だからとか関係無くコロナは変異ウイルスやらでただでさえ大変だし、何か遠くにさえも行けない世間の実態になっております。




コロナ禍で学生の自殺も上がっているニュースも耳にしたし。


今なら、


???「うわぁ〜コロナ〇〇型だっ!逃げろ〜」とかシャレにもならんイジリが横行してそうですね。。。【〇〇はいじめを受けてる人の名前でひさ」




学校では教師の匙加減でイジメとイジリの境界線を図るのが大体だと思いますが、モラルが崩壊した学級崩壊を耐えられないイジリと同時に体験したものとしては、ここではっきり書きます。





学校で学ぶことは今インターネットや本で情報を得られる、知識もね。



私は高校のときは普段本読まないので数は少ないですが歴史人物の本を何個か読破、伊達政宗が個人的には好きでした。



運動はどうするか?



河川敷のサッカーグラウンドで高校3年間ドリブル、ボールをゴルフのように狙ったとこに遠く蹴る練習ばかりやってました。


あとは4キロほどジョギング。


サッカーできないなら軽いジョギングでもいいです。



工夫次第で学ぶこと、運動することは学校が必ずという訳では無い。



むしろ、アイディアを常に考える頭がある人にとっては足枷になるかも。



だから考えることのしない思考停止した人間からしたら学校生活は最高なのかもね、と一応、学校に対してもフォローしておきます。





ただ色々考える知識は人に言われたままに行動していては何も浮かんできません。


才能がある無いとかも関係はありません。



いかにモチベーションを維持し、そのことに探求していくか。


まずはやる気を出すことから、それが学校行く、行かないの判断のきっかけでもいいです。



惰性のまま学校生活しても何も考えない思考停止ロボットになりたいのか。



私は考える力がある、人の嫌がることはしない、礼儀作法を知ってる、そんな大人になりたいなら何でも学校で身につく事はない、書いて今回は締めくくさせていただきます。



長文ですが最後まで読んでくれた方ありがとうございます。