Ephemera

Ephemera

朱のきままな生活日記。
2014年12月29日にしこりを発見してから、手術、転移。
そして癌と共に生きる記録を自分用にチマチマ書き連ねてみようと思います。
基本1記事が長いですw

Amebaでブログを始めよう!
色々お返事レス出来てなくてごめんなさい!
またゆっくりお返しします。

もう日付変わっちゃったけど、今日は先生から、抗がん剤を辞めることを提案されました。

この1週間、先週の話を色々考えて、私もそれは選択肢として今日先生に相談してみようと思ってた所に、先生の方から話が出て。
同じ考えでそこへ行きついた事だったので、素直に了承の返事が出来ました。


等々緩和ケアへの段階に来てしまった。

今後どう生きて行きたいか。

私の意思を聞いてくださり、在宅診療、通い。
色々提案をうけ、来週緩和ケア面談に行きます。

終末期の過ごし方。
救急車の本来の役割。
そこで延命を望まないなら救急車は拒否出来ること。
知らなかった事いっぱいです。


可能な限り自力で動ける内は例えそれが部屋から出れなくとも、自宅療養を希望しました。

在宅診療か通院か。

緩和ケアには家まで診療に来てくれるモノがあるそうです。
今すぐバテでしまう私はそれを希望したい。
けれど、40歳からでないと減額の医療制度が使用出来ないという、医療制度の落ち度。

35歳という年齢を改めて先生が見られて・・・在宅診療の高額さを懸念されました。

私は、やはりとても若くして終末期に入る事になるんだな。
若年性乳がんか。

「辛いことを言う様だけど、残念ながら数年という単位では生きられない。
これからは月単位での行動、約束事になると思う。」


来年気に入ってた夏のお洋服はもしかして着れないのかしら?
もっとあのワンピースも着ておけば良かったな。


辛いこと、と先生は言ったけど。
不思議と肝臓転移した時よりも、何となく解っていたのか落ち着いて聞いていられて、緩和ケア病棟について色々聴けた。

自力で歩けなくなった時、自宅介護にするか。
祖母が調子悪く母親1人で2人の介護は無理。
実家は階段が昇降出来そうにない。
父親とはこの後に及んで向こうが逃げる。


人に迷惑掛けること、父親とのストレス。
色々考えて、自宅介護は家族の迷惑になるので、その時は早いけど緩和ケアへの入院を希望した。


後はいざとなった時の蘇生措置。
それはもう随分前からiPhoneのメディカルIDに拒否する旨を記載してる。


「会いたい人、やりたい事、食べたいモノ、全部やりなさい。」
先生は言った。

困ったなw
去年やりたい事全部やっちゃったw

会いたい人も不思議と春から急にそんな機会が増えて大概会えちゃったw


全部全部あの時から神様は見越していらしたのかもしれない。


緩和ケア病棟
どこにしようか悩んでます。

今の山奥の病院?
地元の駅近の新しく出来る病院?

今度は治療じゃなく、ケア。
極力友達が来てくれやすい場所のがいいのかな?

さぁ、これからいつどうなっても言いように今度は選ばずに荷物を片付けておこう。