昨日、職場におき人生初の面接官という立場で人を見させていただく
機会がございました。今回、臨時のアルバイトと言うことで雇う事となり、僕自身内心、
どんな人が来られるのかを楽しみにしており、10名ほどを個人個人にお話をお伺いする
場を設けて臨ませていただきました。
100名いれば100通りの人間模様があると聞きますが、まさにその通り、10名ほど
でも、様々な人がいらっしゃいました。学生・主婦・求職者等年代も性別も様々。
ここで、一つ、なぜこういう事を記事に記す事にしたかというと、その中に僕自身
とても印象に残った事があったからです。個人のプライバシーの為詳細は控えますが
そのお方は、身体に健常者とちがい、おおきくデメリットを抱えておりました。
はっきり申せば、身障者ですね。通常なら他と一緒のように働けるものではないと
思います。しかし、そのお方はそれを苦にせず、むしろそれゆえ企業に迷惑をかけるが
という配慮させ見せてくれました。その上で、家族を守る為、失った自分を取り戻す為
自分でできる事を社会に役立つ自分である為にどんな事もやってのける。という強い
信念を僕から視線を逸らさず真っ直ぐに見つめたまま熱烈に語ってくれました。年代も
この僕よりも20以上も上の人生の大先輩とも言えるお方がこの僕に己を託すように
話してくれた。胸を熱く打たれました。久々に「この人はすごい!」と思えるお方に
出会えたようでした。
現、日本社会において、就職する事はとても厳しいとも世間では言われています。
ただ、一言言わせて頂きます。僕からすれば厳しいのではないと思います。
人間事態がその個人個人が現状に甘え、受け入れてないだけなのだと。
働くとは、はたを楽にする事=己の為にではなく、己の能力、資質、心そのもので
周りを楽にしてあげられる働きを社会の貢献のためにどれだけ尽くせるか?
その気構えの本質が大事であり、そこから強い信念が生まれる。と考えます。
今、それがとても重要だと考えます。能力や才あったらいいだろう?自分は
自分なんだよ。という考えも悪くはないです。ですが、僕から言わせれば、他と
一線を引いた甘えの心を自らさらけ出してるようにしか聞こえません。
ある著書にこういう事がかかれてありました。
ニートや定職にすらつかない者の大半は「やりたいことがみつからない」
ではないのです。その本質は「働く自分に対する自信の欠如」と言うことです。
自立心を持たず、かといって言うべき事は言うただの甘えた存在だと。
いうのがありました。
僕もそれは同感もします。今回の面接で少なくともそれに似た社会への不満を
ぶつけるような人も何人もいました。
はっきり言いましょう。僕はそういう心の持ち主と一緒に働きはできない。と
きついようですが、多分この考えは僕だけではないはずです。
自身を受け入れ、その上でどう役立つ自分でありたいかどう社会に貢献したいか。
その信念を忘れずにいたいものです。
世の中には働きたくても働けない人も数多くいます。五体満足に過ごす者が
社会に甘えた事では、その人たちに申し訳ないですよね。その働く事の本質
を今一度見つめ直す事が今必要なのだとも考えます。
僕から最後に一言。僕がいうべきではないのでしょうがあえて言わせて頂くならば
いい大人が、ニートとか、仕事みつからないといいながらも、ゲームだけはしてる
現状です。自分の趣味や好きな事だけはする。
「そんな暇あったら、もっと社会を見、社会に身を投じよ!」
きついようですが、事実です。誰もがいうでしょう。。。
社会で己を磨けるものですよ^^案外、社会もすてたものではありません。
今回、面接をした上で、改めてその本質を考えさせられ、あえてここに記事に
記す次第です。自分の未来は自分で開くために、今一度社会の中の自分を見つめる
いい機会だと思います。
ではでは^^
