自分のなかにある



~すべき



~ねばならない



~あるべき



そんな思考で自分も他人も苦しめている



こんな単純なことに私はずっと気づかずにいました



それを教えてくれたのは認知行動療法


無意識を意識化する方法のひとつです



例えば会社の同僚から



「お前は本当にできないやつだな」


と言われたとします。


自分の中に



「ああ、私は本当にダメなやつだ、できそこないだ。ちゃんとすべきだったのに」



という思考が浮かぶと



感情は 焦り 悲しみ むなしさ などが浮かび


身体は頭が真っ白になり、汗が出て


行動がにぶくなり、ますます失敗をする


という自分


に、気づく


考え方の癖 べき思考



他人からは批判されるべきではない、失敗すべきではない



が、ある、かもしれません。


失敗はそんなにいけないことか。


失敗で新しいことを学ぶことは多く


他人から批判されてはいけないのでしょうか。



批判されない人間はいない、批判されずに生きるのは無理




同僚には批判する権利もあるけれど



自分にもその批判を受け入れない権利もある


そして鏡のように映し出す共通点



失敗すべきではない




相手の思考は変えられないけど、自分の思考は変えられる



本当に自分はできそこないか



例外はないか、できる自分を忘れてないか


できない自分で得した事はないか


できないと思うことで損することはどんなことか


できないおかげで、同じできない人の気持ちをわかってあげられる


ダメなできそこない→完璧じゃないから成長の可能性がある、とリフレーミング


リフレーミングとは別の表現に変えてみることです


等々、問いかけていきながら考え方の幅を広げていきます。



これしかない、その思考が人を辛くしているような気がします。



「私、悩んでます。」



そう、昔の私は、この感覚にたくさん、とらわれていました。



最近、悩み=とらわれ



なのではないか、と、感じています。



そのとらわれに気づき、手放せるものは手放し



手放せないものは、うまく共存していく



そのために「諦め力」を少し使ってみます。




しがみついている思い



まあ、これを手放したり、諦めるのがなかなか難しいんですが・・・・。


だからこそ、悩む



アメーバのように粘着して、しがみついているのもある


でも、この粘着も



ああ、あるな、仕方ないなあ~と許し、あきらめる



それに慣れてくると



ああ、私はどれだけ多くのことにとらわれていたのだろう



と気づき



いらないものを捨てていけば、隙間が生まれる




自分を許し受け入れる気持ちが生まれてくる



ああ、私は生きるために一生懸命悩んできたんだな



と気づく



とらわれを責める必要はなく



優しい気持ちで気づいてあげてください

お久しぶりです。



相談の仕事を始めて気づくことが多々あります。




悩む方々は、本当にすばらしい感性を持っておられる。




一生懸命に生きたいと思うからこそ、悩む。





たまたま、「普通」に、ついていけなかっただけ。




でも、「普通」ではなかったからこそ、見れる世界もあるのではないか、と思います。




生きていけば、様々な困難に出会いますね。




絶対絶命、と思っても、こうして生きてきている。




悩みは悪か。




いえいえ、逆ですね。




宝物の宝庫と言えるのではないでしょうか。




悩みが多い方ほど、成長欲求が強い。




理想と現実の間でさまよう。




でも、悩むことを続ける限り、その先には人間としての成長がある。



いいじゃないですか。




死ぬまでに




ああ、これでよかったのかな、と一つでも気づければ




それは、幸せな人生なのかもしれません。


苦しみ悲しみ、さ迷う心の行き場がない。

行き場を探せば探すほど、益々、行き場を失う。

ジタバタした後に、もう何もしたくなる。

それでいい、何もしなくていいと決めるのもひとつの方法なのかもしれません。

慈悲の心は自分と他人の境をつけない事とか。私が私がと思えば思うほど、苦しみが増すのだそうです。

仏教は奥深いですね。

なかなか慈悲の心は持てなくても、何か、大きな見えない力で守られている、そう信じる事で、さ迷う心が静かに、そこにいていいんだよ、、と感じてあげられるのかもしれません。

頭で考えて解決できるのは限度があり、奥深い場所に眠っているさ迷う心は、慈しみ愛してもらう事を待っています。

「それでいいんだよ」