羽田屋 石川蟹蔵でございます、御贔屓 御引立ての程何卒宜しくお願い申し上げ奉りまする
豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。
とよあしはらちいほあきのみずほのくには、これあがうみのこのきみたるべきくになり
宜しく爾皇孫就きて治らせ。行矣、宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし。
よろしくいましすめみまゆきてしらせ。さきくませ、あまつひつぎのさかえまさむこと、
まさにあめつちときわまりなかるべし。 ー天照大神ー
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと衣塑子は
平成三十年 九月十六日能登町柳田 白山神社例祭(宵祭)一体、何年振りのキリコ祭りのブログなのかさえ分からない当ブログですが、先日行われました「柳田大祭」の模様を少しだけお伝えしようと思います。もうこのブログは休止したと思われており、キリコ祭りを取り上げたブログやインスタ等も数多くありますから、ほとんど需要も無いとは思いますが記録として残しておきます。16日早朝6時過ぎ、白山神社に「野田若連中」の大ギリコが運びこまれます。柳田に来るのは2年ぶりでしょうか・・・。大きさを実感して頂けるでしょうか?確かこのキリコで七間(約13m)弱くらいだったと思います・・・。私もつい手伝ってしまっております・・・。ちなみに此処は私の母のお里で、叔父さんが住んで居りまして今年は、野田の祭礼委員だそうです。神社に着くなりバッタリと出くわしたもので叔父さんもビックリしておりました。本当は、このキリコを起こす所が撮りたくて朝早くに行ったのですが、結局起こすのを手伝っている為その場面は撮れませんでした。皆さん手慣れたものでこれだけのキリコを機械に頼らず人力で組み上げて行くのはさすがだと思います。と、ここまで来たところで容量オーバーでアップ出来ないので次回に続きます。
皆様、大変長らくご無沙汰を致しております。初代 石川蟹蔵に御座います。台風の影響は有りませんでしたか?もう、閉鎖された如きこのブログではございますが、少しだけ。<script type="application/javascript" src="https://embed.nicovideo.jp/watch/sm15460203/script?w=320&h=180"></script><noscript><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm15460203">松田聖子/ENDLESS LOVE</a></noscript>
柳田大祭
皆様、大変長らくご無沙汰を致しております、初代 石川蟹蔵に御座りまする・・・。もうどれ位更新してないのか?、もう辞めたんだろ?と思われていると思いますが。もう歳の暮れも近くなってしまい、今更キリコ祭りの話題でも無いなあ、と云う訳でもないのですが、今日の朝刊にちょっと気になる記事があったので。「戦後の変化にこだわり」 ・・・海部俊樹元首相一部抜粋(表現も原文ママ)1990年11月、現行憲法下で初めて(即位の礼が)執り行われた。「宮内庁長官は、皇族と同じ衣冠束帯を切る様に強く求めたが、えんび服で参加した。日本は戦後、主権在民国家に生まれ変わっており、儀式も分りやすい変化を伴うべきだと思った」「三笠宮さまが『旦那を説得して欲しい』と私の妻を呼び出したこともあったが、我を張ろうと決めた」ー他にこだわったことは。「天皇、皇后両陛下より一段低い中庭の玉砂利の上で待ち、呼ばれたら殿上に上がっていいと言う。世界中の代表が集まっているところで、そんなばかなことができるかと思い、はじめから殿上にいることにこだわった。昭和天皇の即位の礼に倣おうとしていた宮内庁は『初めてだ』と抵抗した」(中略)ー皇太子さまが天皇に即位すれば、再び儀式を行う。「首相が読み上げる寿詞(よごと)を『祝辞』と言った方が分りやすい。国民との距離を縮めるべきだ。新しい時代にふさわしい儀式をみんなで考えればいい」以上・・・というものですが、はじめに感じたのは「お前何様のつもりや?(怒)」という事でした。正直な所、今の宮内庁を私はあまり良くは感じてはおりませんが、この時の海部のオッサンのこの物言いはなんや!戦後、主権在民国家に生まれ変わっており・・・はあ?何言ってんの?そんな事関係ないやん、国際法違反の押しつけ憲法がどの面さげて物言うとんねん!しかも皇室の儀式に自分の「我」を通した、とか場違いも大概にしいや。こんな事を、恥ずかしげも無くぬかす辺りは、今の野党やマスコミと全く同じ。世界中の代表が集まっているところで「臣下の礼」をとるのが馬鹿らしい?内閣総理大臣様が天皇より上だと言いたい訳?読んでいて腹たってしゃあないのですが、本当フザケたオッサンやわ。元首相にこういう物言いする私も同類かも知れませんが、ちょっと許せませんでした。突然の更新でいきなりこんな話題で申し訳ないですが、(というかこのブログほとんど誰も見とらんし・・・)まあ、独り言です、はい。
皆様、明けましておめでとう御座います。長らく更新も致しませんで誠に申し訳無く思っております・・・また時期を見まして昨年の事を少しだけ触れる予定でございます。唐突で恐縮ですが(本当に)、ふと見つけたこの動画・・・昭和は遠くになりにけり、ですがこの世界観!私、テレビを全く観ませんのですがやはり「紅白」は気になってしまいます、八代さんも出てらしたんですよね?しかし恐ろしい位の現代音楽界とのギャップ・・・こういうのをじっくりと聴きたいものです、大人な世界です。
いつもご覧頂き有難う御座います。八月十七日、十八日 曽々木大祭 無事終了致しました。今年は大ギリコの復活こそ叶いませんでしたが、子供キリコをはじめ久し振りに五本のキリコが揃いまして賑々しく宵祭りの渡御が出来ました事、ひとえに皆様のお蔭で御座いまして、この場を借りて厚く御礼を申上げます。平成二十八年八月十九日 初代 石川蟹蔵
しつこくてすみません。
最近は日が長くなって来ましたね、もう18時半を過ぎましたがまだ日が暮れていません。3月26日午後6時30分頃撮影↓この間から作成していたキリコの浮き字が2日前に完成しました。ちょっと『松』の字が傾いてますが・・・さあ、次は背面に飾る「上がり藤」の紋と「若連中」という字を作れば一通り出来上がり、となりますがこれは4月中には仕上げたいと思います。まだまだ若連中のキリコも補修の必要な所が沢山ありますが果たして、今年は大ギリコと中型のキリコとどちらを出すのか?実はこのブログには曽々木若連中の大ギリコの画像が無いんですよね、私がブログ再開した時はもう大ギリコを担がなくなっていました。それで、昔撮った写真があるはずなので探したんですが、どうも処分してしまった様で・・・何で貴重な写真を?と思うのですがどこを探しても見つかりません。で、唯一あったのが下の写真、これは子供キリコと並んで立ててありますがもう20年近く前じゃないかと思います。薄暗くて分りにくいですが「窓岩」の横に立てていた頃です子供のキリコが小さく見えますね・・・これで5間半(約10m)ですが、この何年か後にキリコを片付ける時に誤って倒してしまい、屋根の下の4本柱が折れて1尺位柱を切りました。ですから動画にあるキリコは柱が短くなった後の姿です。この年も天気が悪くて早々に中止が決まった年でした。私も金沢の勤め先から休み貰って帰って来たのに、祭りが出来なくてもの凄く悔しかったのを今でも覚えています。余談ですが昨日の新聞に珠洲の方が「キリコ図鑑」を作成する、という話がありました!私がこのブログで誰かやらないかな?と言っていたのが実現するそうです。能登のキリコ全基(七尾辺りは載せない)を記録するそうで、それはそれは根気のいる作業だと思いますが是非とも成し遂げて頂きたいものです、もう時間がありません今の祭礼の形が維持されるのは無理な所が大変増えています。すでに失われた所も沢山あって正直、手遅れなんですが何とか今現在続いている能登のキリコ祭りの貴重な資料となる事でしょう。
今日は気温は低いものの、春らしいお天気となりました。中能登では羽咋(はくい)の気多大社(けたたいしゃ)のおいで祭り(平国祭)が行われており能登路にも本格的な春の訪れを告げています。さて、昨日はこの若連中のナカフトの『浮き字』と呼ばれるものを修理する為に↓にあるデコパネという発泡パネルを買ってきました・・・実はこの大きさの物が輪島では売っておらず、わざわざ志賀町という所まで買いに行って来ました。(600×900mm)しかし、このパネルでも大きさが足りませんでした・・・この「聴」という字は「聴松籟」という字の一番上なんですがキリコの一番上の字はバランスとして他の字よりも一回り大きくするのが普通になっています。縦にしても横にしてもはみ出します・・・確かに下の画像でも和紙を張り合わせてあるのがお分かりだと思います、やはりこの大きさの紙が無いからという事ですね。↓裏面を見ますとただ紙を重ねてくっつけたのではなく裏を張り合わせてあるのが分ります。それから下の様に一部で破れ等があり、形が崩れてしまっています。雨で濡れたせいです。どうしようか迷ったのですが、パネルをとりあえず1枚だけ買って来ただけでしたので仕方無く、他の字は収まりますのでこの「籟」という字を切り抜きました。裏面はこの様にして字が浮き上がる様にします、これ、5mm厚の発泡なので曲線が描けず曲げるのに苦労します、正直キレイに仕上げたとは言えませんが。取りあえず、一字の完成です。
平成二十七年九月五日(土)石川県輪島市町野町広江 八幡神社祭礼(宵祭り)もう記憶が飛んでいて、どう解説しようかと悩みますがとりあえず画像を載せてみたいと思います。↓はこの年の若連中キリコの「宿」となった所です、これから神社へ向かいます。 これは神社下に立てられた広江若連中の大キリコと、これから神社へ向かおうとする同じく広江若連中のキリコ二年前?まではこの大キリコが担いで出されていたのですが、やはり人数が集まらないという事で隣の小さな(三間半弱?)ものを出す様になった訳ですがこうやって見ると随分と違うものですね! 二基が並んだ所で撮影タイム!となりまして、みんな一斉にカメラを構えて撮影会です・・・。神社への急な坂道を上がり境内に揃った四本のキリコ、子供連中、若連中と町内から二本のキリコが出されました多い時は六本の時もありましたがこの年は四本です。 町野でもこの頃は灯りを電球に替えた所が増えて来ましたが子供や若連中は蝋燭です。神事が済むと御神輿のお出ましですが、この年は神輿を台車に載せるのにもの凄く手間取りました・・・。私の地元の本祭りの時もそうでした。 そして御神輿を挟んで仮宮へ向かう渡御の列ですがこの時はどのキリコからも太鼓の音が聞こえずシーンとしていまして、私の知り合いの女の人が「こんな静かな祭り初めてやわ」と言っていました・・・最近、町野の祭りは休んでいても太鼓を叩く人がもの凄く減りましたね?これはイカンと思いますが ↑の画像ははるか川岸に立てらた松明の灯りです、広江の場合は松明がもの凄く遠いので「御幣を取りに行く」という事がほとんど無いような・・・仮宮の手前でキリコと神輿が行ったり来たりを三回繰り返していよいよ仮宮前で「練り」ます、がはじめはゆっくりと時計回りで仮宮の前を三回グルグルと周ります、それが終わると走って暴れ回りますがやはり大ギリコがいるのといないのとでは盛り上がりが違いますよね。 一通り練り終わりますと最後に神事が有り、玉串奉奠などが行われて宵祭りは終盤です、ここからは「チョンマ」と呼ばれる戻り囃子に変わりまして、各町内へとキリコが帰って行きます。道中と戻りの祭囃子が変わるのは町野や南志見などが主で輪島だと他ではほとんど見られません(私の所も同様に行います) 私は最後まで居たかったのですが、この後すぐに仕事に行かなければならずやむなく帰る事にしましたが、大キリコの火はまだしっかりと点いていました! 『萬物豊』・・・これも良い字です。
小出しにして来たネタもついに尽きる時が来ました。子供キリコの話題のはずが段々とずれて来て、これはいつもの事ですが・・・。とにかく今年の夏祭りには子供キリコの巡行を叶えたいと思っております。準備も少しずつ始めていますが、学校との交渉や子供達の送迎をどうするか等問題もまだまだあります。が、今年こそは5本のキリコが揃って渡御が出来る事を夢見ています。若連中が果たして大ギリコを出すのかどうなのかが、一番気になるんですけどね。さて、その若連中のキリコ(4間)の方の浮き字ですが↓は「コジョ」という部分の浮き字なんですが、去年雨に当たった為に、仕舞ってあった条件が悪かったのでしょうか黒いカビが生えてしまいました・・・。あらら・・・大事な浮き字が・・・で、本当は厚手の和紙が手に入ればもう一度作りなおすか、頼んで新しく作ってもらうか、という事になるんですが何処に頼んでいいかも分からず(石州和紙なんかは結構良いみたいなんですがキリコに使えるような大判の物があるのかどうか)この浮き字というのは南志見の先代のN川宮司さんの作だと思われ、この間の下地のキリコの浮き字もそうなんですよねこのN川先生は結構この辺りのキリコの浮き字を作られています。(↓この2本のキリコの字がそうです)ですので、今回 現宮司さんにお願いしようかな?と前から迷っているんですが、なかなかN川宮司さんにお話する機会が無いと言いますか、お声を掛ける勇気が無いと言いますか・・・。ともかく、非常用に発砲パネルで作ってみることにしました上が今回作ったものです、「燈」の字体だけちょっといじってしまいましたが他はそのままを写して作ってあります。この他にナカフトの『聴松籟』と云う字と、『上がり藤の紋』と『若連中』という字もあるんですが、特に上がり藤の紋が難しそうで不器用な私では無理かも知れません。また大きさも通常のパネルでは足りないので大判のものを探さないといけません・・・まして蝋燭ですので万一の場合一瞬で燃えてしまう危険もあります。これだったら和紙を探した方が早いような気もしますし、本当は宇出津辺りで誰か浮き字を作っている人が居るはずなので、そういう方に教えてもらおうかと思っていたんですが、ケガの為ここしばらく身動きが出来なくなってしまい計画が進みません・・・。どなたかキリコの浮き字の事御存知の方おられませんか?輪島でも当然誰かおられると思うのですが、つてが無いもので・・・。今年はこの4本に子供キリコが加わって祭りが出来ればいう事無しです!
昨日のこの画像は宵祭りの次の日、18日の早朝のものでした 宵祭りは神輿の渡御が中止になりましたが、若連中のキリコが夜9時前に神社へ向かい神事を見届けた後に、この窓岩前に来まして松明の周りを3周しました。なお、キリコと云うのは我々の地域では、あくまで神輿の「御明し、御供」ですので通常、神輿が渡御されない場合は当然担ぐ事は無いものなんですが、(それとキリコはあくまで「夜」だけの物)一昨年、去年と2年続けて雨でお旅が中止になりまして、まあ地元の年寄りなどは「神輿も出んがにキリコ出して」と不快感を持たれた人もいるらしいのですが(その気持ちも分かるだけに難しい所です)若い連中が祭りの為にわざわざ帰省してくれているのも事実で、やっぱりキリコを担ぎたい!というのは仕方無い事ではないかと・・・。↓は8月19日の地元紙の記事 もう、ボンボリもボロボロ、御幣も破れて・・・おまけに浮き字も傷んで、飾り物の金箔が剥がれて・・・と、正直やっぱり雨の日にキリコを出すのはかなりの「リスク」が伴いますが・・・。これ電球なら頭からすっぽりとビニールカバーでも被れば良いんでしょうけど、蝋燭なんでそれは出来ません。じゃあ、電球にすれば?とおっしゃるかも知れませんがやっぱり『キリコは蝋燭!!』じゃないとねえ・・・。今年は町内で電球に替えたキリコが出るらしいので私の願いは今年でついえる事になりそうですが(涙)ちなみに去年は久しぶりに5本のキリコが揃った年だったのは超マニアじゃないと知らない事・・・。皆、今年は祭りが出来る!と思ってキリコの準備をしていたんです。そのうちの1本がこの下地(しもじ)のキリコ、私の元々の町内のものです。 今じゃタイヤが当たり前になってしまいましたが、子供の頃はこのキリコもみんな担いでいたんですよね。大きさは今の若連中とほぼ同じですが、横幅は少しこちらの方が広い気がします。↓向かって左が若連中、右が下地(平成24年) 今日でまとめるつもりが、まだ無理でした・・・また続編にします。しかし、一般の人が見ても全然つまらないでしょうね?このブログ。
最近、目覚めた様にブログを更新し始めて・・・大丈夫かいな?3月も中旬になろうという今日この頃、雪ももう見納めになるや否や。去年の夏祭りに子供キリコの「立て流し」をした時の模様をお伝えしていますが、宵祭りのお旅自体は雨の為に中止になりましたので、キリコと神輿の渡御はありませんでした・・・(悲)↓はボンボリを新しく造ってもらったヤツ、特に傷みが目立つのはそっくり新しくして、その他は部分的に修理をしてもらいました。 そして↓の真中にあるのが屋根に付ける風鈴とその下は「太鼓幕」と飾りの「サル」です、これも全て新品にしました。風鈴の鈴?の部分は3つは元の物で1個だけ違います。赤い裂も新しくしています。 そして「御神燈」、ちょっと字が弱かったかな?下手くそな字なので控え目にしました・・・横の組障子の裏にはボンボリと同じ色を吹いてあります、今思うと我ながらよく一人でやったもんだと思います・・・これ位仕事もやれればいいのに・・・ それからこれ↓は「蝋受け(ろううけ)」です、ナカフトやコジョから蝋が落ちるのでそれを受ける為にナカフトの下にはめ込みます、この赤く組んであるのは実は昔の大キリコの横障子を加工して蝋受けに仕立てたものです。 その大キリコというのは、以前あった「輪島市民俗資料館」に保管されていたキリコで確か「中島屋」というお店の一軒出しのものらしいのですが詳しい事は分りません。資料館が閉鎖になって青年団が貰ったらしいですが四本柱などは処分したみたいです・・・?そして、8月16日に「窓岩ポケットパーク」という所にキリコを立てる事になりました・・・。さすがにキリコを起こすのは一人ではムリだろうと云うので(本当はこれも一人でするつもりだった)4人ほどに手伝って頂き無事に立てる事が出来ました。※この画像は8月18日のものでした(2枚とも)↓ この時はずっと天気が悪かったんですよね・・・観光客も居ません、と今日はここまで。明日は最後のまとめと「広江」の祭りの様子をお伝えするつもりです。
今日は3月12日土曜日、今朝は寒いです。外を見ると、雪が薄っすらと・・・山も真っ白になっています。
3月10日・・・今日は何の日?答え、『松田聖子』さんの誕生日!!・・・・・・それも正解なんですが、それは「東京大空襲」の日でした。でしたってエラそうに言ってますが、スミマセン全然意識していませんでした。ちなみに今日は母の祥月命日でした、墓は住んでる所から離れた所にあるのですがふと思い立って、墓参りに行って来ました。テレビ、ラジオは「3・11」と呼ぶ東北の大震災の話題で溢れんばかりですが、私はまずこの『3・11』という呼び方、まるで『9・11』の再来みたいなこの呼び方がまず気に入らない。それは大変な震災ですから、ショックは分りますが全く違う次元の話であって、いかにも原発によってこの世の地獄を見た!と言わんばかりのマスコミの姿勢にはホントに呆れます(左翼にはもの凄く都合いい)だったら関東大震災からこの方起こった震災全部の記憶をたどれよ、って言いたいくなります。阪神だって忘れてるんじゃないの?勿論、未だに復興が進まないのは胸が痛みますがそれは当時の政権が無能だったからで、無理やり高台に全部移転だ~!なんて事をやってるのもその地域の歴史を全く無視する馬鹿げた政策だと思いますが・・・。言葉足らずなのはお許し下さい。東京大空襲の事、もっと報道してくれませんか?何が起こったのか?今、たまたま能町みね子?とかいうのがラジオで喋ってますが、この方清原が逮捕される直前に「清原のブログ」の事ベタ褒めしてた人なんですがまあ、逮捕された後でも「私は良いと思ったんですけど」みたいな自己弁護してて胸くその悪いヤツです。
昨日の続きです。↓は子供キリコの四本柱(しほんばしら)を組み立てたものです、これも神社の天井に吊り下げてあったのを一人で降ろして組み立てました。なお、今回までのキリコの組み立て及び、紙の張り替え、備品の調達など一切の作業は自分だけで行いました・・・。ここは氏神様の拝殿です、子供の頃は皆が集まって夏休み、こうやってキリコの準備をしたものです。このキリコは61年前に作られたものだそうです、かなり傷みもありますが、歴代の子供達が関わって来た大事なキリコでもあります。 子供キリコと云っても高さが約6m(3間2尺)ほどありますので結構な大きさです、しかもいわゆる宇出津の様な「台」に乗ってなくて、足がそのまま地面に着く様式でこの高さなので、横幅なども宇出津のキリコとは全く違います。つまり、宇出津の大人用のキリコよりも造りがはるかに大きいのです。重さ自体は宇出津のキリコが重いでしょうが、中学生の子が「担ぐ」子供キリコとしては、大きい部類に入ると思います。実物を御覧になりたい方は今年の8月17日にいらして下さい。↓が「ナカフト」、「ボンボリ」、「御神燈」などです、後には神輿が置かれていますが、なんと昔はここであの「御陣乗太鼓」が叩かれていました。晴れの日は外の境内のステージだったのですが、雨の日はここで実演されたんですよ。今太鼓叩いてる現役の方でこの舞台を経験された方がまだいらっしゃいますかね? このナカフトの枠と横障子も新しくしたのでまるで新品みたいに見えますが本体は61年の時が経っています。 さて、この「浮き字」なんですが、昨年気付いた事が!これ「従雲龍」ってなってますけど本来は「雲従龍」が正しいみたいですね?・・・雲は龍に従う・・・と云う読みらしいですが何でそれに気が付いたかと言いますと、あの羽黒宮司さんの去年のブログで能登町のあるお祭りに行かれた話で(宇加塚だったかな)昔の大キリコの写真がありまして、そのナカフトの浮き字がまさに『雲従龍』という字だったんです!!これを観た時に『あっ!!』となった訳であります・・・これ、私が子供の頃からこうなってましたので、随分前から違ったままになっていた、と云うことなんですね~。確か「伝雲龍」って言っていた気がするんですが、何か意味が子供心に分からなかったんですよね・・・、伝も字が違う気がするし~って。ネットって思わぬ事で繋がったりするから面白いですよね。(これは今年直すつもりです)ちなみにこの浮き字もやはり「発泡パネル」製です、これは先輩の方が作られたんですが、元々はやはり和紙製でした、今年はムリかもしれませんがいつか若連中のも併せて新しく出来れば良いと思っています。まだもうちょっと続きます。
今頃になって去年の夏の記事の続きを書いてるなんて、信じられない気もしますが、一つの記録という事でお許しくださいませ・・・。さて、まずは「ボンボリ」からです。私達の所のキリコには全部で8つの「腰ボンボリ」が付きます。また、それとは別に屋根の下に御幣と共に「御神燈」という四角いボンボリもあります。今回は定番色にしました、一番馴染みのある配色ですね。このボンボリもすべて色を塗り直しまして、紙も全部張り替えです!この四角いのが「御神燈」、まだ字は書いてありません。それから、これは「ナカフト・ナカフク」の横の組障子、例年だと、ボンボリ同様の色付けにする事が多いのですが今回は、和紙の切り紙を貼り付ける事にしました・・・絵が上手な人なら、良いでしょうが私は全く絵心が無くて・・・↓の「コジョ」と呼ばれる小障子の絵も描いてみたんですが、何だか小学生の絵みたいになってしまって。これは結局ボツにしまして地元の先輩の蒔絵師の方に描いて頂きました・・・。なんか、真中の波がクジラに見える・・・(恥)松の絵も全然ダメ、下書きしないで一発勝負で描いちゃったもので。モチーフは「青海波に松樹」だったんですが。ちなみに灯りは和蝋燭を入れてみて実際の感じがどうなるか見てみました。絵の上手な人がうらやましいですね・・・それから、下は「セキ板」のクサビです、これも全部造り替えました、一番右のは「カタネボウ」のもの。キチンとサイズを合わせて作った訳では無いので大きさにムラがあります、これは現場で合わせる為におおよその目安で仕上げました。結構、いい加減に仕上げてあるのですが、プロではないので大目に見て下さいませ・・・。さて、次回は本体の様子などをお伝えします。
長らく更新をしておりませんで、気が付けばはや、如月も終わり、明日は弥生、三月でございます・・・。実は最近、足の怪我をしてしまいまして歩く事が出来ない状態でして生まれて初めて手術も経験しました・・・すぐ退院はしたものの日々悪戦苦闘しておる今日この頃です。下は昨日の午後の海の様子です、晴れて穏やかな春到来を思わせる陽気でございましたが今日は一転して冬に逆戻りで、今も非常に強い風が吹き荒れております・・・。 何だか怪我をして以来、引きこもりみたいになってしまっているんですが今日は去年の夏祭りで雨に当たった為に傷んでしまった若連中のキリコの「飾り」の修理をしていました。金箔が雨によって剥がれ、またその下地の漆塗りの部分から剝落が見られるなど大変傷みが激しく、一旦は仏壇店に修理に出すつもりだったのですが金額が結構なものになりまして、いくらなんでも個人では無理だし、かといって、在所で直して貰うのも負担が大きい、という事で非常に悩んでおったのですが・・・。それで自分で金箔を貼ろうと思い、金沢のある大手の金箔を扱う会社に現物を持って行って、金箔の色を合わせようとしたんですがそちらの会社でも修理が出来るかも知れない、との事で見積りしてもらったんですが、何と予算の倍から3倍も掛かるとの事で・・・!対応してくれた女の子が可愛かったので悩みましたが(なにを?)もう絶望的になりまして「やっぱり自分がやるしかない!!」という事に。今年は子供キリコの復活もさせなければならないし、もしかしたら若連中は5間半の大ギリコを出すかも知れない(!)という事で大忙しになりそうな今年の夏なんですが、今から準備しないと大変なので子供キリコの一部も取りかかっている所です。子供キリコも本当はカタネ棒を新調しようか、と去年から悩んでまして、まだ結論に至らないのですが、とにかく修理、修理で費用が掛かるのが痛い所です、これはどこもそうなんでしょうが、「在所に頼らずに個人で」という事になるともうそれはそれは、大ごとなんですよね・・・。下は金箔が剥げた部分、ここに漆(人工)と金粉を混ぜた金漆を塗ります。 するとこんな感じになります・・・わざと塗りをまだらにしていますが、どうでしょう?プロが見たら「ダラな事を」と言われるでしょうが、仕方がありませんでした・・・金箔貼りたかったんですが。 この他にもそこら中、剝離してたんですが、同じ様に塗っていきます、 どうでしょうか?やはり金箔の色と違うので良く見ると不自然なのが一発で分かるんですが、夜の蝋燭の灯りなら気になる程では無いかな? 勿論、これが良いとは思っていません、今は苦肉の策という事です、この様な飾りの部分が全部で八点(屋根の鏡板を除く)あります。この他にも「ナカフトの浮き字」も傷んでダメになったのがあります、キリコの事分からない人が見ても全く分からないかも知れませんね・・・今年は忙しいぞー。またこの様な修理の模様をお伝えしようと思います。(ついでに去年の子供キリコの復活に向けての事も)