俺がついてるぜ
ツラいことばかりでも
君はくじけちゃだめだよ
思い出せよ友達を
君のすぐそばに
いつも俺がいる
俺よりもすごいやつは
たくさんいるよね

だけど俺よりも君のこと
気にかけるやつはいないよ
時がながれても
変わらないもの
それは俺達の絆
君は友達
いつも俺がいる
君のそばに
ていうさあ。。もう、なんというか・・
この曲聴くとほっとする。
ウッディからのアンディへのこの惜しみない愛情は・・
やっぱり我々こどもたちだけが感じられるきもちだったのかな、と今では思う。
もちろん、おとなになっても昔はこどもだったから、今でも感じられるけど。
だからこのアニメは大人にもウケたんだね。
技術はもちろん、そういうノスタルジックっつーのかな そんな気持ちになれるから。
俺よりもすごいやつはたくさんいるよねーってところが特に好きで好きで。
そういう気持ちになること自分でもあるし、そう思うウッディの気持ちすごくわかる。
その、「どうせ俺はおもちゃだけどさ」っていうニュアンスの、献身的なところっていうか。
ウッディはなおさら、自分が「ただの」おもちゃってことをわかっててわきまえてて・・それでもアンディを信じてるからなあ。
どうしておもちゃは、いずれ飽きられるとわかっているのに、子供に愛を送り続けるのか。
愛してあげられるのか。
それは、それがおもちゃの宿命だから、存在理由だからなんだろうね。
親が愛をこめて子供のために選んだ、例え量産されていたとしてもたったひとつのおもちゃだから。
3のロッツォ(ピンクのくま)が送り続けた愛を無下にされて、子供を恨むなんて、ウッディたち愛され続けてきたおもちゃからしたらきっと言語道断なんだろう。
それが運命。子供は愛されるべき存在なんだって、ほんとはロッツォだって理解していたはず。
この曲はタイトルこそ「友達から友達へ」、という曲だけど、やっぱり映画に基づいてるというか。実はそういう曲じゃないっていうか。
小さい頃の自分が感じてた気持ちを、誰かに見守っていてもらえるようなそういう気持ちを思い出せるよね。
それで泣きたくなるんだよなー。トイ・ストーリーっていう映画にお守りしてもらってたなあって。
しかも、よく見ると歌詞が「これから大人になっていくアンディ」へかかれたもんで・・。
これが自分が大人になってから見ると余計切なくなっちゃう。
「ツラいことばかりでも君はくじけちゃだめだよ」・・
このとき子供で、毎日楽しくおもちゃとあそぶアンディに「つらいこと」はないでしょ。
「これから先、きみが大人になって、どんなにつらいことがあっても」・・ってことでしょ。
「時が流れても」
「変わらないもの」
っていうのは・・
もし、君が大人になって変わっても、変わらないものがあるんだよ、と。
こんなことを、わたしらは子供のころから聞かされていたんだね・・。
思い出せば、実際うちにウッディとバズいたけど・・
持ってた人、結構いるんじゃないでしょうか。トイストーリーのおもちゃ。
あとポテトヘッドとリトルグリンメンと羊飼いと恐竜がいた!
でもウッディにとってはいちばんのトレードマークのぼうしがなくなってしまったので
うちのウッディは私のことたぶん嫌いだよ(笑)。
年に一度ディズニーランドに行きたいというか映画の中に行ってしまいたいという躁鬱な時期がくるんですが・・
それが今で急に語ってしまいました(^o^;)
わざわざ画像もオープニングから引っ張ってきて加工してみたんだけどどうよ・・
私は見ただけで泣けるよ・・
でも改めてみるとすごい映画だ、ほんとピクサーってすげえ。
ウッディたちおもちゃが人間といるときの無機質さと、動いてるときの雰囲気の落差がほんっとに。
色々計算されつくしてるよね。
子供と子供を取り巻く世界、小さな世界をこんなに皮肉めいてそんでさらにおもしろくかわいく作れるアニメーション会社ないですよね。しばらく映画が下火だったディズニーが、ピクサー統合してから持ち直したっていうのも納得です。ディズニーはディズニーですごいけどね。ディズニーは「王道」を行って、ピクサーは「邪道」を王道の手法で行ってるというか、時代に合ってると思う。でも最近はディズニーもハッピーエンドを皮肉ってる感あるけど。
そういうとこみるとあながちアメリカも日本もそこまで「おもしろいとおもうこと」の差ってないような気がするな。




