へっぽこ侍のブログ -3ページ目

初ブログ

はじめまして。

自称、非モテ侍こと、へっぽこ侍と申します。


非モテのうえに、へっぽこです。

救われないですね。www


ま、ごあいさつは、これぐらいにして。


実は、こちらに書くのは、初めてでして、

普段は、別の処にて、細々と自分の日々を書き綴っているのですが、

今日は、そろそろ、こちらにも何か書かなくては。と、思ったのと、

ちょっと最近、気になった事がありまして、ブログに残そうと思った訳です。


で、その気になった事というのは、他の方のブログで、ある人の壺の話がありまして。

簡単に紹介すると、


目の前に壺があり、大きな岩を入れ、小石を入れ、

砂利を入れ、砂を入れ、最後は水を入れて初めて壺は隙間なく満たされる。

もし、先に大きな岩を入れ無かったらどうなるのか?

そう、入らない。

大きな岩を先に入れない限り、二度と入ることはない。


で、これが何を言いたいのかと言うと、

この壺、実物の壺を指しているのではなく、人(人生)の器(容量)を指しておりまして。

大きな岩というのが、仕事だったり、志だったり、愛する人だったり、家庭だったり、自分の夢だったり、
とにかく、自分にとって一番大事なものを指すそうです。

で、この人は、こう言うのです。


それ(一番大事なもの)を最初に壺の中に入れなさい。
さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、
つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
その結果それ自体失うだろう。


正直、最初は、そうだなぁと思いました。

しかし、考えているうち、ふと思いました。

人生という壺に入れる物=経験と考えたとき、

経験に重要性は、存在するのだろうか?

『重要でない何か』とは何だろう?

と思いました。


で、自分なりの結論として、

『俺は、何でも入る四次元壺になる!』でして。www


正直、自分には、この考え方は、合わない。と思いました。

なぜなら、経験とは、何にせよ自分が成長するために必要なもの、不要なものは何一つ無いと思ったのです。


まぁ、まだ、自分にとっての大きな岩が何なのかもわからない半端者ですけどね。


皆さんは、すでに持ってますか?大きな岩。



追伸:

実際に体内に石があると超痛いらしいですよ。www