例えば「町」という漢字を、
現時点に於いて「マチ」と読む場合と、
「チョウ」と読む場合とがあるというのは、
正確に地名を読み上げる際には何かと紛らわしくなっているから、
昔からチョウニン(町人)屋敷等があった関係で「チョウ」と呼んでいるような地区町村名に関しては、
「丁」や「庁」とか、
はたまた「調」や「嘲」だとかといったような、
別な漢字をこれからは当て嵌めて置き換えるるようにするとか、
いちいち表示を変更するのに手間が掛かるような場合には、
「町」の右側横の部首のτ?の上に´(ちょん)を加えて、
「τ´」→「町´」みたいな字になるように、
書き方や表示の方法を全て改変するようにしていってはどうだろうか?(提案)
話をいつもの感じに戻すが、
アク神主体に拠る幽界次元からの虚言やマヤカシを、
霊界全般や神界・天(上)界からの指示であると勘違いしているような者も実際には多く見受けられるわけで、
こちらも詳しい霊的知識が皆無だった頃には、
幽界も天上界も同じ霊界(霊的)次元にあるものだとして、
ごちゃ混ぜのいっしょくた(一色単?)のような感じで捉えていた雰囲気があったようだが、
そこら辺の霊的次元の違いがはっきりと解っておらんと、
生体磁気とかに拠る個人の幽声(心の声?)や気とかも、
その人の守護霊殿や現在指導霊となっている高級霊等といった神からの暗示であると、
誤認や誤解・誤聴・誤感して仕舞う可能性があると云えるわけで、
しっかりと各自が個人の魂の扉(磐戸)を啓(開)いて、
真実を見極めながら能くサニワ(審神)出来るように正しい霊的知識を学んでおく必要があると云えるだろう。
天空に輝くお星さまや夜の星空が大好きなホシ(干し?)の王子様やキラキラ・金ピカ物好きなキラリンお姫様とかは、
天体観測や星占いとかの中に現実逃避する空想家的な癖をいつまで(逸迄)も続けておれば好いと云えるわけで、
本当の宇宙の真実を知る為には、
実際・現実のこの世である現世に於いて自分自身の身体を使ってある程度繰るしみ抜く事に拠って、
次第に魂の扉である個人の磐戸が啓(開)かれていって、
霊的神理に基づく宇宙の掟や大霊の摂理が体得出来るようになれる下地を作っておく経緯を経る必要があると云えるわけで、
小賢しい智恵や姑息で狡い我善しだけとなる顛末を産んで仕舞うような学問だとか、
メグリ祓いを只単に後回しにさせて仕舞うだけの「イシャの仕組み」ばかりに常日頃から依存していると、
結局は現世に於いて自らが果たすべきメグリ祓いも完済出来ぬまま終わって仕舞い、
来世は二段階以上程度の移転星身魂となる事に拠って、
宇宙小学校段階を再度留年し続けていくような、
ホント(本当)にホントに御苦労様としか呼べないような境遇・(霊魂的)生涯に身を措く成り行きとなって仕舞うだけであろう。
『元の霊(たま→魂)から改心させずに、
ニク体・身体(オーラも含む)ばかりや目に見える物質的な世界のみのとなるものばかりを、
理屈や方便だけに拠って善くしようと試みたところで、
それは出来ぬ相談なのであるぞ!
それぐらい皆判っておるのだろうが、
判っておりながら現在では他に道がないと、
仕方が無いからと言って本当の霊的神理に関しては手を付けずにいるような者もおるが、
それが「アク神」に魅入られている証拠なのぢゃぞ!
アクは改心するのが早いぞ!
アク神(眷族をも含む)も助けなならんぞ!
霊(たま)から改心させていかねばならんのであるぞ!』
現在では変な伝統楽器の奏者となって、
客寄せパンダの役として猿回し劇団の専属でコキ使われている小動物の如く、
日本全国の小規模なカフェ・スペース等を引き摺り回されるような形で見世物扱いされている或る外国人に関しても、
過去前世に於いては逆の立場の者として相当なメグリを積んで来ており、
事情の善く解っていないような他人を出汁(ダシ)や餌の如く扱って、
その人を四方八方へと引き摺り回すような事を仕出かしていた件のメグリ祓いが、
現世に於いて実際に成就する形で興されていると云えるわけで、
そういった霊的真実のある経緯に基づいたサル芝居やアクト等を、
如何にもありがたいスピリチュアルで貴重な演目に出逢えるかの如く思わされている人民や民衆側の立場にいる者に関しても、
結局はそういったアクの御用の展開や継続を補助する為の幇助役員として、
アクト団体に拘わる形でアクの御用に加担する働きを担う事にもなって仕舞うと云えるわけで、
そういったイヴェントの主催者側の宣伝文句や蘊蓄等は一才鵜呑みにせず、
本当に価値のあるイヴェントやコンサートのみを自ら厳選して出掛けるような習慣を身に付けておくべきであろう。
『アクはアク役としてアク意を自ら志しながら思い考え、
人民をマイナス側へと引っ張る為の、
御用としてのアク【アクの御用】を為し、
偽(ギ)は偽善者として嘘偽り(ウソいつわり)となる行為(虚偽的な行為)を自らの中に思い描き、
他人の過去前世から積んで来た魂のメグリを祓う為に、
アクの御用として偽の役割を果たすものだと云える。
そうする事に拠って共に太神の御旨(大宇宙)の中で働き、
歓喜を生む為の現実的な真実の姿として活かされていると云えるであろう。』