一陽来復 ~副腎癌と共に
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平成21年8月26日~告知の是非

4年前に手術をした後、半年はステロイドを服用していた頃、しばらくは身体がだるいとか、手術痕が引きつるとか、常に病気であったことを喚起することがあったが、術後1年の定期検査を受けた時点で問題なしと言われ、その後の定期検査は、来たかったらどうぞと言うことだったらしい。

それでも1年に一回は行くべきだと主張はした。
特にユリは毎年の健康診断も受けていないので、尚更よい機会だからと話しても、
「先生が来いとは言ってなかったしねぇ。」と、とにつくしまもない。



手術をした際の先生が辞めて、主治医が変わったことの影響も大きかったようだが、今となってはどうしようもなかった。



「私が定期検査を担当させて頂いたのですが、経過的には問題なかったので。その後4年間に、どこかでレントゲンとか撮られていませんか?」

「ありません。」
「癌がいびつな形状をしてなくて、比較的丸い形状なので、徐々に大きくなってきたと思われます。」

だったら、なんで定期検査をもう少し続けてくれなかったの!
もっと早い段階で発見できたはずじゃないの?!
癌の場合、再発もあり得ることだし、特に今回は病理診断しても悪性か良性かが判断できなかったと言っていたのに!あなたが、検査は好きにしろと言ったんじゃないか!

胸の中で、言っても仕方のない想いがうずまいた。

「い びつな形状をしている場合、急激に癌が進行しているケースがあるので、それに比べると、すぐにどうこうというのはないとは思うのですが・・・。本人には癌 とは告知していないのですが、転移の可能性の話しをしたときに、泣いておられたので、ご主人にお話ししてから・・・。」

「本人に、このことを話すのはちょっと待って下さい。あまり前向きに捉えるのが難しい性格ですので、告知した後、どうなるのか不安なんです。」
「そうですね、こちらから言わないようにはしますが、本人が知らないのは・・・」


告知。

自分がこんな立場に立つことになるとは思ってもいなかった。
日頃、自分が癌の場合は教えて欲しいとユリには言っていたのだが、逆の立場は想像していなかった。

ただ、10数年一緒にいて思うのは、常に心配する、悪いことをまず考える性格であるということ。そして、「死」に対して、非常に怯えているという現実。

生存率5%と聞いて、彼女が怯え、生きる気力を失う可能性の方が高いんじゃないか。

言うべきか言わざるべきか。・・・やはり、現時点では無理だ。
取り返しがつかないことをしてしまいたくない。

「本人には頃合いをみて、話しをしたいと思いますので、先生方からは言わないようにお願いできませんか。」
「分かりました。あと、明日脳のMRIをとって転移していないか確認をする予定です。」
さらに後日、PET検査を受けてもらうとの説明。

「今確認できているのは、肺の中だけなので、痛みもなく本人も自覚しにくいのかもしれません。ただ脳には転移し易いのですし、PET検査で全身を検査することで完全とは言えないですが、分かるかと思います。」

これだけ肺が真っ白な状況で、他に転移していようがしていまいが、どうしようもないと思ったのだが、気になったのは痛み。

「肺の外にでていると、場所によっては痛みますが、肺の中の場合、痛みはありません。ただ、進行して転移すると出てくると思います。」

「死」と同様、「痛み」に対してもめっぽう弱い。
同じ癌であっても「痛み」がないというのは、大きな救いだった。

平成21年8月26日

待つこと10日、ようやく病院よりベッドが空いたとの連絡が入った。

ただし、病棟は産婦人科しか空いていないとのことだったが、この際、一刻も早く検査はしてもらいたいという想いが強かったことと、もう一点は、重病の方との同室経験があるユリは、どうしても気が滅入るということもあり、逆に喜んでその申し出を受け、早速入院することにした。

4年前に入院を経験していることもあり、慌てることもなく準備をしながら、その間鍼治療も数度行く。
食事を控えるように、肉類他、動物性の食事は摂らないように言われ、食事にも注意し始めたのはこの時期から。



25日、病院まで車で送るというのに、
「仕事しときよ~。一人で行けるから」と、不安を隠しながらも気遣いをみせる。

一応、仕事先には、入院することを伝えていたこともあるが、検査なので急ぎがあれば仕事するからと、ノートパソコンと無線端末まで準備し、1週間程度の検査入院の予定なので、荷物をまとめると、やはりキャリーバッグに一杯になる。

入院するのに、付き添いもなく、一人でキャリーバッグをひいて行くなんて・・・。
しかし、言い出したら聞かない性分なので、どうしようもない。

「じゃぁ、駅まで送るよ。」

今日から一週間、独身生活だぁ!なんて、不謹慎にも少し浮かれていた。

「退屈。仕事くるかもしれんし、本読んでるけど、なくなりそう・・・」とか、他愛もないメール交換していると、
夜のメールで「主治医がきて、前の副腎のが肺に転移した可能性が大きいって。明日はMRIで脳に転移がないかみることになった~。その後は大学病院とか専門的なところで治療になるらしい。」

・・・軽くメールを開いたのに、急に重い報告がずっしりとのしかかる。

翌26日、出張先での打合せを終え、軽く食事をとろうと店に入ると、電話が鳴った。
登録していない番号だが、一応出てみた。

「はい、○○ですが。」
「こちら、○病院の○○ですが、ユリさんのご主人でしょうか?」

えっ、病院?直接、俺に?
嫌な予感が走るが、意外と出る声は冷静だ。

「はい、そうですが、何か問題がありましたか?」
「えぇ、実は奥さんには内緒で病院に来て欲しいのですが、説明したいことがあります。」

「・・・それって、いい話しじゃないですよね、やっぱり・・・」
「それは先生から話しがあると思います。ご都合は如何ですか」

どうせ聞かねばならないことなら、早い方がいい。
26日の夜、病院に行くことになった。

なんて、ユリに言えばいいんやろ。いや、黙っとかなあかん。
ユリの性格やと、心配するしなぁ。

とにかく、最悪のことも考えていかないとあかんな、と腹をくくって帰途についた。


「検査待ち時間長いし、呼ばれるまで本読んで昼寝~。極楽!ご飯をお腹一杯食べられたら天国なのにね(笑)」
とメールが届く。

アホか・・・そんなこと言うてる場合ちゃうんやで、ホンマに。
泣けてきた。

それでも、どうせ行くなら、何か持って来たからっていう理由でも会いたいと思い、
「本でも、持って行ったろか~?」
「遠いから、来んでいいヨ。」と素気ない。

「インフルエンザ流行ってるし、面会制限もしてるよ。産婦人科やし、子どももいるから来なくていいよ」と念押しのメール。

これで、こっそり行くと絶対に臍を曲げるのがユリの性格・・。
仕方ない、会わずに帰ろう。


事務所に戻り、仕事せずに、副腎の癌について調べてみる。
悲しくなるような、情報ばかりでやりきれなくなる。


少し早めに出発して、夜の病院に着く。
やはり落ち着かない。

案内された部屋でしばらく待つと、深刻そうな顔で3人の先生が入ってきた。
主治医と担当医と研修医。

心臓がばくついている。

レントゲンが並べられていく。

冷静だったつもりが、やはり冷静ではなかったのだと思う。

詳細な説明は思い出せないが、レントゲンをみながら、これが腫瘍だという説明を受けた。

想像していたが、それ以上だった。
両肺が、真っ白に写っていて、それが全て腫瘍だと言うのだ。

「・・・癌ですか?」
「はい、そうです。」

「写真を見る限りは、かなり進んでいるように思うのですが、どの段階なのでしょう?」
「ステージで言うと、Ⅳです。かなり進行していますので、いつ何があってもおかしくない状況です。よく聞くかもしれませんが、5年生存率は5%程度です。」

何を説明されているのか、自分たちの身の上に起こっていることという実感が湧かない。

ただ、副腎皮質癌は100万人に1人と珍しいので、この病院では診ることがほとんどなく、専門家にもアドバイスをもらいながら、しなければならない検査は実施した結果、100%と言えないが、副腎皮質癌の典型的な条件が全て揃っていると、色々と説明を受ける。

さらに、ここではこれ以上診ることができないので、私たちが住んでいる近くの病院で継続的に治療を受ける、あるいは高度医療センターや大学病院に紹介することができるという説明。

ただ、先のことは置いておいて、まずできることは何かと聞くと、
治療方法は大きく3つ。
抗がん剤、放射線治療、手術。いわゆる3大療法だ。

手術はできないという説明があり、そりゃ無理だろ、こんなんじゃ・・・。
放射線治療も、副腎癌が肺に転移したケースではあまり有効ではない、という。
ミトタンという薬が効くと思われるが、それも絶対ではないと。

いずれも、このステージだと、完治は期待できない。治療しても5%の生存率だと言うのだ。

「どの治療を受けても、延命治療に過ぎないと言うことですか?」
重々しく、「・・・そうですね。」

ここに来るまでに予想していたケースを遙かに上回る最悪の説明を聞きながらも、未だ咀嚼できない自分がいた。




鍼との出会い

入院をして、詳細に検査をする必要があるとのことだったが、ベッドが空くまで待つことになった。
早く検査して白黒つけて欲しいと思いつつ、焦れる毎日が過ぎる。

この時のことを思い出すと、二人の間では、まだ深刻さに気づいていなかったように思う。


「癌じゃないよね?最近は結核とかになる人もいるっていうもんね~」
「そうやなぁ~、検査せんと分からんって言ってる訳やし、大丈夫ちゃうか~」

おそらく二人とも、本当は重大なことが起きているかもしれないと薄々は感じていたが、現実から目を背けたいというか、軽く考えないと日々を暮らせない、そんな雰囲気があった。

「しかし、考えてみると、春頃、妙な咳しとったもんな~。アレはこういうことやったんやなぁ。だから、はよ病院行けって言ったのに・・。」
「でも、治まったしねぇ。」

実は花粉の季節、しばらくの間よく咳き込んでいた。
心配して病院に行こうと説得していたが、彼女は花粉症のせいだと言って聞かなかった。

悔やんでも仕方のないことだが、今になって思えば、あの時癌が進行していたのだろう。
最近では、明らかに声もしわがれ出していた。


ユリと電話で話しをした時、丁度半月程前の7月末に、高校時代の旧友に会っていたことを思い出した。

彼とは電話は数年に一度、年賀状のやりとりはしていたのだが、会うのは実に10数年振りだった。
仕事を辞めたことや鍼灸を学んでいることは、数年前に連絡を受けて知っていたが、「鍼?へぇ~」という程度の印象で、自分とは関わりがない世界のことのような気がしていた。

しかし、偶然にも昨年、間違い電話をした際に、鍼灸師として独立し、私たちが引っ越す前に済んでいたあたりに来るという話しを聞いて、少し距離が縮まっていた。

そんな際、私の持病ともいうべき腰痛を診てもらうことになり、7月に訪ねていた経緯があったのだ。

実際に鍼をしてもらうと、腰痛がぐっと軽くなり、そして色々と鍼の話しを聞くうちに、こんな治療方法もあるのかと開眼した気持ちと同時に身近に感じることができた。

そして鍼に自信をもち、高校時代のおちゃらけた性格は残っているものの、彼の鍼に対する真摯な姿勢をみて、良い意味で変わったなぁと感心もしていた。

ただ、「脉診」という技術で、そんなことで身体の状態がわかるのかという不思議さと、乳癌の患者をほぼ完治させたという話しを聞いても、心の中では半信半疑だった。


そんなこともあって、
「一度、鍼してもらおうか?一緒に行ってみようや」と気乗りしないユリを誘い出し、鍼灸院のドアを叩いた。

彼には、彼女が以前に副腎を片方摘出していることや、今回の状況を話しておいた。

「どんな具合?」努めて明るく、聞いてみた。

「ん~、大丈夫やで!やばい脉は出てへんで。」
「ほんまに?よかったな~、ユリ!」
「うん!」

鍼をうって、うとうとしている彼女のいる部屋を出て、彼に聞いてみた。

「実際のところ、どうなん?」
「まだ、初診やから絶対とは言えへんけど、肺というより東洋医学でいうところの腎が悪いなぁ」

「?腎臓?」
「違うで。西洋医学の言う腎臓とはちゃうねん。」

話しを聞いても、東洋医学と西洋医学の考え方があまりにも違い過ぎてもう一つ理解できなかったものの、現時点では癌じゃないと思うという言葉を聞いて取り敢えず安堵した。

分かったことは、胸の方に熱がこもっていること、この熱を身体に循環させないといけないこと、
お腹がパンパンに張っていて、もっと食事を抑えないといけないこと、お腹が冷えるから腫瘍ができることなど、漠然とした中にも、改善すべき点もあり、今出来る事をやるしかないという想いが湧いてきた。


「良かったなぁ~、癌じゃないって!」
帰りの道中、笑いながらユリと話し、久し振りに不安が少し遠のいた。