私は、割とまめにスケジュールや出来事を手帳に記録するタイプです。
手帳が埋まっている事に安心を覚えるのでしょうか・・・
ですが、激動の始まりであった2024年3月のスケジュール帳は
ほぼ白紙で、記録する余裕すらなかった事が伺えます。
「伺えます」・・・なんて、自分の身に起こった事なのに
他人事のような表現は違和感を覚える方もいらっしゃるかも
しれませんが、ある一定期間の記憶があまり残っていないのです。
2024年3月
確か第2週だったっと思います。母から電話がありました。
「父が歩行困難になり地元の総合病院に行ったが、MRIの
予約がいっぱいでMRI専門のクリニックで撮影をして
もらった。
それを持って総合病院を受診する事になっている」
突然の連絡に私は状況をのみ込むことができません。
総合病院の受診日は丁度私の休みと重なっていたため
私は受診に同行する旨を母に伝えました。
父はもともと「脊柱管狭窄症」の診断を受けており、身体は
腰から上が左に傾いている状態でした。
受診日当日、母に確認した詳細は以下でした。
① 3月の初旬に地元の公共施設のらせん階段を運動目的で
上り下りしていた
② 2.3日後、背中から腰の強い痛みで歩行が困難になり
家の中での移動は四足歩行であった
③ 自力でトイレに行く事もできないため部屋に新聞紙を
敷き、洗面器に排泄をしていた
④ 父はかかりつけ医での受診ではなく、本来であれば
紹介状が必要な総合病院での初診を希望した
⑤ 車を持っている弟に連絡し総合病院を受診したが
MRIの予約がいっぱいで撮影ができないため、MRIだけ
他の医療機関で撮影してくるように言われた
ここまでの話しを聞いた時に私の頭に浮かんだのは
「初動の誤り」でした。
ですが、過ぎてしまった事に物を申しても何も始まりません。
それよりも、なぜ歩行困難になった時点で連絡を
もらえなかったのか尋ねたところ、母の答えは
「心配をかけたくなかったから」・・・でした。
確かに、私は仕事にpriorityを置いており
頻繁に実家に顔を出しているかといえば
そうとは言い難い状態でした。
両親の介護がいつか来ることを見据えて実家から
徒歩圏内に転居していたにも関わらず、このような
状態を招いてしまった事に、今でも後悔の念を抱いています。
私はここから、自分の生活スタイルや考え方を大きく
変える出来事に数多く遭遇していく事になります。