夏が終わった。今朝、外へ出ると秋の気候と空模様になっていてとてもそう思った。
今年の夏は記録的な猛暑だった。あほみたいに暑い夏に、私は2回川に入ったり日焼け止めも塗らないで1日中外にいたりしてシミができた。この夏の一瞬のためなら肌なんてどうなったって問題じゃないと思えるような夏だった。
夏は特別な季節になりやすいけれど、生まれた季節だし、1番好きな季節だから私は夏が終わることがとても悲しい。みんなの夏はどうだったのだろうか。
夏が好きな分、秋がやってくる9月は毎年憂鬱な気持ちになる。季節が強制的に私たちに夏の反省を強いてくるような気がする。
現に私はさっきまでこの夏に作ったシミをどの美容皮膚科のどの治療で取り除くか検討してネットサーフィンをしていた。夏を反省している。
でも、今年の夏は例年よりはるかに反省することが少なくて助かる。私は去年まで毎年夏にコロナに感染していた。今年はコロナに感染せずに夏を終えることができた。これだけで自分をほめちぎりたいくらい安堵している。
特別感染に気を付けたわけではないが、今年は演者をやらなかったということが1番の予防になっていたのだと思う。一昨年は演者として出たライブハウスで感染し、昨年は演者としてオールナイトでダンスをして感染した。
私は表に出ると良くないのだと半分スピリチュアル的に納得して、昨年以降は演者をしなくなった。正規雇用になったからそういう副業ができなくなったのも私がコロナに感染するのを防いだ。
この部分で、大森靖子ちゃんが今年の夏は炎上しなかった!と喜んでいたことにとてもシンパシーを感じている。靖子ちゃんは2年連続夏に爆裂に炎上していたのだ。カルマが2年分の夏で清算されたってことだよね、と理解した。
さて9月は心理的な反省の他にも雨が多く、頭痛に悩まされるので嫌いだ。いつもは1晩寝れば治る頭痛が起きても治らずに働かなくてはいけない日など本当につらくて仕方がなかった。
そして、9月を振り返るにあったって、一人のアイドルファンとしてジャニーズの前社長の性加害問題は避けて通れない。
9月に入ってからあれよあれよと問題は転がって大きな社会的関心の中心に躍り出てCMなどがキャンセルされるまでに至った。
私がジャニーズのグループのファンになったのは前社長の死後で、前社長の性加害については元々知っていて嫌悪していた上にジェンダー論に関心があったため、自分が「眼差す」側になったことにも相当ストレスを感じた。
生まれてはじめて男性アイドルのファンになって初めてしたことは、ユリイカの論考などを読んで、男性アイドルを推すということにどのような意味や罪があるのかを学ぶことだった。それだけ自分のなかでジャニーズの男性アイドルを私が推すということは罪深く自分に合わない行為のように思えたのだ。
男性アイドルを「眼差す」ということについて、消費か愛かわからないから実際に自分も地下アイドルをやってみたこともあった。結論としては、消費であり愛である、ということだった。
しかし、前社長の性加害についてはなんとなく考えることすらタブーであるように感じて論じるのは避けるようになっていた。今思うと先に述べたオタク個人の消費か愛か、なんて議論はこちらの気持ちの問題でしかなくアイドル自身には全く関係のない自分のための問いでしかなかったと思う。
それより、前社長の性加害について、消費か愛か、論じなくてはいけなかったと思う。愛ではないだろ、と結論はすぐに出る問題だが、それがまかり通り、まかり通ったうえで出来上がった事務所にお金を払ったり支持をしたりすることを考えていかなくてはいけなかったと思う。
てか今有事すぎて。有事すぎてオタク個人の感情なんて好きにしたら良いよって次元になってんのがやばい。好きにしたら良いよではないのに。私の感情は消費か、愛か、夜通し語り明かして泣く人がいたりした頃が懐かしすぎる。こんな焦土と化したオタクのTLには、2度と還らないかもしれないかけがえのない日々だ。あんなことで悩めた頃が、懐かしい。
構造と権力の問題に対して、こんなに個人の感情は無力なのかと痛感することもなかなかない。そして私の大好きな人もその世界の真っただ中に生きているということが恐ろしい。
私は物心ついたころから「女として生きること」についてよく考えていた。自分より倍以上年上のおじさんに中学生の頃に顔を見られてはずれと言われたこと、逆に、そのくらいの年の時にこれまた倍以上の年の人にかわいいと言われたこと、高校に上がって自分も周りもナンパや痴漢に遭うようになったこと、ストーカー被害にあったこと、大学に入ってから男の先輩や先生に車で送っていくと言われたときにこの言葉の裏にはなんの同意があるのかわからなくて急に生きるか死ぬかの場面になることがままあること、社会人になって愛想をよくすることは女として見られていることを利用してしまっている気がして上司の私的な誘いが断れなかったこと…
ごく普通のあるあるを私はよく覚えて固執しているタイプなんだと思う。女として生きていたら、今書いたことは体験したり、友達が体験していたりする距離にあるようなよくあることだ。
人間として生きていたのに、急に女として生きていることになっている場面がたくさんある気がする。それは、伝統的に女性は男性から「眼差される」立場にあるから。女性は男性に絶えずジャッジされる存在であるということを大学のジェンダー論で学んだ時、私に必要だった学問を見つけたと思った。私がこの世で1番許せないのは性犯罪者であり、それをもっと薄めた構造はこの世界に散らばっていた。だから、ジャニーズ事務所の崩壊をすがすがしく思っている私もいる。悪(の構造を持ったもの)は必ず報いを受ける。しかしそこに推しがいるから事態は複雑なのだ。
アイドルは見られる存在である。男性アイドルは、男性という「見る」性である上に「眼差される」存在という二重性を持っている。
その上、私の好きなアイドルは、とても「男らしい」価値観を持っているけれど見た目が女性的で、男性ばかりの集団で「姫ポジ」と言われるような女性の役割を背負わされてピンク色を担っている。その多層性が好きで、なんていうかシスターフッドみたいな気持ちで応援していた。アンタのbigな自我をかましてやれ!!という気持ちが強くあった。しかしこれはあくまで私の心の中のことで彼が女性ではないからシスターフッドではないということもわかっていた。わかっていた、のに。
例の社会問題が明らかになると彼は本当にそんな多層性の構造の生きていたんだということがどんどん明らかになっていて本当に悲しくなった。
結局私の心の中のことに帰結してしまった。
10月はジャニオタアカウントで繋がった子たち10人弱で熱海に行く。熱海に行く予定をたてて、本当に良かったと思う。
ぶっ壊れてしまったネットの世界じゃもう何もできない。生身の身体で会って、また夜な夜な色んな話をして泣く人がいたりするかけがえのない時間をみんなと過ごしたい。大きな構造に対抗するには、こういうことが1番大切だと思う。解決とかは、わからない。私は結局私の心の事件の話しか書けない。でも、私は、みんなの心の事件が聞きたい。