比企の車窓から

比企の車窓から

埼玉県東松山市にある「西部・比企地域支援センター」で障害のある方への相談支援の仕事をしています。東松山市を含む比企郡8市町村を東西南北日々駆けずりまわっております。そんな相談支援専門員の日常と昨年world debueした娘との日々を写真入りで綴っています。

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今日は娘の1歳の誕生日でした。

以前、大学の後輩のもっこす君がfacebookで書いていたことを痛感した一年でした。

「命を守る1年」

本当にその通りでした。

昨年の今日18:49にワールドデビューを果たした娘は、本当に危うげで儚くて、でも力強くも見えて・・・

3ヶ月の時から自力排便ができず、「ヒルシュスプルング病の疑い」と言われ、それから暫くは排便との戦い

10ヶ月検診では、「この子は歩くのが遅いかもしれない」と言われ、どうなることかと思いました。

先週は、初めて高熱を出し、「ヘルパンギーナ」を患い、ぐったりとする娘にオロオロしました。

産まれて暫くは、今も時々やってしまいますが、生きているかと心配になり何度も娘の口元に耳を当て、息をしていることを確認してほっとしたものでした。。。

そんな娘も、今では、1日1~2回の自然排便と、

写真のようなやんちゃぶりで、先週の日曜に佐倉の実家で2歩自力歩行をしました。無事1歳前に歩き始めた訳です。

比企の車窓から-やんちゃ娘

これからもドキドキ、ハラハラすることも多いだろうけど、少しずつ娘の成長を見守っていきたいと思います。

最後に、娘を産んでくれた妻に感謝し、

風葵、お誕生日おめでとう。そして、生まれてきてくれて本当にありがとう。これからもヨロシクねちううっ
イベントの告知です。

社会福祉法人昴では、今回の講演会企画で、原発問題を もっと根源的に考え という 意図 があります。 我々が 享受してきた「暮らし方」が、原発の存在を認めてきた 、あるいは求めさえしてきたかもれな 、あるいは求めさえしてきたかもれな いことを自省を込めて振り返たい思うのです。
講演会には、京都大学の 講演会には京都大学の小出裕章氏と茨城大学で農業政策を研究してきた 中島紀一氏お二人を迎え、「人間らしい暮らし とは? 」を 基本的な視座に、原発問題なおそう と考えています。

詳しくは、下記のリンクのチラシをご覧ください。

イベントチラシ
新年まで残り約4時間 思い立ったので、今年1年を振り返ってみる。

昨年11月の待望の第1子が妻のお腹に宿った。そして、新年を迎えて早々の1月7日、忘れもしない、仕事を終えて自宅に帰ると、リビングで妻が号泣している。聞くと大量の不正出血があり、子どもはまたダメかもしれないと。。。 とにかく掛かり付けの医者に電話をし、指示を仰ぐ。翌日急いで、病院に行くと、何とか無事に妊娠を維持できていた。そこから安定期に入るまでは、毎日がドキドキの生活が始まり、本当に長い長い道のりの幕開けとなった。

2月も妻の検診ごとに付き添って、子の無事に胸を撫で下ろす日々。。。

そして、3月。
震災当日は、職場から会議の予定されていた事業所に向かう途中の車の中で地震にあった。ラジオのDJが繰り返し、安全に車を止められる場所で停車しているようにという。自分は、車のハンドルが取られたので、突風が吹いたのかと思ったけど、外の電柱が波打っているのをみて、大きな地震なんだと認識した。その後、会議の会場に到着し、テレビをつけるとお台場のビルが燃えていた。その数分後に、東北の津波の報道。何が起こっているのかよくわからなかった。妻が、その当時、板橋区役所に勤めており、身重であったため、すぐに連絡を入れ、迎えにいこうかと伝えると、もう少し様子を見るとの返答。17時には仕事を上がり、自宅でテレビを見ていると、どうにもスゴい映像ばかり流れていたため、すぐに妻を迎えに自家用車で自宅を出る。17:15に自宅を出て。板橋区役所付近に到着したのが、21:30ころ、そこから妻と妻の同僚を乗せ、自宅に戻れたのが深夜2時ころだった。
翌週から、避難者支援の活動を開始。

4月
東松山市自立支援協議会で、被災地支援に行くことを検討し始め、先遣隊として4月半ばに社協のメンバー3人と自分の車で、石巻市、東松島市、仙台市を視察に行く。当初、身重の妻を残していくことに躊躇したけど、業務命令でこの時は腹をくくって向かった。
その時の様子は、ブログに書いたと思うので割愛。色々なことを感じ、色々な人に出会った月でした。

5月
GWに被災地支援へ。自分は多賀城市の災害支援ボランティアセンターに行って支援をする。

6月
埼玉県障害者相談支援専門員協会の菊本代表が段取りし、継続的な被災地支援を行うために、相談支援専門員を1週間単位のチーム支援を開始。この時は、自分も積極的に参加したかったけど、日々お腹が大きくなる妻をおいては行けないため、参加を断念。側方支援に回る。
この頃、子どもは順調にお腹の中で成長が確認され、ドキドキ感は少し落ち着いてくる。また、女の子だということもわかり、男の子が欲しいと思っていた自分はちょっとだけがっかりしたこともあったけど、その後、出産準備で妻と色々なものを買いにいき、一緒に選んだことは、とても楽しく幸せな一時だった。

7月
また一つ年を取るが、そろそろ出産しても良い時期に入ってきて、まだかまだかと毎日やきもきする。

8月
予定日をすぎても一向に生まれる気配がなく、結局入院し、陣痛促進剤等を使用した。そしてついに8月24日18時50分3,374gで元気な女の子が生まれた。生まれるまで、自分と嫁のハイブリッドな子が生まれてくると勝手に思っていたため、自分にソックリな子どもの顔を見て、正直戸惑った。

9月
妻の実家と自宅と職場を行ったり来たりの生活。生まれたばかりの子は本当に小さくて、危うくて、愛おしくて、早く自宅に戻って一緒に生活したいと思っていた。毎日生きていることにほっとしていた日々。

10月
自宅での生活の落ち着き、ようやく自分の子どもをかわいいと思え始める。ていうか、既に世の中にこんなにかわいい子がいるのかと思う親ばかっぷり。後半から、どうも排便がないことに妻が気づき始める。

11月
近所の小児科通いの日々。「ヒルシュスプルング病」の疑い。S字結腸が無神経状態で、自力排便が困難とのこと。毎週、病院で浣腸をしてもらい、排便する。それ以外は何の問題もなく、とても元気に育っている。

12月
自宅でも浣腸ができるように処方される。また、年明けに専門医に診てもらうことを決める。体重も7Kgを超え、首も座り、安定感が増してくる。来客にも笑顔を向け、父譲りの外面の良さを発揮している。

子どもができて、生活が一変した。仕事が思うようにできなくなった。でも、毎日家に帰ることが楽しく、娘を風呂に入れることが何よりの癒しの時間。

来年もまだ、もう少し育児を楽しんで、仕事もできる限りがんばるけど、暫くはバランス取りながら家族優先で行きたいと思う。

とにかく、本当に大きなエピソードがいくつもあった1年だったけど、来年はみんなが無事で、幸せに過ごせる1年になってほしいし、したい。

そして、妻と娘への感謝を忘れずに、一緒に成長していきたいなと思います。

今年1年ありがとうございました。皆様、良いお年をお迎えください