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 限界集落とは人口の50%以上が65歳以上で、農業用水や森林、道路の維持管理、冠婚葬祭などの共同生活を維持することが限界に近づきつつある集落のことを指す。

 昨今ではいずれ消滅するであろう集落は年々増えている。

 

 話は変わって「公務員」と聞くと皆さんはどう連想するだろうか。「給料が安定している」「確約された終身雇用」等々民間企業に比べ安牌な仕事というイメージが強いのかも知れない。特に高齢者の偏見としては高給取りというイメージが強いようだ。

 

 その約束された平穏は終わりを迎えようとしている。僕らも入庁する前は公務員は“九時五時“という言葉があるように定時出勤、定時退社が当たり前だと思っていた。しかし、現実は甘くなかった。休日返上は当たり前になり、時間外は予算が尽きれば終了。ひどい場合は予算が尽きないように調整するため同調圧力が働く。選挙や災害が起きれば夜通しで仕事をし、その代休はない。確かに大きい自治体では人材があればそれでも回る。

 

 しかし、小さい自治体ではそうはいかないのだ。休みを取っても、誰かが故障をしても替えが効かない。どんなに時間外の予算が無かろうが、代休が取れなかろうが、同僚が故障しようが、どんなに使えない人材が担当になっていようが行政を回すには仕事をしなければならない。よく会社が舞台のドラマで「お前の替えはいくらでもいるんだよ!」というセリフがあるが皮肉にも贅沢に聞こえる。(主人公には申し訳ないが)

 

 自治体職員はすでにブラック化しており、体質的にブラックなら目を潰れても、自治体自体は倒産することはない。役所職員は底に穴の空いた泥舟の穴を塞ぎながら永遠の航海をし続けなければならないのだ。こうなってくると公務員の特権である“確約された終身雇用“もある種永遠の奴隷契約書に思えてくる。公務員は法律上“全体の奉仕者”ではあるが奴隷ではない。

 

 “全体の奉仕者“という言葉でつなげるが、役所の窓口で対応する住民は金持ち、困窮する人、ヤ⚪︎ザと多様だ。ただ、共通して言えるのは、ここにくる人らは遊園地にくるようなハッピーなお客ではない(婚姻届以外はね)。テンションとしては並かそれ以下。感謝は滅多とされない、最悪その日の機嫌が悪ければ当たられることしかない。

 

 それでも公平、公正に同じ対応でサービスをしなければならない。それが公務員の義務であるのだ。それを感じた時点ですでにそこには昔就職説明会で腐るほど聞いた“やりがい“は消え去っていた。

 

 テレビでも見ると思うが“俺たちの血税で食ってるくせに。”と税金も払ってないやつから言われたことがある。

 

 政治に興味がある(笑)な人らはしばしば“血税“という言葉を使う。文字通り彼らが汗水垂らして頑張って稼いだ金から徴収された税ということだ。“役所は楽して国民が稼いだ金を巻き上げていく。“そう見えているのであれば、そう言われるのはごもっともだ。しかし、税金を毎年度賦課するのも、徴収するのも仕事だ。

 

 先ほども言ったようにギリギリのところで身体も心もすり減らしながらその仕事をしている。話は戻るが僕は税金では食っていないし、食わしてもらっていない。僕は仕事をした対価として給料を貰っていてそれで食っている。税金はあくまで財源だ。“税金で食っている。”という話が成立するなら、僕はいつもプレステで遊ぶのでソニーの社員を食わしていることになる。言い回しはかっこいいが実際には狂人の戯言でしかない。

 

 さて、話が脱線して愚痴になってしまったが、偏見などからこう文句を言われるのも公務員という仕事の宿命ということである。しかし、こうした理不尽な文句もまたストレスとなり病んでしまう職員も少なくないのだ。そういう人らを日々相手にしていると頭の片隅にでも覚えておいてもらいたい。

 

 自治体はどこも人口減少に面しており、その一部は消滅可能性都市と呼ばれている。しかし、それによる自治体の消滅よりも先にその行政を回す公務員らが限界に近づきつつある。

 

 実際市町村職員の若者の離職は珍しくない。辞めないのは転職も厳しい中高年の職員、何も考えることをやめ自らを事務作業をする機械と化した中堅職員、終身雇用が産んだ悲しいモンスターの無能職員か、いつかは報われると幻の光を追い続ける新人程度ぐらいだろう。

 メインエンジンになる3、40代は現状に限界を感じ退職してしまうのが現実だ。

 新規採用は定員を割り続ければ職員数は条例に規定されるよりもはるかに少ない定数で運用していくことになる。

 このまま突き進めばいずれは運用が回らない自治体はたくさん出てくる。消滅する限界集落よろしく、公務員もまた限界なのだ。