すごく疲れてるのに頭のどこかがずっと興奮していて眠れない。
頭に散らばる取り止めのない思いを推敲なしで書きます。
苦しそうな母を見るのが辛かった。
延命でここまで苦しませてしまい、母に申し訳なくて今でも罪悪感に苛まれる。
母が亡くなって安堵したのも本音。
この苦しみから解放してあげれる。
でもそんなシンプルじゃなかった。
葬儀を終えてから大きな波に飲まれている。
最後、一緒にいたかったな…
誰よりも母のそばにいたかったのにできなかった。
後悔がないと言えば嘘になるけど、自分の中で納得はしている。
母とのことを、まわりからあれやこれやと色々言われてしんどい。
でも自分の中で納得できていると周りの声に動じなくて済むと知った。
母の生き様、死に様、目に焼き付いている。
「死の壁」で身近な人の死は避けて通れない。しかしこの体験をこの後の人生に活かすも殺すもあなた次第、みたいな文章があったように思う。
すごく沁みる…。
どんどん弱っていき、遠からず来る母の死にいつも怯えていた。
受け入れがたく、何度も泣いた。
でも心の準備はできたから、死を迎えても拒絶はない。
喪失感と罪悪感と安堵感と、形容し難い感情の波に翻弄されてぼんやりするけど眠れない。
母の病院には霊安室がなかった。
7時過ぎに息を引き取り、9時半には病院を後にした。スピード仕事。
病棟の看護婦さん、スタッフさん、院長先生までもが整列して見送ってくれたのが嬉しかった。
母はこの病院に30年お世話になった。
葬儀にあたって、決めなければいけないことがたくさんあったのだけど、印象的だったのはとにかく火葬場の予約を早く抑えますよ!と静かに圧をかけられたこと。
それくらい今いっぱいなんだって。
火葬ができないと安置する日が伸びてまた大変。火葬場はフル稼働。
見えないだけで、街の中では沢山の人が亡くなってるんだね。
火葬している間の待合室は共同なんだけど、不思議な空間でした。
各ブースというか、なんとなく分けられていて、遺影が飾ってあってそれを見ながら
精進落としのお弁当を食べるという…
すごい大人数なの、大きな街の施設だし。
でも売店もあるからサービスエリアみたいなんだよ。ざわつきながら食事をしている足元で、母は骨になっていく。
待ってる側から館内放送が流れて収骨に向かうシステム。
すごい不思議空間。きっと一生忘れない。
火葬自体は何度も立ち会っているのですが、さすがに母のが一番心にきました。
場所を調べず行ったのだけど(マイクロバス)、大きな道から急に側道にそれて、すごい急角度の坂を登りはじめたから、すぐに火葬場とわかりました。
あの鬱々とした木々の緑もなんとなくずっと覚えている気がします。
病気の影響で、お骨はほとんど残っていませんでした。
周りはかわいそうと呟いていたけれど、母が病気と闘い抜いた証だよ、と心の中で思いました。
お骨との対面は心がえぐられましたが、あまり残っていなくて少し安堵したのも確かです。
だってやっぱり、見たくないよ…。
少ししかないから「そういう物体」と思って心の安定をはかりました。
なんとなく母は骨になっても、
死んだからしゃーない、とあっさり思ってるような気がしています。
母は誰よりも自分の死を受け入れているような気がしています。
私がそう思いたいだけかもだけど。
しっかり生きてしっかり死のう。
色々な思いが溢れて眠れないよ。
でも今日寝なくても死なないや。
眠くなったら昼寝るよ。