最近ずっと憂うつ感というものに襲われてて再起不能の状態にしているんですが、目に入ったすべては急に、全部無意味だと捉えていて、日常の仕事はもちろん、かつて好きだったものも無意味だと判断するようになるのは、とりあえず辛かったです。
ここで自然に思い出すのは、当然、あの哲学臭い質問として
私はいったい、何のために生きているのですか
という、どうしようもない質問でした。
でも、今日、ピンとくるときがやってくる。
無意味はマイナスな捉え方よりも、真実なのではないでしょうか?
この世は無意味、そのままにしても悪くはないのでしょうか?あえて意味づけしてもやはり、虚しいそのものじゃないですかって。
理屈も簡単。もしすべてのものにはきっと意味があるのだったら、意味付けという言葉はまず、必要なくなったのに。でも、意味付けをすることこそ、人間的だと思ったら“意味”そのものはむしろ、人間に限定されるものはずです。
こういう虚しい質問と悩みとずっと苦闘していることに気づいた瞬間、自分は虚しい人間ということも初めて明らかにわかっている。
虚しいを明らかに認識するという発言自体もとても虚しい(汗)
定義を見て見れば
虚しい:
形だけで中身がない。
何の役にも立たない。結果が何も残らない
確実でない。頼りにならない
などなど、
虚しい自体は本来、認識されるもの対象から外れるのだった。
でも、今日、今この時点急に、自分の虚しさをはっきりわかっているなんて本当に、虚しいですね。
だから、何も役立たないって何が悪いか?中身のないってどこが悪いか?所詮、この世にはきっと、そういうものも存在しているはずだという確信ができるかぎり、避けることも、嫌うことも要らず、素直に受け止めていい。純粋数学も理論物理学も哲学も、一番虚しい形を有している“法則”を求めているのでしょうか?虚しいそのものは、生き方の一つだと、わかっているときが来ました。
強がりでもはく、投げやりな態度ではなく、平常心で、うん、虚しいは虚しいけどそれでもいいって思ってみようかという、新しい展開を目指してみます。