久々なんですけどカナやんの歌詞への理解をふいに勝手に書きたくなるので書きます。
まずは表題曲の「好き」
この曲ですね、言えることはただ一つ、全然共感できない一曲です(>_<) というのも、カナやんによれば、今回の曲の設定として、「ピュア」、つまり、何気ない日常の中で、考えるわけではなく急に日常での恋心に気づいた瞬間、自分でも驚いた気持ちを描写する曲でポイントなのは、日常の中でずっと付き合っている男性がいるというわけですが、カナやんや多くのファンもたぶん、そんな設定で日々を過ごしているのに対して私の場合ではちょっと「おかしすぎて」日常で付き合っているくらいの女性(そういう女性って母さんや姉さんを含めないのは妥当だろう)がいなかったんです(汗)もちろん外に出かけると男と女しかいないけどそんなに出会いに恵まれないのは私だけ??経験したことのない今回の曲の設定だからこそ何とも言えないのは当然。それにしても気になったところは一つある。カナやんによるとピュアの定義は次のようになるはず。公式ブログより
「頭で考える恋愛じゃなくて、
心まで全てが勝手に動いてしまうような恋」
この意義で改名するときがやってくるわけですか(汗)私は一応、理屈を立てて論理的な説で相手を論破することに憧れるやつなのでどうやら、
理屈の双子座 -> 濁った双子座
と改名しなければならないようです(>_<)
要するに、「好き」が好きですよ(笑)一応、「そんな恋がしたい人」だから。
次は「Never Know」という曲。Kana Channel Vol. 24でもカナやんがその解説を少し触れてくれたんですけど、「好き」の次の段階に入った乙女の恋心を描写する曲なんです。歌詞自体は懐かしいカナやんならではの詰め寄るものですね。それはそれでいいんですけど昔の詰め寄る系の曲とかなり異なってきてもっと興味深くなる(笑)昔の詰め寄る曲、たとえば、「もっと…」というと
「Oh! 誰といるの?どこにいるの?返事ないままじゃ、眠れないよ。メールも電話も“会いたいも”いつも全部私からで」
というような感じで、乙女のややシンプルな心境を表現しているのに対して、「Never Know」は、働く女性からの“詰め寄る”を実感させている。たとえば、高校生のころの乙女は視界がより狭くていつも「彼」にだけ絞って詰め寄る。一方で今回の「Never Know」に登場する主人公はやっと、もっと広い視点で彼を「生き物」という漠然とした部類に入れて質問をしているわけです。
「Oh Why? 同じ生き物なのにどうして 謎だらけの頭の中は」
こうだったらすぐに答えるわけではないでしょう?
同じ生き物なのにどうして 謎だらけの頭の中ではいったい?って私もカナやんに詰め寄りたくなるくらいの興味深さだと思います(笑)
「Baby I know 誰より君のすべてを知ってるのに、でもどうしてもあの子じゃなきゃダメなの?so tell me why」
という「会いたくて 会いたくて」の歌詞なんですけど、高校生の女の子は簡単に彼のすべてを把握しているという自信までも持って恋が間違わないはずだったのにどうしてうまくいかないのかという悔しい気持ちを抱きながら叫んでいるのに対して、「Never Know」は、「誰よりも君のすべてを知ってる」と“自慢”するのではなく、細かいところで考えたり検討したりして、たとえば、「いつまでも返事がないメッセージたったひとつも」という件について試行錯誤の検討が歌詞に現れています。
「本当に忙しいのか」
「もう寝ちゃったかな」
「もしくは1, 2行 見ててもあえてスルーしたかも」
とかです。
男であるものの私って謎だらけじゃなくて、むしろ、お金も才能も彼女もいっさい持っていないくらいの「一目瞭然」のへなちょこの男(泣)だからあんまりこれらの詰め寄る質問に答えられないんですけど、男ってやっぱり単純(事象から判断をして行動するという意味の単純さかな?)な生き物だから、たとえば、デートなのにアクション起こしてくれないというのは、男の世界で最初のところから存在し得ない話だと思います。というのも、女の子にとってデートそのものは、男にとってもそうであるとは限りませんし、もし同じくそれをデートとみなしたらアクションを起こさないわけはない。男はね、いったん女の心をもう手に入れるのを確実視にしたらつい自慢し始めてこの女がもう俺のものだと思い始めた上で、告白はいつでもできることになる。逆に言うと、それはデートじゃないと思うからこそ、アクション起こしていない。デートは本当に微妙なものですね。どんなものがデートと定義すべきなのかは簡単に言い切るわけではないし、一緒に食事をしたり買い物をしたり手伝いを誘ってくれたりしても、それはただ、彼女にとって俺だけのプチ価値、もしくは、彼女の優しい性分でしばらく一緒にいることを許してくれるだけ、彼女からの同情に近いものと思う男性もいるかもしれません。つまり、心理的な距離にいるからこそ、たとえ事実として彼女も恋心を持っていても、その察知は難しいのです。その救いとしてはもちろん、女性からはっきりと教えてくれるにもかかわらず、カナやんの歌詞の通りに、
「本当は大好きで仕方ないこと だってそんなこと キミだけには 絶対言えないもん」
結局、お互いにも相手の本音をずっと知らない「サイクル」に落ちるのかもしれません…
要するに、「デート」への定義、男女によってその定義も多くのバリエーションが起こっているためその解決案も一定していないことになっている。
恋を一度もしないやつだからそろそろ終わるべきところですが、特に好きな歌詞として
「君の気持ちはベストセラー“恋愛のルール”にも書いていないし Oh」
(笑)(笑)
そして、「I Say No」
カナコメでも書いたんですが、そんなカナやんがこんな歌詞を書くことはあり得ないくらい、びっくりしました。まず、カナやんへの私だけの勝手な先入観を述べるべきです。
カナやんは光源のような存在だから、いつ点灯するか消灯するかカナやん次第だと思う。そんなカナやんは、たとえ一時的に迷っていても、すぐにその混迷の中で自分らしさを取り戻してまたまっすぐに歩き出すはず。ゆえに「I Say No」に出るいくつかの歌詞は思いもよらなかった。
「週末までを数えて無事に今日が終わるように全てを“Yes”で片付けていく」とか
「人ごみに流されたら家には辿り着けるけど」とか
そんなどうしようもないことはカナやんには起こり得るのか??私の先入観によれば、
週末までも忘れるくらい忙しい日々を過ごしているのはカナやんのこと
人ごみに流されることよりも自分から人ごみを流すのはカナやんのこと
ファンの皆さんもそう思っていますか??
いくら信じられなくてもカナやんの歌詞は確実に、私という暇人の心境を書いてくれました。最近より悪い方向へ“成長”していたんですが数えるのは週じゃなくて年を単位にして“あっ、もう2014年の年末の近くだった。時間だけが変わっていても私の人生は相変わらず空っぽのまま”と嘆きながらやけくそに生きてきた自分…人ごみや運命に流されてばかりいて虚しさへと漂っていく気がして…Jeffさんの作曲に合わせてカナやんの絶妙な歌詞が響いているこの「I Say No」は、繰り返して聴いたり読んだりすることで検討する価値がある一曲だと思っています。
カナやんへの理解が間違ったというか、そもそも私の世界観はカナやんよりもずっと狭いからカナやんのことを見極めないのも当たり前だし、こんな感じでカナやんへの理解を少しずつ補っていくことも楽しみです。
そして、気になる歌詞として「涙の数だけ」シリーズのフレーズ、つまり、
「涙の数だけの悲しみを抱きしめて」
「涙の数だけの強がりを抱きしめて」
「涙の数だけの過ちを抱きしめて」
「涙の数だけの輝きを抱きしめて」
ということになる。そして、
「自分の居場所を探してる
同じ仲間見つけたら
今日は笑っていられても
またすぐに不安になる」
気持ちはまさにそっくりそのままでした…
まずは表題曲の「好き」
この曲ですね、言えることはただ一つ、全然共感できない一曲です(>_<) というのも、カナやんによれば、今回の曲の設定として、「ピュア」、つまり、何気ない日常の中で、考えるわけではなく急に日常での恋心に気づいた瞬間、自分でも驚いた気持ちを描写する曲でポイントなのは、日常の中でずっと付き合っている男性がいるというわけですが、カナやんや多くのファンもたぶん、そんな設定で日々を過ごしているのに対して私の場合ではちょっと「おかしすぎて」日常で付き合っているくらいの女性(そういう女性って母さんや姉さんを含めないのは妥当だろう)がいなかったんです(汗)もちろん外に出かけると男と女しかいないけどそんなに出会いに恵まれないのは私だけ??経験したことのない今回の曲の設定だからこそ何とも言えないのは当然。それにしても気になったところは一つある。カナやんによるとピュアの定義は次のようになるはず。公式ブログより
「頭で考える恋愛じゃなくて、
心まで全てが勝手に動いてしまうような恋」
この意義で改名するときがやってくるわけですか(汗)私は一応、理屈を立てて論理的な説で相手を論破することに憧れるやつなのでどうやら、
理屈の双子座 -> 濁った双子座
と改名しなければならないようです(>_<)
要するに、「好き」が好きですよ(笑)一応、「そんな恋がしたい人」だから。
次は「Never Know」という曲。Kana Channel Vol. 24でもカナやんがその解説を少し触れてくれたんですけど、「好き」の次の段階に入った乙女の恋心を描写する曲なんです。歌詞自体は懐かしいカナやんならではの詰め寄るものですね。それはそれでいいんですけど昔の詰め寄る系の曲とかなり異なってきてもっと興味深くなる(笑)昔の詰め寄る曲、たとえば、「もっと…」というと
「Oh! 誰といるの?どこにいるの?返事ないままじゃ、眠れないよ。メールも電話も“会いたいも”いつも全部私からで」
というような感じで、乙女のややシンプルな心境を表現しているのに対して、「Never Know」は、働く女性からの“詰め寄る”を実感させている。たとえば、高校生のころの乙女は視界がより狭くていつも「彼」にだけ絞って詰め寄る。一方で今回の「Never Know」に登場する主人公はやっと、もっと広い視点で彼を「生き物」という漠然とした部類に入れて質問をしているわけです。
「Oh Why? 同じ生き物なのにどうして 謎だらけの頭の中は」
こうだったらすぐに答えるわけではないでしょう?
同じ生き物なのにどうして 謎だらけの頭の中ではいったい?って私もカナやんに詰め寄りたくなるくらいの興味深さだと思います(笑)
「Baby I know 誰より君のすべてを知ってるのに、でもどうしてもあの子じゃなきゃダメなの?so tell me why」
という「会いたくて 会いたくて」の歌詞なんですけど、高校生の女の子は簡単に彼のすべてを把握しているという自信までも持って恋が間違わないはずだったのにどうしてうまくいかないのかという悔しい気持ちを抱きながら叫んでいるのに対して、「Never Know」は、「誰よりも君のすべてを知ってる」と“自慢”するのではなく、細かいところで考えたり検討したりして、たとえば、「いつまでも返事がないメッセージたったひとつも」という件について試行錯誤の検討が歌詞に現れています。
「本当に忙しいのか」
「もう寝ちゃったかな」
「もしくは1, 2行 見ててもあえてスルーしたかも」
とかです。
男であるものの私って謎だらけじゃなくて、むしろ、お金も才能も彼女もいっさい持っていないくらいの「一目瞭然」のへなちょこの男(泣)だからあんまりこれらの詰め寄る質問に答えられないんですけど、男ってやっぱり単純(事象から判断をして行動するという意味の単純さかな?)な生き物だから、たとえば、デートなのにアクション起こしてくれないというのは、男の世界で最初のところから存在し得ない話だと思います。というのも、女の子にとってデートそのものは、男にとってもそうであるとは限りませんし、もし同じくそれをデートとみなしたらアクションを起こさないわけはない。男はね、いったん女の心をもう手に入れるのを確実視にしたらつい自慢し始めてこの女がもう俺のものだと思い始めた上で、告白はいつでもできることになる。逆に言うと、それはデートじゃないと思うからこそ、アクション起こしていない。デートは本当に微妙なものですね。どんなものがデートと定義すべきなのかは簡単に言い切るわけではないし、一緒に食事をしたり買い物をしたり手伝いを誘ってくれたりしても、それはただ、彼女にとって俺だけのプチ価値、もしくは、彼女の優しい性分でしばらく一緒にいることを許してくれるだけ、彼女からの同情に近いものと思う男性もいるかもしれません。つまり、心理的な距離にいるからこそ、たとえ事実として彼女も恋心を持っていても、その察知は難しいのです。その救いとしてはもちろん、女性からはっきりと教えてくれるにもかかわらず、カナやんの歌詞の通りに、
「本当は大好きで仕方ないこと だってそんなこと キミだけには 絶対言えないもん」
結局、お互いにも相手の本音をずっと知らない「サイクル」に落ちるのかもしれません…
要するに、「デート」への定義、男女によってその定義も多くのバリエーションが起こっているためその解決案も一定していないことになっている。
恋を一度もしないやつだからそろそろ終わるべきところですが、特に好きな歌詞として
「君の気持ちはベストセラー“恋愛のルール”にも書いていないし Oh」
(笑)(笑)
そして、「I Say No」
カナコメでも書いたんですが、そんなカナやんがこんな歌詞を書くことはあり得ないくらい、びっくりしました。まず、カナやんへの私だけの勝手な先入観を述べるべきです。
カナやんは光源のような存在だから、いつ点灯するか消灯するかカナやん次第だと思う。そんなカナやんは、たとえ一時的に迷っていても、すぐにその混迷の中で自分らしさを取り戻してまたまっすぐに歩き出すはず。ゆえに「I Say No」に出るいくつかの歌詞は思いもよらなかった。
「週末までを数えて無事に今日が終わるように全てを“Yes”で片付けていく」とか
「人ごみに流されたら家には辿り着けるけど」とか
そんなどうしようもないことはカナやんには起こり得るのか??私の先入観によれば、
週末までも忘れるくらい忙しい日々を過ごしているのはカナやんのこと
人ごみに流されることよりも自分から人ごみを流すのはカナやんのこと
ファンの皆さんもそう思っていますか??
いくら信じられなくてもカナやんの歌詞は確実に、私という暇人の心境を書いてくれました。最近より悪い方向へ“成長”していたんですが数えるのは週じゃなくて年を単位にして“あっ、もう2014年の年末の近くだった。時間だけが変わっていても私の人生は相変わらず空っぽのまま”と嘆きながらやけくそに生きてきた自分…人ごみや運命に流されてばかりいて虚しさへと漂っていく気がして…Jeffさんの作曲に合わせてカナやんの絶妙な歌詞が響いているこの「I Say No」は、繰り返して聴いたり読んだりすることで検討する価値がある一曲だと思っています。
カナやんへの理解が間違ったというか、そもそも私の世界観はカナやんよりもずっと狭いからカナやんのことを見極めないのも当たり前だし、こんな感じでカナやんへの理解を少しずつ補っていくことも楽しみです。
そして、気になる歌詞として「涙の数だけ」シリーズのフレーズ、つまり、
「涙の数だけの悲しみを抱きしめて」
「涙の数だけの強がりを抱きしめて」
「涙の数だけの過ちを抱きしめて」
「涙の数だけの輝きを抱きしめて」
ということになる。そして、
「自分の居場所を探してる
同じ仲間見つけたら
今日は笑っていられても
またすぐに不安になる」
気持ちはまさにそっくりそのままでした…