インドの言語現場を言うとその言語環境はとっても複雑で日本やドイツのように日本語やドイツ語を、それぞれの国語に限定することはできない。とにかく、インド語というものはいっさい存在しません。一番知られているヒンディー語でも圧倒的な言語地位を占めているわけではない。どっちも圧倒的な勝利を収めていないというインドの独特な言語現象は、古典サンスクリット時代にまでも、遡られているようです。実は、サンスクリットは、インド・アーリア(Indo-Aryan)と呼ばれるもっと大きなインド語族に属している一つの方言にすぎない。もしベーダという宗教文献がなかったら、パーニニという文法家がいなかったら、我々はサンスクリットの存在を知り得なかったはず。いや、そもそもサンスクリットへの認識も最初から不可能だったと言ってもよい。

ある人類文明がある程度にまで発達したら文字の発明とその使用も自然の成り行きでしょう?エジプト人と中国はもちろん、ギリシャもその話に通用しているのですが、インドの場合はちょっと微妙で文字の使用は、その文明発展の速さにしてはずいぶん、遅いというわけです。

ギリシャ文明の最初の文学作品のホメロス(Homer)に相当するのは、インド文明の場合で言えば間違いなくベーダ(Veda)です。両者も本来、文字の伝承ではなく口頭で伝えてきたが、文字として残っているのはその後のことです。ホメロスは、古代ギリシャ人にとってそれほど大昔のものではないし、ただいくつかの方言で作成された著作として受け止めているようです。一方でもっとも古いとされているベーダとしてリグベーダ(Rͅgveda)がありますが、大辞林によるとその作成は紀元前1200~1000年(これについてほかの説もあるけど)のころですが、高度な文学作品が早くできあがるにもかかわらず、インドでの文字の発足とその使用は早くも紀元後のころとなっている!言い換えると1000年間くらい、ベーダは文字のないままで時代を超えているわけ!

おもしろいことにそれらの古いベーダはようやく、パーニニ(紀元前4世紀)の時代に辿りついたんですが、ベーダ語(Vedic Sanskrit)と呼ばれる言語で記述されている(文字での記述じゃないけど)。完全に読めないくらいじゃないけどパーニニ、そして、パーニニと同じ時代の学者たちにとっても親しく話している自分の母語とかなり異なった言語として捉えているのは確かだ。ベーダ語を規定する理由や目的はもちろん、その規定に使われる基準と系統がどうように発展されるのかについていっさい知っていないのです。確かなのは、ベーダ語をよりコンパクトで体系的に規定するための4000ルールからなるアシュターディヤーイー(Asͅtͅādhyāyī)は、文法の聖書となって後世のヨーロッパ学者からの大きな賞賛を博していてそれに対する熱狂な研究も盛んに行われている。ここで一つの興味深い質問が思い浮かびますが、前にも言った通りにインドの文字は早くも紀元後のものですが、パーニニは紀元前4世紀ころの人物ですからつまり、紙などの媒介に書く手段はいっさいないという、厳しそうな言語環境でベーダ語に対して高度な文法規則による限定を施すなんて、そもそもそれは、あり得るものか????少なくとも音声だけの言語に対して数百のルールじゃなくて4000近くのルールで限定する必要はやっぱり、あるものか???よく考えてみよう!私の母語である広東語はまさに、そのような言葉なんですが、音声だけはよく知っているけどその音声に対応する文字がすっかりわからない場合はしょっちゅうです。そして、そんな広東語の文法をパーニニのように限定する人はあんまりいないと思う。もしそのための気力があったらもっぱら、公用語である中国語にしか、専念するほうがもっと効率的という話です。ギリシャ文明の場合も考えて模様。ギリシャ語を表記するための文字が文明の発展とともに早くからもう発達しているものの、古代インドに匹敵する文法研究は、一つも見つからないなんて!それだけでなく、文字の伝承は存在しないから文法ルールを作成する際にして、記憶しやすいよう作るべきだし、正確な文法ルールを講じるための工夫を凝らしているのも当然。とはいえ、4000近くのルールだからこそ、記憶に大きな負担を掛けているに違いません!それに、一つ一つのルールを紙面(あるいは、そのようなもの)に書いてゆっくりと検討する手段もあり得ないのでつまり、すべても頭の中で行わなければならないというわけなのか?音声の想起だけでも十分なのか???それは現代人の目ではやはり摩訶不思議のこと!!!!

音声を思い浮かべながら4000近くの文法ルールを定めるなんて想像はついていないけどおそらく、パーニニも記憶に優しいルールを作成するために、カナやんが音楽のリズムに乗せながら歌詞制作を進めるような風に、それらのルールを制作するのではないでしょうか?(笑)

じゃあ、その素晴らしさを誇っているパーニニのアシュターディヤーイーも完成したらすぐに、たとえば、古典ギリシャ語のように、ギリシャ全領域で流行って文学作品から正式な文書までその作成に使われているはず。しかし、そのような話は、古典サンスクリットには通用していない。それよりもむしろ、サンスクリットに対する、一般民衆の間で流行ってる、プラークリット語(一つの言語じゃなくてインドで使われる諸語)と呼ばれる中期インドアーリア語(Middle Indo-Aryan Language)は、主流となっている。

パーニニ以来、古典サンスクリットで作成される文学作品はあんまりないし、当時の仏教とジャイナ教の教典もサンスクリットで著作されていなかった。

古典サンスクリットで著書する人物として、馬鳴(Aśvaghoṣa)と呼ばれる仏教詩人がいるなんですけど、紀元後100年前後の人物なので、紀元前4世紀のパーニニ時代からもう数百年も過ごしていたわけです!そして、紀元前4世紀でもう確立されたパーニニの古典サンスクリットを本格的に使って文学作品を創作するのは、紀元後4~5世紀のカーリダーサと呼ばれるインドの詩人の登場まで、また7~800年間待たなければなりません!!それに、もっと興味深いのは、今、サンスクリットを表記するのに用いられる、デーヴァナーガリーという文字なんですけど、紀元後10世紀ころに発達している文字なのでその歴史は古典サンスクリットよりもずっと“若い”!つまり、デーヴァナーガリーは決して、パーニニによって認識される文字ではない!それは、ギリシャ文明とローマ文明はもちろん、中国文明でもそういうことはありません。後世の言語学の研究方法にまでも大きく影響している、紀元前4世紀でもう繁栄して咲き誇っている古典サンスクリットは、その表記のための文字を持っていないなんて皮肉なこと。

その文法が高度に発達するにもかかわらず表記のための文字がない古典サンスクリットはさすが、おかしすぎると思っているけどそのおかげで、古典サンスクリットによる文学作品も高い不変性を守っている。古典ギリシャ語と古典ラテン語の場合でも、時間の流れとともにどんどんその「古典性」を失っていてそれぞれコイネーと俗ラテン語に変わっていく。古典サンスクリットの場合では本格に通用語として使われているときにもう、死語になってしまいましたし、古典サンスクリットへの認識も、当時のインド人の母語であるプラークリット語のように当たり前なものなのではなく、まるで外国語のようにパーニニの文法を頼りにしっかり勉強しなきゃはず。これで古典サンスクリットへの認識も、パーニニの文法の仕組みに絞っているからこそ、サンスクリットの運用も固く定着しているわけです。

ということで今回も、どうしようもない一言を書いちゃいましたm(_ _)m