最近ツイッターで次のようなツイートを見つけておもしろいと思うからここに転載します(笑)
国語:もう日本語わかる
数学:将来役立たない
理科:実験とか興味ない
社会:過去を振り返っても意味ない
音楽:カラオケで十分
技術:大工さんになるつもりはない
美術:絵ぐらい誰でもかける
英語:ここ日本
勉強=いらない
かなり昔の自分もそう考えていたんだけど、社会人になって今では、勉強の意味を少しずつ察知しているので今回のブログ。と言っても、「いつ終わらんのお説教」をするつもりはないので安心してください(汗)実は、10代は勉強に一番強い時期だけど勉強の意味はなかなかわからない。逆に年を取るとともに勉強の意味をどんどん知るようになっているけど勉強力が衰えている。なんと皮肉な話なのだろう。
日本の皆さんはもちろん、毎日も当たり前に日本語を話しているので別に国語を勉強しなくても当然わかると思っている。学校のやり方は大体、自国の古典文学を教材にして一つ一つ教えているだろう?個人的にはこのやり方は衝撃感が不足して自国の言語の本当の美しさを生徒に実感させることはできないと思う。むしろ、外国語を勉強したつもりであえて日本語で何かの外国語を教えるほうがもっとおもしろいでしょう?
最近、ずっと前に買ってきた日本語調和文法の発掘という本をほんの少し読んでみたが、最初に著者さんは、ドイツ人の詩人のゲーテの言葉を引用しているんですが次のようです。
「異国の言語を知らない者は、自分自身の言語について、何一つ知らぬ。」
それについて著者さんは、立派な解説をされてくれるので引用します。
「日本語の言葉の森の中で日本語の語法を探ろうとしても、「森にあって森を見ず」に終わることは先人の説いたところです。」
個人的にはこの説にすごく同感している。だからといって外国語を勉強したつもりで国語の教育を展開するなんてやはり妥当な話にはならない。それはあくまでも理想の話で教育現場も考慮に入れたらやはり無理だと思う。国語の授業と称しても外国語ばかり教えるなんておかしすぎる(;^_^A
数学=将来役立たない…今はもちろん、役立たないところは一つもないと言いたいところなんですけど確かに、学校のやり方に従えば本当に、そういう雰囲気ですね。実は数学という教科の授業はとっても難しいと思う。というのも、数学への理解に際して一番重要なのは、計算や解の探求じゃなくてそれらの計算や解の裏に隠れるコンセプトにあるにもかかわらず、コンセプトというとやっぱり、抽象的なものでそれ自体だけでは表現できないし、かなり年が重ならなければ抽象的なものへの理解も困難なのでより具体的な計算や方程式の解への追求を通して説明しなければなりません。しかしそうするとまるで数学=計算と宣言しているようにそれで、数学の本質も見失いやすくてただ無味乾燥の計算になっちゃったからです。それと接する生徒さんは数学なんて無駄なものでつまんないと思っているのもおかしくはない。どうやって数学を授業するのかはこれからも難問であり続けると思う。正直のところを言ってみたら今というケイタイ世代の隆盛に対して、数学は大きな支えを捧げていると言ってもかまいません。少なくとも海外にいても簡単にカナチャンネルが見えるのは、数学のおかげです!そして、人が成長すればするほど、より複雑な難題に遭遇することも増えている。そんなに切羽詰まった時に一番必要なのは、目の前の難問をぶち壊して一つ一つより処分しやすい問題にまで分解してて解決していくという、抜群な論理的分析がほしいのではないでしょうか?さもないとどんな困難でもただ一つの「大きな存在」でいつも手に負えないだろう?ファン方々とカナやんが一つになるのは大変望まれることだけどいろんな困難も集まってて一つになるとやばいよ(>_<)もしあの時もっと数学の頭脳を培えばよかったのにって、今はずっと悔しく思ってる(>_<)
後悔なんてカナやんは嫌っているようですけど後悔という事自体は、素晴らしい勉強の一種だと今は、そう思っている。
音楽も重要ですよ(笑)カラオケだけじゃなくてもっと真剣に勉強すればぐっさんのようにカナやんのために何かの素敵な作曲はできるようになるかもしれません(^∇^)
………
これについてまだまだ書きたかったけどそろそろ「mind you own businessだから何?本当ウンザリ」という歌詞が聞こえるようだし、もう何本ものMiddle Fingers in the airというシーンも見える気がしててここで終わり( ̄▽ ̄)=3一言で帰結してみたら日本語の勉強のおかげで、カナやんのことと☆★の皆さんのことを知るようになります\(^o^)/ということでいつも勉強に感謝します!!
何よりもつまんない仕事がこんなに大変なんて!!!悔しい~~~(>_<)It is time to shut up for my chores(>_<)
国語:もう日本語わかる
数学:将来役立たない
理科:実験とか興味ない
社会:過去を振り返っても意味ない
音楽:カラオケで十分
技術:大工さんになるつもりはない
美術:絵ぐらい誰でもかける
英語:ここ日本
勉強=いらない
かなり昔の自分もそう考えていたんだけど、社会人になって今では、勉強の意味を少しずつ察知しているので今回のブログ。と言っても、「いつ終わらんのお説教」をするつもりはないので安心してください(汗)実は、10代は勉強に一番強い時期だけど勉強の意味はなかなかわからない。逆に年を取るとともに勉強の意味をどんどん知るようになっているけど勉強力が衰えている。なんと皮肉な話なのだろう。
日本の皆さんはもちろん、毎日も当たり前に日本語を話しているので別に国語を勉強しなくても当然わかると思っている。学校のやり方は大体、自国の古典文学を教材にして一つ一つ教えているだろう?個人的にはこのやり方は衝撃感が不足して自国の言語の本当の美しさを生徒に実感させることはできないと思う。むしろ、外国語を勉強したつもりであえて日本語で何かの外国語を教えるほうがもっとおもしろいでしょう?
最近、ずっと前に買ってきた日本語調和文法の発掘という本をほんの少し読んでみたが、最初に著者さんは、ドイツ人の詩人のゲーテの言葉を引用しているんですが次のようです。
「異国の言語を知らない者は、自分自身の言語について、何一つ知らぬ。」
それについて著者さんは、立派な解説をされてくれるので引用します。
「日本語の言葉の森の中で日本語の語法を探ろうとしても、「森にあって森を見ず」に終わることは先人の説いたところです。」
個人的にはこの説にすごく同感している。だからといって外国語を勉強したつもりで国語の教育を展開するなんてやはり妥当な話にはならない。それはあくまでも理想の話で教育現場も考慮に入れたらやはり無理だと思う。国語の授業と称しても外国語ばかり教えるなんておかしすぎる(;^_^A
数学=将来役立たない…今はもちろん、役立たないところは一つもないと言いたいところなんですけど確かに、学校のやり方に従えば本当に、そういう雰囲気ですね。実は数学という教科の授業はとっても難しいと思う。というのも、数学への理解に際して一番重要なのは、計算や解の探求じゃなくてそれらの計算や解の裏に隠れるコンセプトにあるにもかかわらず、コンセプトというとやっぱり、抽象的なものでそれ自体だけでは表現できないし、かなり年が重ならなければ抽象的なものへの理解も困難なのでより具体的な計算や方程式の解への追求を通して説明しなければなりません。しかしそうするとまるで数学=計算と宣言しているようにそれで、数学の本質も見失いやすくてただ無味乾燥の計算になっちゃったからです。それと接する生徒さんは数学なんて無駄なものでつまんないと思っているのもおかしくはない。どうやって数学を授業するのかはこれからも難問であり続けると思う。正直のところを言ってみたら今というケイタイ世代の隆盛に対して、数学は大きな支えを捧げていると言ってもかまいません。少なくとも海外にいても簡単にカナチャンネルが見えるのは、数学のおかげです!そして、人が成長すればするほど、より複雑な難題に遭遇することも増えている。そんなに切羽詰まった時に一番必要なのは、目の前の難問をぶち壊して一つ一つより処分しやすい問題にまで分解してて解決していくという、抜群な論理的分析がほしいのではないでしょうか?さもないとどんな困難でもただ一つの「大きな存在」でいつも手に負えないだろう?ファン方々とカナやんが一つになるのは大変望まれることだけどいろんな困難も集まってて一つになるとやばいよ(>_<)もしあの時もっと数学の頭脳を培えばよかったのにって、今はずっと悔しく思ってる(>_<)
後悔なんてカナやんは嫌っているようですけど後悔という事自体は、素晴らしい勉強の一種だと今は、そう思っている。
音楽も重要ですよ(笑)カラオケだけじゃなくてもっと真剣に勉強すればぐっさんのようにカナやんのために何かの素敵な作曲はできるようになるかもしれません(^∇^)
………
これについてまだまだ書きたかったけどそろそろ「mind you own businessだから何?本当ウンザリ」という歌詞が聞こえるようだし、もう何本ものMiddle Fingers in the airというシーンも見える気がしててここで終わり( ̄▽ ̄)=3一言で帰結してみたら日本語の勉強のおかげで、カナやんのことと☆★の皆さんのことを知るようになります\(^o^)/ということでいつも勉強に感謝します!!
何よりもつまんない仕事がこんなに大変なんて!!!悔しい~~~(>_<)It is time to shut up for my chores(>_<)