サンスクリットの学習に際して、まずは、次の4つの「いつまでも長母音」のいわゆる二重母音と出会うはず。
ए e
ऎ ai
ओ o
औ au
「ai」と「au」の場合ではいちおう、それが二重母音、そして、長母音とみなすということが理解できるかもしれませんが、英語に慣れた人にとってはおそらく、単純の「e」と「o」でも二重母音と分類され、そして、ついとなる短母音はいっさい存在しないことはとにかく、おかしいと思っているのではないでしょうか?
そして、もっとやっかいなのはそれぞれの翻字。場合によって二重母音の「e」は「ai」と、「o」は「au」と理解して翻字しなければならない!そうだったらなんか、「ai」と「au」もそれぞれ2つあることになっちゃう!つまり、ローマ字による翻字でこの4つの母音の理解は、ややこしいものです!
これもサンスクリット文法の一大特徴となるかもしれませんが、1つの文法項目を多彩な側面で捉えなければならないこと。言うまでもなく人間の言語にはあいまいなところがつきものなんだけど、サンスクリットの場合ではこういう、高度に柔軟的な対応がどんな言語よりも要求されている気がする。一番単純なはずだったアルファベットでも、サンスクリットのように高度な理解が要求されているのは、同じ古典言語の古代ギリシャ語にはいっさい、必要でありません!
この複雑さは17~18世紀の西洋学者の誤解?のせいか?もし次のように翻字を定義するのなら、
ए ai
ऎ āi
ओ au
औ āu
母音階梯とサンディへの理解には優しいかもしれませんが、真実の発音は反映されなくなる面もある。というのも「āi」の場合、たとえば、もう二重母音じゃなくて三重母音となってしまう(汗)それに、これは印欧諸言語の共通の音韻変化なのかな。もともと二重母音の「ai」は単母音の「e」と発音されるようになる。たとえばラテン語の二重母音「ae」もそういう変化を経験している。前置詞という文法用語、その英語は「prepostion」だけど語源となるラテン語は確かに、「praepositio」と綴っているんですね。見てわかるよう、「prae」は「pre」となっちゃう。英語の翻字は十分に、二重母音「ae」から単母音「e」へと移行するという音韻変化を示しているものです。こんな感じでサンスクリットも同じような音韻変化が起こってもともと二重母音の「ai」は「e」と発音されて、そして、もともと長音「āi」という二重母音は縮約して「ai」になる。言い換えると、もと「ए」によって代表される「ai」は今度、もと「āi」を表す「ऎ」で代表されるようになって、「āi」は消えてしまう。
とはいえ、とことんまで消えてゆくのではなく、1つの字母として発音するのは確かに消えてゆくけど、活用などの分野ではやっぱり大活躍しているのだ。
辻直四郎の「サンスクリット文法」からのものなんですが母音階梯を説明している文書です。

問題となるのはおそらく、列IIのGuṇaとVṛddhiのところでしょう?e (ay) とai (āy)という表現を見たらなんとなくe = ay、ai = āyという印象が強いかもしれません。ちょっと違和感があるものの素直にそう考えても構いません!「ai」という二重母音は単母音「e」へと変化することには理屈があると思いますが。発音をサボッて発音しやすいよう音色を調整するためです。母音の発音は、唇の開き方、発音の位置、そして、舌の上下によって分類されることができる。aは一番典型的な母音で発音はほぼ口腔の真ん中に位置して一番発音しやすいものです。そしてiはいわゆる前舌母音でその名通りに発音は舌の先でそして舌を高く上げながら発音するものです。じゃあ、二重母音とは最初にくる母音を発音した瞬間すぐに、後にくる母音の発音に移行することで実現されるものですから、それよりもむしろ、まるで近道のような中間音を発音して済むことは素敵じゃない?一々aを読んでからすぐにiを読む代わりに、できるだけaとiの「距離」を縮め、最終的に王道の中間音にたどり着く。それは母音の「e」ですね。
IPAの母音図示を見てわかるよう、母音「e」は「a」と「i」の中間(本当の真ん中じゃないけど)に位置づけられている。人間はこんな感じでもっと発音しやすいものを探し出す!これは「au」,「o」にも通用している話ですね。というのも、今度「o」は「a」と「u」の中間にあるのです。

ということでए e ऎ ai ओ oऔ auへの理解は次のように2つの視点があるはずだと思いますが、
ए e = अ a + इ i
ऎ ai= आ ā+ इ i
ओ o =अ a + उ u
औ au =आ ā + उ u
この視点はデーバナーガリーの仕組み(書き方)と何の関係も持たないことをご注意ください。つまり、数式のように等号の左側と右側はつねに独立した両視点を示しているものの両辺は同じものだと理解しなければならないのです!たとえば、1つの字母の認識なら等号の左側、サンディなどの場合では等号の右側の理解が必須ということになる。
ए e
ऎ ai
ओ o
औ au
「ai」と「au」の場合ではいちおう、それが二重母音、そして、長母音とみなすということが理解できるかもしれませんが、英語に慣れた人にとってはおそらく、単純の「e」と「o」でも二重母音と分類され、そして、ついとなる短母音はいっさい存在しないことはとにかく、おかしいと思っているのではないでしょうか?
そして、もっとやっかいなのはそれぞれの翻字。場合によって二重母音の「e」は「ai」と、「o」は「au」と理解して翻字しなければならない!そうだったらなんか、「ai」と「au」もそれぞれ2つあることになっちゃう!つまり、ローマ字による翻字でこの4つの母音の理解は、ややこしいものです!
これもサンスクリット文法の一大特徴となるかもしれませんが、1つの文法項目を多彩な側面で捉えなければならないこと。言うまでもなく人間の言語にはあいまいなところがつきものなんだけど、サンスクリットの場合ではこういう、高度に柔軟的な対応がどんな言語よりも要求されている気がする。一番単純なはずだったアルファベットでも、サンスクリットのように高度な理解が要求されているのは、同じ古典言語の古代ギリシャ語にはいっさい、必要でありません!
この複雑さは17~18世紀の西洋学者の誤解?のせいか?もし次のように翻字を定義するのなら、
ए ai
ऎ āi
ओ au
औ āu
母音階梯とサンディへの理解には優しいかもしれませんが、真実の発音は反映されなくなる面もある。というのも「āi」の場合、たとえば、もう二重母音じゃなくて三重母音となってしまう(汗)それに、これは印欧諸言語の共通の音韻変化なのかな。もともと二重母音の「ai」は単母音の「e」と発音されるようになる。たとえばラテン語の二重母音「ae」もそういう変化を経験している。前置詞という文法用語、その英語は「prepostion」だけど語源となるラテン語は確かに、「praepositio」と綴っているんですね。見てわかるよう、「prae」は「pre」となっちゃう。英語の翻字は十分に、二重母音「ae」から単母音「e」へと移行するという音韻変化を示しているものです。こんな感じでサンスクリットも同じような音韻変化が起こってもともと二重母音の「ai」は「e」と発音されて、そして、もともと長音「āi」という二重母音は縮約して「ai」になる。言い換えると、もと「ए」によって代表される「ai」は今度、もと「āi」を表す「ऎ」で代表されるようになって、「āi」は消えてしまう。
とはいえ、とことんまで消えてゆくのではなく、1つの字母として発音するのは確かに消えてゆくけど、活用などの分野ではやっぱり大活躍しているのだ。
辻直四郎の「サンスクリット文法」からのものなんですが母音階梯を説明している文書です。

問題となるのはおそらく、列IIのGuṇaとVṛddhiのところでしょう?e (ay) とai (āy)という表現を見たらなんとなくe = ay、ai = āyという印象が強いかもしれません。ちょっと違和感があるものの素直にそう考えても構いません!「ai」という二重母音は単母音「e」へと変化することには理屈があると思いますが。発音をサボッて発音しやすいよう音色を調整するためです。母音の発音は、唇の開き方、発音の位置、そして、舌の上下によって分類されることができる。aは一番典型的な母音で発音はほぼ口腔の真ん中に位置して一番発音しやすいものです。そしてiはいわゆる前舌母音でその名通りに発音は舌の先でそして舌を高く上げながら発音するものです。じゃあ、二重母音とは最初にくる母音を発音した瞬間すぐに、後にくる母音の発音に移行することで実現されるものですから、それよりもむしろ、まるで近道のような中間音を発音して済むことは素敵じゃない?一々aを読んでからすぐにiを読む代わりに、できるだけaとiの「距離」を縮め、最終的に王道の中間音にたどり着く。それは母音の「e」ですね。
IPAの母音図示を見てわかるよう、母音「e」は「a」と「i」の中間(本当の真ん中じゃないけど)に位置づけられている。人間はこんな感じでもっと発音しやすいものを探し出す!これは「au」,「o」にも通用している話ですね。というのも、今度「o」は「a」と「u」の中間にあるのです。

ということでए e ऎ ai ओ oऔ auへの理解は次のように2つの視点があるはずだと思いますが、
ए e = अ a + इ i
ऎ ai= आ ā+ इ i
ओ o =अ a + उ u
औ au =आ ā + उ u
この視点はデーバナーガリーの仕組み(書き方)と何の関係も持たないことをご注意ください。つまり、数式のように等号の左側と右側はつねに独立した両視点を示しているものの両辺は同じものだと理解しなければならないのです!たとえば、1つの字母の認識なら等号の左側、サンディなどの場合では等号の右側の理解が必須ということになる。