まさおのつぶやき

まさおのつぶやき

自分が生きていて感謝したことを書きたいと思います。感動したことや辛かったこともすべて生きているから体験できることなので、その僕の体験を書きます。

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 今日は、僕が今の仕事に本気で取り組む切欠を書きます。時間があったら読んでください。

 

 僕は18歳から建設関係で仕事をしていました。工業高校の建築課を卒業し、地元の中堅ゼネコンで現場監督として20年目、役員から「以前から、おまえには営業をしてもらうと言ってあったよな。今の現場が終わったら営業に配属する。」と言われ、営業畑に移動。初年度7億、2年目には11億の受注。それなにり成果を出してきたと思います(少し自慢がはっているかな?)。そんな時、高齢者優良賃貸住宅という高齢者の居住の安定を図る施設整備が法制化され、平成17年度に浜松市も導入。その初年度整備計画に携わるチャンスをいただいた時から福祉関係の事業所との交流や福祉・介護の法や現状を学びました。

 

 その後、建設業を止め、社会福祉法人にお世話になり、今まで建物を作る側でしたが、使う側になりました。作り手の知識を持った使い手は、建物の使用イメージを形に出来るので、ケアにあたる側から話を聞き、それを、作り手がイメージできるように伝えることができ、今までの22年間も無駄ではないと感じていました。

社会福祉法人を退職し、数人の仲間と作った法人でも、高齢者のための住環境整備のため高齢者専用賃貸住宅を整備して運営していました。どちらかというと、住環境整備が主目的で、そこに住む高齢者の方々への介護保険サービスは生活するための手段として整えた。「2年あまりの福祉畑での経験で運営するなんてなんて無謀な」と、知り合いもあきれていました。

 

 開設して3年がすぎ、入居者もそれなりに入っているのに、法人としては経営が上手くいかず、このままで本当に良いのか?自分はまだ、介護の運営なんて無理だったのか?人を雇用して組織を運営するなんて出来ないのでは?と様々な悩みを常に抱えていました。やっぱり建設業にカムバックしようと真剣に考えている自分がいました。日本メンタルヘルス協会でメンタルを学んだのもこのころです。

 そしてH2410月、僕の今のパートナーとの出逢いが、僕の生き方に大きな影響を与えてくれました。それは、京都であった認知症の母親を手にかけた事件の初公判「温情判決」の内容でした。YouTubeでその物語を何度も見返して泣いている自分がいました。そして最後の字幕で「あなたの周りでも 困っている人はいませんか?」

これが僕がこの世界で生きていこうと思った切欠です。