やはり、ボルトを入れるより出す方の手術が楽であった。

時間も1時間くらい短かかったようだ。9時に始まって11時半には終わっていた。

娘は手術待合室にいたり、一階のカフェにいたりで、適当に時間を潰したようだ。

ボルトはやはり、上のほうはユルユルだったらしい。これが腰痛の原因だったとしたらいいのだが、どうなんだろう?違う気がする。

麻酔から覚めた私は、少し興奮状態で、娘とペラペラおしゃべりをした。彼女は今度、一人暮らしの部屋にペットを飼いたいそうで、やれ、フェレットがいいとか、やれ猫がいいとか、ウサギがどうとか、そんなことをずっーと喋っていた。

娘はお昼過ぎには帰って行った。

私は痛み止めと抗生物質の点滴をずっとしていたし、足には例の血栓予防のバルーンが膨らんだり、閉じたりするので、ヒモだらけで熟睡は出来なかった。尿道の管と酸素マスクもあるし、うっとうしいったらありゃしない。

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腰の傷口は前回より大きくなるそうだが、この間のように腰の痛みが灼熱地獄で一睡も出来ないということはなかった。良かった。痛いは痛いが、我慢出来ないほどではない。1日目はあまりよく眠れなかった。

2日目はよく眠れた。
あとで取ったボルトを、見せてくれた。本当にホームセンターで売ってるようなボルトだった。なんだか可笑しかった。




そして入院時に測った身長が、なんと3センチ近くも縮んでいた。

普通は皆さん、背が縮んで嫌だろうけど、私は返って嬉しい。大女だから。身長が高過ぎるのが、若いときからずっとコンプレックスだったから。

背が小さくなって、嬉しい、、、ふふふ。この気持ち、わかる人にはわかるのだ。ユーミンの歌で「5センチの向こう岸」という、背の高い女の子の恋の悩みの歌があるけど、まさに私はそれだった。特に青春時代は。

洋服も靴もまずサイズがない。今は背の高い女の子も増えたけど、40年前、私の若い頃は本当になくて困ったものだった。

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⬆の写真は昨日の午前10時40頃撮ったものです。

入院しました。一年前に腰椎に入れたボルトを取る手術をするためです。

去年は緊急入院だったけど、今回はちゃんと前から分かっていたので、準備もバッチリ!ミニマリストを目指す私としては必要最低限のものしか持って来ないようにした。腰が痛いから重い物は持ちたくない。

一階で入院手続きをした後、ちょっと「がん情報センター」内の患者会のオフィスに顔を出した。

「今日から入院しま~す」と挨拶した。

そしたら、この後お昼を食べて、机の上のお店をもっと広げていたら、サロンのお友達がわざわざ病室までお見舞いに来てくれた。

私とほぼ同世代で病室ではうるさいので、ディルームに移動してまたまた、マシンガントークを小一時間ほど、してしまった。

申し訳ない。私はお昼を食べたばかりだったから、いいけど、彼女はまだ。ちょっと顔を出すだけのつもりが、こんなに長く付き合わせてしまった。




夕方、整形外科の主治医から手術の説明を、個室に行って聞いた。今日の私担当の若い看護師さんも一緒。

すると、なんとまたまた整形外科ビックリポン!

ボルトは全部きれいに取るのではなく、一部だけ取り出すことにした、とおっしゃる!

ひぇ~~そうなんだ~。初めて聞いた。上の方の緩んでいるボルトは取る。下の方のボルトは残す、そのボルト同士を繋いでいる、細長い棒状のものは取る。

先生は電子カルテの画像を使って、詳しくどういう手術になるのか説明してくれた。こっちも必死だ。乳がんの骨転移のことはしっかり勉強して来た。質問もあれこれしたし、断ってからスマホのアプリで録音もした。

これから、またもっと骨に、転移した場合、下のボルトと繋げる固定術が必要になるかもしれない、下のボルトは緩んでもなく、問題はない。そのため下の方のボルトは残しておくという未来を予想した選択だった。

腰痛の原因も、この上のボルトが緩んでいるせいか、あとは第4腰椎の上と下の椎間板が加齢とともに、少し弱って来ているから、それも腰痛の原因かもしれない、とのこと。

とにかく、先生を信じておまかせするしかない。痛いのは仕方ない。切り刻むんだから。整形外科の仕事は、ホント大工さんみたい。ノコギリとかドリルとか使って骨を切ったり、穴をあけたり、留めたりするんだからなあ、、、、。

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今日はお雛様。本当に久し振りに娘のお雛様を出してみた。15年振りくらいかな~。

娘の初節句のとき、今は亡き私の父にワガママを言って買ってもらった三段飾りのお雛様。

当時、父の実母が92歳で入院していて、亡くなる寸前でした。お見舞いの病院通いで忙しかった70過ぎの父を捕まえて、その忙しい合間に買ってもらったのです。

もちろん、お雛様は私が選んで。しかも、確かセットの決められたお得なお雛様じゃなくて、お雛様だけは自分で好きなのを選んだ覚えがある。我ながらワガママ娘ですなあ~、赤面赤面、頭ボリボリ、、、。

全部出すのは面倒なので親王飾りだけ。娘が小学校の低学年くらいまでは出していたけど、ここ最近はお雛様もずっと押入れの奥深くお隠れになっていらっしゃった。は?なんででしょうね~?
(私が出すのが面倒くさいからだ!)



私自身のお雛様はガラスのケースに入った立ち雛様でした。別に当時としては、それでも十分立派なんだけど、、、立派なんだけど、、、。


実は小学生の頃、近所のお友達のお家には、豪華な7段飾りのお雛様があって、赤い毛せんと、沢山のお人形やお支度品が子ども心に羨ましくて羨ましくて仕方なかったのだ。

まぁ、そこのお宅はお姉ちゃんと友達の二人姉妹で、おばあちゃんと、お母さんと、女ばっかりのお家だったから(お父さんはいなかった気がする)。二間と台所しかない狭いお家の半分を7段飾りのお雛様がしめていたのだ。

今にしてみればわかるけどね。お母さんのお雛様だったのかもしれないし、、、、。

でも、とにかく我が家は男尊女卑で亭主関白の父にとって、男の子が一番!3番目の私も男の子がいいと思っていたくらい。兄達ふたりには、立派な鎧兜やら、なんやら、端午の節句🎏の飾りは買っていた。だって、男の子だもん!大事な跡取り息子だもん!

私はそれに嫉妬していたのだ。今ならわかるけど、子ども3人育てるのに必死で、そんな立派なお雛様を買う余裕なんかなかったんだろう。安サラリーマンと自分でも言っていた。

母には「妹が欲しい!妹が欲しい!ママ、赤ちゃん産んで!女の子産んで!」といつも頼んでいた。母は苦笑していたと思う。無理な話だ。

高度経済成長期だから、父は本当にモーレツサラリーマンで、朝早くから夜遅くまで働いて残業は当たり前、土曜日も出勤、家族旅行は私が覚えているのは一度だけ。

そしてヘビースモーカーで、茶の間で父がタバコを吸い始めると、煙くて嫌で、父のそばで、手を振って煙を追い払うと「それをするなといつも言ってるだろう!」と私はよく怒られたものだ、、、。

私は健康がどうとか言うより、タバコの煙の匂いが単純に嫌いだったのだ。

父はタバコは身体に悪いと分かっていても、止められなかった。吹かしているだけで、肺まで吸ってないから大丈夫だ、なんて、それこそ変な屁理屈をこねていた。きっと仕事のストレスが強くてタバコを吸うときだけが、イライラせずほっと落ち着けたのだろう。

タバコの煙は、副流煙といって、本人よりも、吸ってない周りの人の方にこそ有害である、ということは当時は知られていなかった。

あぁ、そんなどうでもいいことを思い出してしまった。お雛様だって、買って貰えないお友達もいただろうしなあ~。なんでも隣の芝生は青く見えるのだ。

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⬆私が高校生のとき描いた50代の父の似顔絵。

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⬆晩年の母が描いたお雛様の水墨画。(色付き)。認知症の人が描いたとは思えない。