東日本大震災で大津波に襲われた仙台平野の沿岸部。上空からのぞむと、人々の生活の気配は見えず、いまだに更地が広がっている。
3年前の3月11日、この地域に大津波が襲来したのは地震発生から約1時間10分後だった。仙台空港から本社ヘリコプターで飛び立ち、目の当たりにした大津波は、海岸の堤防や防潮林を越えても勢いを弱めることなく、どんどんと平野を遡上(そじょう)して、街を破壊していった。あのときの背筋が凍るような感覚は忘れない。
今も、多くの人たちが、大切な家族やふるさとを失った悲しみも癒えないまま、内陸の仮設住宅などで避難生活を強いられている。防波堤の建設や海岸林再生に向けた植栽地造りなど、少しずつ変化の兆しも見えるが、その速度はとても遅い。
大津波による破壊は、ほとんど一瞬だった。だからこそ、復興への長い道のりに、もどかしさを感じる。