先日「世界の車窓から」のDVDを見た。
北はロシア・モスクワからカザフスタンを抜け、南はインドネシア・バリまでユーラシアの東のはずれを鉄道に揺られながら駆け抜けた(もちろん駆け抜けたのは製作スタッフであり私ではない)。
やはりいいね。映像と音楽にナレーション。あと必要なのは自分の想像力。それさえあれば、モスクワ赤の広場から天安門広場、凱旋門まで自分部屋の中。火星の裏側だって自分の裏庭さ。それに加えてコーヒー牛乳とおいしいたばこがあれば(私は無類のコーヒー牛乳好きであると共に自称こだわり愛煙家である)世界を征服することだって一服の間の楽しみへと変わる。
旅の途中ベトナムを統一急行で北から南へ縦断したが、特にベトナムでは懐かしさを覚えたものだ(ベトナムへは実際に何度も足を運んでいる)。私にとって一度行った場所はもはや第二、第三の故郷さ。
さて次はどこへ(空想)旅行に出かけようかな。
今回は「バレエ」を題材にしたドキュメンタリー映画「エトワール」。
パリオペラ座バレエ団のダンサーたちにインタビューをするという内容。これだけである。しかし、バレエに興味が無い人でもダンサーたちの話すことにはいろいろと考えさせられるだろう。幸か不幸か、どちらかというと私はバレエが好きなほうなので、かなり面白かった。
題名にもなっている「エトワール」はフランス語で「星」を意味する単語で、オペラ座ではトップダンサーのことをこう呼ぶのだそうな。小さいころから完全な競争社会の中で育ち、バレエのために人生をささげてきた人間の中でも選ばれた一握りだけが舞台に立つことができるのだそうだ。
もはや、21世紀にもなって世襲制を守っている日本の伝統芸能がばからしく感じてしまう。確かに、彼らは厳しい稽古の末に舞台に立つのだろうが、マラドーナの息子を見れば分かる。親から子へ才能が受け継がれるということは、ほぼ0パーセントである。この作品を見ると競争にさらされていない日本の伝統芸能がなんとなく胡散臭く見えてしまう。
世の中得てして「Stranger Than Fiction(小説より奇なり)」である。この作品にはつまらない三流ドラマよりはるかにドラマがあると思う。ぜひご覧あれ。
ちぇけら
今回も白黒映画の傑作を。
1941年のアカデミー作品賞、助演男優賞などを多数獲得した名作。1941年というと太平洋戦争が始まった年である。そして、たしか1942年(43年だったかな)に「風と共に去りぬ」が公開された。
舞台はウェールズの炭鉱の町。主人公は生まれ育った町を離れようとしている。そこで子供のころの思い出を語るという出だしである。主人公は家族の男全員が炭鉱で働くという炭鉱夫の一家に生まれる。年の離れた兄や姉や両親との生活、炭鉱の町での暮らしが子供の目線で描かれる。そして、もうひとつのこの作品の柱は「信仰」である。
正直な感想を言うと、「感動」した。それぞれの科白にメッセージが詰まっている。炭鉱の仕事風景は「ブラフ」(ユアン=マクレガー主演)を思い出させる、また時代の流れの描かれ方はチャン=イーモウ監督の「活きる」にも似たものを感じた。むしろこちらのほうが先であるのだが。
人間は本当にいいものを目の前にすると、「いい」としか言えないものである。久しぶりに本当の感動を味わった。いい映画がないと嘆いている方はご覧あれ。
ちぇけら
今日は名監督アルフレッド=ヒッチコックの「レベッカ」。
以前にもヒッチコック監督の作品は紹介した。今回は英国人ヒッチコックがアメリカに渡ってから初めて製作した作品である。アカデミー作品賞と撮影賞を受賞した。主演のローレンス=オリヴィエ、ジョーン=フォンテインもさることながら、作品中一番の存在感を見せつけるのはやはりジュディス=アンダーソン。
おばの付き人としてモンテカルロに滞在していた主人公は、1年前に妻を亡くした金持ちの英国人に出会い結婚。彼の豪邸で一緒に暮らすことになったのだが、前妻を崇拝する、前妻の付き人が仕切る新しい暮らしになじめない。常に前妻と比べられる主人公は、次第に前妻の影に精神的に追い詰められていく。そこである出来事がきっかけで浮かび上がる事実。
とにかく前半は怖い。残酷なシーンは1つもなく、ただただ、映像と科白で恐怖を煽る。はっきり言うと途中で怖くなったので見るのをやめようかと思った(私はホラー映画がとてつもなく苦手です)。しかし、この怖さは撮影賞を受けるに値する。それぐらい映像の使い方がうまい。
事実が明らかになったあとに待っている、主人公たちが追い詰められていく様子はヒッチコックらしい。姿が見えない人物の存在感を際立たせる手法は「第三の男」を思い出させる(「第三の男」では姿を見せる前と後では、見せた後のオーソン=ウェルズの存在感が圧倒的であったが)。
正直、一人で見ることはお勧めしない。かといってみんなで楽しく見られる作品でもない。
ちぇけら
今回は永遠の三枚目ジャック=レモンの「アパートの鍵貸します」を紹介する。
監督はビリー=ワイルダー。後で調べてわかったのだが前にも紹介した「麗しのサブリナ」の監督も務めている。そういわれると、確かに同じ「におい」を持っているなぁと思う。
保険会社に務める主人公は上司の逢い引きの現場に自分のアパートを提供することで手っ取り早く出世しようとしていた。話を聞きつけた課長も、ほかの上司と同じようにアパートを借りるのだが、課長の浮気相手は会社の美人エレベータガールで、主人公は彼女に恋をしていた。課長とエレベータガールの関係のもつれから、主人公の部屋で事件が起こってしまう。
主演のジャック=レモンがなんとも言えずいい感じ。決して男前とは言いがたいがまじめで優しい男を演じている。今作品のヒロイン役であるシャーリー=マクレーンもこの役にぴったりの人選だろう。こんなエレベータガールいたら私も恋に落ちますわ。なんといってもこの作品を一番盛り上げているのは課長をはじめとする上司たちであろう。チョイ役といえばチョイだが、彼らなくしてこの作品は物語にならない。
最初のいくつかのシーンだけで主人公の身分、おかれている状況をそれとなく伝えるところは監督のうまさを感じる。俳優と監督が良いと違いますな。これからの季節は夜が長い。夜のお供に映画は最適ですよ。まっはっはっは。
ちぇけら
今日はミュージカル映画の傑作を。
この映画は他の映画にものすごく影響を与えた作品であり、たとえば「時計仕掛けのオレンジ」の中で主人公が(どういう理由でこんな場面になったのかは忘れたが)おっさんをケルナグールする場面で、この作品のテーマソング(私はこの歌が大好き)を楽しそうに歌っていたし、リュック=ベッソンの「LEON」でジャン=レノ扮する主人公が映画館にこの作品を見に来て、雨の中で歌う場面を見て喜ぶというシーンがある。
主演はジーン=ケリー。ミュージカルと言えば彼以外に無いといっても言いぐらいの俳優である。私は彼の代表作の1つ「巴里のアメリカ人」ももちろん見た。そのダンスと歌は見るものをひきつけて離さない。
ジーン=ケリー扮する主人公ドンは無声映画の売れっ子俳優で同僚の女優と共にヒット作を連発していた。しかし、時代はトーキー(現在と同じくスクリーンの中で科白をしゃべる)映画へと移りつつあった。
あるパーティで主人公は舞台俳優を目指す女優の卵と出会う。そこで「無声映画の俳優など音楽に合わせて動いているだけ」と批判を受ける。主人公はその言葉が忘れられず悩んでいるときに、主人公の映画会社でもトーキーを製作することに。主人公の悩みは現実のものとなり、俳優人生の危機に立たされる。同僚女優の声があまりにもお粗末で不評を買ったのだった。そこで科白の吹き替えをすることで切り抜けようとするのだが。
主人公の相棒コジモー役がとてもいい感じで、ジーン=ケリーに負けず劣らず踊って歌える。ストーリーは安直と言えば安直だが、ミュージカルにシャーロックホームズのような難解な仕掛けは必要ない。単純でいいのである。初めて会った男女が一緒に歌いだしたり、突然町の住人がバックダンサーになったりと言う、現実的に考えれば妙な世界観が大切。エンターテイメントはあくまでもエンターテイメントである。
私は同じ映画を2度見るということは少ないのだが、何度も見たい作品の1つである。(ほかにはブルース=リーとジャッキー=チェンぐらいかな)
ちぇけら
今回はボクシング映画の傑作「チャンプ」。
ボクシングをテーマにした映画といえばロッキーシリーズがその王道だが、私は小さいころに見たこちらのほうが好きである。主演の俳優は誰だか忘れたが、子役が物語の中でとてもいい感じだったのが印象深い。
主人公は落ちぶれた元チャンピオン。息子は父親がチャンピオンだったころを知っているわけではなかったが父親のことをチャンプと呼んでいた。紆余曲折を経て物語の最期には息子の前で10ラウンドの激戦を制しチャンピオンであることを証明する。まぁ、ありがちといえばありがち。
しかし、離婚した母親とのやりとりなどを見ていると父親のあり方、息子にとって父親とは?など、考えさせられる。結構小さいころに見たので、ありがちなストーリーに感動したが、ラストで試合のダメージが原因で父親が亡くなるシーンに感動し、子供心に「息子にここまで愛される父親になれるだろうか」などと考えたものである。こんなことを考えていた割に、今では駄目な大人の一人になってしまっているが。
今回は思い出に残っている映画を紹介させていただきました。
ちぇけら
今回は「ヒトラー ~最期の12日間~」を紹介。
監督は、あまりに衝撃的な内容で話題になった「es」を製作したオリヴァー=ヒルシュビーゲル。ヒトラー役には「ベルリン・天使の詩」のブルーノ=ガンツ。正直な話、ヒトラーを演じているのがブルーノ=ガンツだとはわからなかった。「ベルリン・天使の詩」ではもう少しがっしりした印象を持っていたし、もう少し身長も大きいと思っていた。おそらく体重を落として役に臨んでいるだろうし、常に猫背で演技をしているせいだろう。
ソ連軍がドイツへの侵攻を進め、首都ベルリンへやってくるのも時間の問題という状況で始まる。それと平行してベルリン市内で軍役に就く軍医やヒットラーユーゲントの子供とその親などの姿が描かれる。
主演はブルーノ=ガンツ演じるヒトラーであるはずだが、作品の中で見られるヒトラー像は明らかに歴史の教科書やドキュメンタリー映像の中のヒトラーそのものであり、従来のヒトラー像を踏襲しすぎているぐらいである。
パッケージの裏に書かれていた「”人間”ヒトラーを描く」という記述からは程遠い。むしろ、人間的に描かれているのは軍の将校や参謀、前線の司令官などである。主演は明らかに彼らであり、描かれるヒトラー自身はじつに無個性である。
もちろんヒトラーなくしてこの作品は回っていかないし、この役を演じるブルーノ=ガンツはとてもうまい。ほかの俳優にもいえるが、顔以外のパーツ(特に手足)に表情を持たせるのがとても巧みなのだ。これは監督のこだわりによるものであろうが、登場人物の感情を表す重要な要素になっている。
最近見た戦争映画の中では久々に面白かった。ハリウッドは無理やり感動させようとするので感動が薄っぺらくていけないね。
ちぇけら
映画の話50回の節目には「ラストエンペラー」を。
誰もが知っているこの映画はやはり面白い。中国最後の皇帝溥儀の一生を描いている。私がこの作品を最初に見たのは確か、小学生のころであったと記憶しているが、そのときは中国の歴史も日本の歴史も理解してはいなかったし、ジャッキー=チェン、アーノルド=シュワルツネッガー、そしてブルース=リーに憧れていた私には難解で理解できなかった。しかし、そのころから今でも頭から離れないシーンがある。
幼い溥儀と溥傑が書道の練習をしている場面である。溥儀は弟に、黄色は皇帝の色だから弟は身に着けてはいけないと言うが、溥傑は兄はもう皇帝ではないのだと言う。そこで溥儀は家来に墨汁を飲み干せと命じる。そこで家来は顔色一つ変えずに飲み干す。溥儀は弟に、これでも自分は皇帝ではないかと問う。こんな場面である。
私は子供心に恐ろしかった。自分が命じられたわけではないのだが、墨汁を飲むと言う行為がとてつもなく理不尽に感じたのである(今でも飲みたくはないが)。そしてそれを文句も言わずに飲み干す家来が怖かった。
2回目に見たのは大学に入ってからで、もう中国や日本の歴史も理解できていたし、人並みの理解力は持っていたので、とても面白かった。このすばらしい作品を理解するのに10年近くかかってしまった。なんとも情けない話である。
ストーリーについては語る必要はないし、ただ「ご覧あれ」の一言である。
ちぇけら
今回はエリック=ヴァリ監督の「キャラバン」。
エリック=ヴァリ監督は「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の製作にも携わっている。登場する俳優はすべてチベットに住む人たちと言う徹底ぶり。標高が高く麦などの穀物が栽培できない村の生活を守るために、村で取れる岩塩をヤクの背中に乗せ、危険な山岳地帯を行き、穀物と引き換えてまた山を越えて帰って来る。そんな過酷な生活を続ける人々を描いた作品。純粋な映画と言うよりもドキュメンタリーに近いものがあると思う。
村人から人望を集める長老の元に息子が亡くなったと知らせが届く。長老はじめ村人は悲しんだが、同時に後継者を失い、誰を次の長老にするかという問題が発生する。村人は亡くなった息子の親友で有能な若者を推すが、長老は首を縦に振らない。そして、次のキャラバンを誰が率いるのかが問題になっていく。
ストーリー自体は陳腐と言えば陳腐であるが、自分の衰えや世代交代を素直に受け入れられない長老、占いなど古くからあるものを信じない若者が対比的に描かれる。
何度も見る映画ではないが、一度見る価値はあると思う。
ちぇけら