3~4歳の頃、父が勤めていた会社のスキー1泊旅行で父が滋賀県函館山スキー場に1度だけ連れていってくれたのをかすかに憶えている。何せ60年以上も前のことなので、あとは小さなソリに乗せられて緩やかな斜面を何度も滑ったことだけが記憶に残っている。
そして十数年後の高校卒業の春、同級生から春スキーに行こうと誘われた。大学生、短大生ばかりの学生スキーバスツアーで長野県の志賀高原に向かった。同級生たち3人は中学生の頃からスキーをやっている者ばかりで自分だけがスキーの板すらはいたこともない初心者。嫌がる自分を教えてやるからとの口車に乗せられて行く羽目になった。
行ってすぐにわかったが、彼らの目的は年上のお姉さんさんたちにカッコいいところを見せてお姉さん彼女を作ること。自分は靴も履けない、板もつけれない、スキーの板をつけてゲレンデに立っていることもできない、前に進むことも止まることもできず、制御できるのは転けた時だけで、初日の朝1時間ほど自分の面倒をみたら、あとは放ったらかしだった。
七転八倒している自分を横目にお姉さんグループと3人は行動し、自分に声をかけて自分の横を軽快に滑り抜けてゆく。
自分は3人の引き立て役にされていたことに気がついた。情けないが誰だって初めはある。どうしようもない。カッコ悪いどころじぁない。情けない。初日ホテルに戻ったら身体中は痛いはクタクタで座っていることもできなかった。
この悔しさをバネに大学生になってびわ湖バレイ、鉢伏、神鍋、北海道とスキーによく行った。
うまくなれた。学生最後の締めくくりが米本土レイクタホのヘブンリーバレースキー場だった。