8日はおじの四十九日でした。


6日の夜に高速バスで・・・

バスには特に酔いやすい私

酔い止め薬は必需品です。


「とにかく何も考えず寝てしまおう」

計画は上手くいき無事奈良に到着しました。


おじの家を掃除する予定が

旦那さんが友人と会うというので

予定が狂い1人ホテルで軟禁状態。


翌日、お寺へと向かいました。

もう殆ど親戚もいないので

内輪だけで質素に・・・

義妹に会うのは久し振り。

私もけして賑やかなほうではないのですが

義妹はさらに何重にも輪をかけた性格でとても大人しく

今まで会話らしい会話をした事がありませんでした。

今回、再会するまで何を話そうか・・・と

チョッピリ気が重かったのもたしか。


いつまでもこんな状態ではいけないと

・・・吹っ切って頑張ってみました。

とにかく笑顔で

「○○○ちゃん」

「○○○ちゃんは?」・・・と

名前をなるべく呼ぶように。


そしたら

やっと・・・やっと念願かなってついに

義妹から話しかけてくれたのです。゚(T^T)゚。

まだまだぎこちないけどスゴイ成果。

義姉は嬉しいよ~。


夜はまた高速バスで神奈川へ。

酔い止め飲んだのに酔いました・・・

こういう時って何にでも敏感になってしまうのです。

この日は頭の位置がしっくりこなくて

それと誰かが席に備え付けの暖房をつけていて

エアコンのニオイが私に直撃・・・

暑いし、だけどなんだか冷や汗が汗

ヤバイ・・・

このパターンはヤバイです。


案の定・・・。


一睡も出来ないまま到着

酔う度に2度と乗るまいと思うのですが

新幹線と比較したら値段が全然違うので

利用してしまうんですよねぇ。

今回、行き帰り後

足が異常なほどむくんでしまいました。

くるぶしの場所が判らないぐらい

サリーちゃんか象かというぐらいの腫れよう。

しびれもあったし。

エコノミー症候群?って思ったけど

あれは足が腫れるような事はないですもんね?

2回目のお見舞いに奈良へ。


旦那さんが宿泊研修から帰ったら直ぐに奈良へ行く筈でした。

ところが出発当日

あの東日本大震災があり

電車が動かなくなってしまい帰宅出来ないと連絡がありました。


電話も携帯も繋がらなくなってしまい

その連絡がとれたのもかなり時間が経ってから・・・。

かなりの揺れと続く余震に

私自身も家に1人で怖かった事もあるし

旦那さんが無事なのかも判らない

ホテルもキャンセルするべきなのか。


とりあえず電話がなんとかホテルに繋がったので

事情を話すと

「今回は状況が状況なのでキャンセル料はいただきません。

キャンセルされるようでしたら、何時でも結構ですのでご連絡いただければと思います」

との事だったので少しホッとしました。


翌日の昼頃

旦那さんがどうにか帰宅。

テレビを見ても悲惨な状況が映し出されるばかり。

阪神の大震災の時も思いましたが

今回も、これが日本なのか・・・と恐ろしくなりました。


高速道路の情報を見ても

静岡あたりの海沿いが閉鎖。

諦め始めていた頃に解除され

夕方になって急いで奈良へと向かいました。

途中、高速の上りは

尋常ではない数の緊急車両。

最初なんだろうと思っていたのですが

なかには自衛隊の車両もあって

被災地へ向かうのだと気づき

また改めて恐ろしさがこみあげてきました。


また翌日

病院へ向かうと

先週よりもさらに弱ってしまった様子。

本人が「家に帰りたい」と言うので

親戚が退院させてしまったのですが

結局すぐに体調を崩し

別の病院へ再入院となってしまったのです。

もう殆ど目を閉じたままで

会話もままならない・・・。

私の祖父や父の事とだぶってしまい

胸が詰まる思いでした。

急遽、帰宅を1日延ばし様子を見る事に。

安心出来ない状態だったので

旦那さんは暫く奈良に残り

私は1人新幹線で帰宅しました。


新幹線は計画停電の影響で

何本か運行中止になっていましたが

予約した分は運行。

ところが京都駅で設置されていたテレビを見ていると

東海道が運行していない・・・。

朝チケットを買うときは大丈夫だったのに。

小田原まではなんとか行けるけれど

そこからどうするか・・・。

旦那さんに連絡すると「奈良に戻ってこい」と。

でも仕事もあるし、家にいるインコも心配だし。

とりあえず小田原まで行こう。


小田原に着いて

一応、東海道の改札を見てみたけれど

やはり動いていません。

小田急は・・・こちらもダメでした。

小田原に泊まるといっても予算が無い。

だからタクシーも無理・・・。

途方に暮れていると

年配の女性が「藤沢まで帰りたいのにどうしたらいいか」と

やはり困っている様子。

そこへまた別の年配の女性が

同じ方面へ帰りたいのだが・・・と。

それなら3人でタクシーに乗りましょうという事になりました。


タクシーを降りて

夕飯の食材を買おうとスーパーへ立ち寄ると

棚が見事に空の状態。

仕方なくコンビニへ行ったのですが

こちらも食べるものなんて何も残っていませんでした。

神奈川の友達から

「こっちは買いだめで電池や懐中電灯はもちろん

トイレットペーパーもカップ麺も水も何もないよ。」

と、メールをもらっていたのですが

こんなに酷いとは。

気持ちはよくわかるのです。

私だって備えておきたい。

でも今いちばん必要なのは被災地なのに・・・

それも早いもの勝ちで

あればあるだけ買っていってしまう。

他に買う人の為に残しておこうという気持ちはないのかな・・・。

群衆心理の怖さと醜さをひしひしと実感しました。


そんななか、1週間後に亡くなったと連絡がありました。


1人暮らしだったので

いろいろどうするのか親戚で話し合いをした結果

家を引き継ぐ事になったと旦那さんからメールが。

「それって、あの家に住むって事?」

「せや」

旦那さんは奈良へ帰りたかった事もあり

言い方は悪いのですが

良い機会だったのかもしれません。

でも私は母と祖母を残して奈良へ行く事が

心にひっかかってしまって。

母には話しましたが半分自棄で

「行きたいなら行けば。私はまだ元気だし!」

私は親孝行したいと思いながら

いつまで経っても出来ずにいます。

また親不孝な事をしようとしていて

でもどうすることも出来ない自分が嫌でたまりません。

お久し振りです。

このところ身のまわりが落ち着かなくて・・・。


奈良の親戚が急遽入院。

かなりの高齢ですが奥様も亡くなり

お子様もいなかったのでずっと1人暮らしでした。


心細い事もあり

旦那さんに「奈良に戻って傍にいてくれないか」と・・・。

それは一時的なものではないという事。

気持ちはよくわかるので

出来る事なら奈良に住んでも良いのですが

私も神奈川へ越したのは

母と介護の必要な祖母がいるから。

奈良へ行く事はそう簡単ではありません。

仕事も夫婦で辞めなければならないし。

家も探さなければ・・・と、まぁ他にもいろんな不安があるわけです。


今のところは

毎週末、休み返上で旦那さんだけ高速をとばして病院へ。

そして私も先週末、一緒に行ってきました。

私が前回会った時は

年齢のわりに肌つやも良く元気だったのに

今回はすっかり痩せ細ってしまって・・・。

「奈良へ戻れ」なんて無理な事を言うなぁ・・・と思ったりもしましたが

あの姿を目の前にすると

傍にいてあげたいと思ってしまいますね・・・。

本人には告知していないので

「いつ退院出来るのか?早く家に帰りたい」と。

そして私達が帰る時に

「頑張るからな」と笑顔で言う姿を見た時

なんとも言えない気持ちになりました。

また来週行こうと思います。