正義。
育っていく過程で作られた自分の正義、当たり前、常識。
まずは、自分の常識は世の中の常識ではない。
母や父が絶対的に正しいわけではないことを自覚するところから始まる。
これは、思春期くらいだろうか?
私が思うこと、考えることは、
絶対に正しいわけでは、全くなくて、
他の人が思う考え方もあることを理解する。
自分が全て正しいわけではないと認知した過去があったとしても、
でも、その事象においては、自分の考えが正しいと思うから、他人と喧嘩する。抵る。
でもその先に、違う考え方を認識できるし、その考えに至った訳が理解できるかもしれない。もしくはいつの日か共感しているかもしれない。
いずれにしても、善悪も共存してる現代を鑑みると、どんな考え方も共存出来るはずだ。個々のジレンマは考えずとして。
私の事を私が正しいと思っているのは、
当たり前のことで、
私と同じじゃないことを排除すれば、「ふつう」がそもそもズレを起こす。
私と同じじゃないことを、
同じにしたい気持ちが揉め事を起こす。
その裏には、共感欲求や承認欲求。人が暮らしてく中で身につけた集団能力が起因したものなのだろうか。
自分と異なることを、自分なりの常識を基に、正義として他人に被せるのは、違う、と思う。
自分の正義の通りになって欲しい志は、
誰にでもあると思う。
ただし、皆が同じであれば、人との会話なんて面白くないはずだ。