Study in my life【育児と仕事(SE)、時々オタク】

Study in my life【育児と仕事(SE)、時々オタク】

ワーママ腐りかけSEが綴る「人生の研究」
2017年6月に女の子のお母さんになりました。
2020年1月に男の子のお母さんにもなりました。
今までは、半ば嬉々として社畜人生を歩んでいましたが、これからはどうなることやら。

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こんにちは

はり嫁です。

 

※育児の合間では思うようにかけませんね。

 なんとなく、10日にアップすべ見ないようかなと思いましたが

 せっかく書いたのいで、だいぶ遅れて上げさせてもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの日」から10年が経ちました。

あの日、私は何も失わなかった。

だから、こんな風に感傷に浸るのは違うのかもしれないけれど

 

10年の節目に記録しておこうと思う。

 

 

「あの日」私はいつも通り東京都下(23区外)の職場で仕事をしていた。

入社3年目だった私は、4月にリリースを控えたシステムの試験担当だった。

 

 

もちろん(?)スケジュールは大幅に遅れ

残業、残業の毎日。

それでも、あの頃はひたすら目の前の作業を消化する日々で

今みたいにマネジメント作業に追われることなく

今思えば楽しい日々だった。

 

 

地震の瞬間は、建物5Fの自席にいた。

揺れは激しくて、窓際のブラインドが、ガシャガシャと音を立てて揺れていた。

 

子供の頃から東京で育ち、

いつか、いつか、関東大震災の再来がやってくると言われて育った私は

ついに、その日がきたんだと思った。

 

 

机の上に山盛りになっていた書類が落ちたりしたことはあったが

特に誰か職場で怪我をすることもなく

その時は、「すごい揺れだったねー」くらいですぐに仕事に戻った。

 

 

その後、課長がプロジェクトメンバー60人を集めてこう言った。

・電車が止まっている(たぶん今日は動かない)

・今日は会社に泊まって大丈夫

・進捗は遅れ気味なので、仕事をしても大丈夫だよ(本当にこう言った。)

 

 

あの時、実家暮らしで

すでに実家の安全も確認していた私は

気軽にその提案にのって

翌日電車が動くまで仕事してた。

もちろん、仮眠もとったけど。

 

 ちょうど日付が変わる頃お腹が空いて

一番近いコンビニまで行った。

棚が空っぽでなにも買えなかった。

仕方がないので、先輩と近所のラーメン屋さんに行った。

ラーメン屋は普通に営業していた。

 

 

翌朝、電車が動き出してから帰宅。

 

帰宅途中、自宅最寄り駅の駅ビルの中に入っている喫茶店で

のんびり一人でお茶をしてから帰った。

世間があんな風になっていることを知らずに。

 

帰宅して、テレビを見て

初めて色々な惨状を知った。

 

 

結局、3.11当日にアップする事はできなかったけど

これが、私の「あの日」の記憶。