10年の月日




震災のことは

帰省するたび、

新聞の記事やテレビの報道で触れていました。

地元の人にとっては、10年とか3.11とか

節目とかいうものはなくて、

毎日の生活の中にあの日があるということを

帰省するたびに感じていました。


私の実家は岩手の内陸地にあります。

大きな被害はなかったものの、

沿岸の親戚や友人家族を津波で亡くしました。

従甥の奥さんが震災の記憶が風化しないよう

おくりびとの女性らと一緒に、この10年

活動していることをテレビで知りました。

最後に胸を詰まらせ涙している彼女の姿を見て

風化などすることは決してないんだと

私も涙したんです…


4月からUターンする私は、

一緒にあの日を感じながら

何ができるだろうと考えます。

今日は地元の友人から沢山連絡がきて

亡くなった友人のことを偲んでいました。


息子の卒業式の日に、

奇跡的にみるみる回復し退院した主人は

ひと足早く岩手で療養を始めたばかり、

友人家族が葬られている

大鎚町の

小高い山の上のお寺に行ってもらいました。

何年か足が遠のいているうちに

何百と並んでいた位牌は片付けられ

今は供養塔ができて

その中でねむっていました。


私達は忘れない。

いつか同じ場所にむかうまで

私達はあの日を忘れない。


君を忘れることはない。



何があっても君の分まで精一杯生きていこう。