老いの現実をつぶさに見せてくれるのも父母の愛


最愛の父が1月3日に
念願であった自宅で
家族に見守られ静かに旅立ちました。
倒れてから5年、悔いのない様にとお世話してきましたが、ああすればよかったこうすればよかったと思うことばかりです。

会話したり笑ったりしていることもピントが合わず、寝る時にひとりになるとポロポロと泣いて、子供みたいに。


両親が健在の時とは違い、亡くした後では人生の次の幕が開いてそれまでとは違う世界で過ごしているような感覚です。
ずっと静かに過ごしていました。
ずっとその次の幕が開いた違う世界で
亡き父を思い
そして自分を鏡に写し
静かに
静かに
過ごしていました。


立ち止まる時間を父が与えてくれました。
立ち止まる時間の中でしか
人は振り返り
考え
見つめることができない
自分を信じることは
自分の回復力や再起力を信じること。



昨日、四十九日を迎えました。
友人が言ってくれました。
49日までは存分に涙したり悲しんでいいんだよ。
それが供養になりますよと。


今日からは
父と共に生きる。


今生きていることが全て

今、生きているということを愛しみながら

亡き父と共に生きる。



昨年は様々なことが押し寄せ緊張が強いられた一年でした。

ひとりでは支えきれない未熟な私に

周りの皆さんから

人は何度でも何度でも生まれ変われる

そうメッセージを送っていただいてました。

そっと気持ちに寄り添い

沢山の愛を注いでくれ

優しさいっぱいに包み込んでくれた

皆さんに感謝の思いでいっぱいです。

本当にありがとうございました。



今日からまた元気印でまいります。