螺旋階段 -29ページ目

男が化ける瞬間

「知らないの? 男が化ける瞬間て、たまんないのよ。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)



男が化ける瞬間、は確かにある。
しかし、私はそんな時の男が恐ろしくて仕方がない。
私には届かない、途方もない力を持っているから。
男の方が女より優れているとか言うつもりはさらさら無いけれど、
しかし本気になった男が見せるあの迫力には女は敵わないなあ、と思う。
だからといって、女が男に劣っているわけではないんだけれどね。
女の強さはまた別のところにある。
(2004)




著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: G戦場ヘヴンズドア 2 (2)

自分が何者かわかるのか

「じゃあお前は自分が何者かわかるのか」
(日本橋ヨヲコ「バシズム」収録「Id」より)



こんなに恐ろしい問いはないのではないかと思う。
こう問われて応えられる人は、いったいどれだけ居るのだろうか。
しかしこの問いにはこう答えるしかないのではないか、
私は私でしかない、と。
(2004)




著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: バシズム 日本橋ヨヲコ短編集

アナタが好きだから

しょうがないアナタが好きだから自由にしてあげる
(B'z「FUSHIDARA100%」アルバム「B'z the Mixture」収録)



これが私の愛の全てだった、と思う時がある。
彼には愛されていないことは分かっていて、
でも彼にとっても私は都合のいい女だったので、
向こうから別れを切り出されることは無かった。
もう縋っていちゃ駄目だ、彼を自由にしてあげなければ駄目だ、
そう思って別れを告げた。
そのことが彼を幸せにしたのか、不幸にしたのか、今でも分からない。
(2004)




アーティスト: B’z, 稲葉浩志, 松本孝弘, 明石昌夫
タイトル: The“Mixture”

楽しんだモン勝ち

「自由には限界があって運命にはさからえないってことじゃねえ?
それなら、楽しんだモン勝ちだね」
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第1巻より)



どんなことにも良い面と悪い面がある。
それなら、ポジティブなとらえ方をして楽しんでしまった方が、
損をしない気がする。
汗も涙も痛みも悲しみも孤独も、全部笑い飛ばしてしまえばいい。
だから、私が無様な時はどうか笑って欲しい。
(2004)




著者: 日本橋 ヨヲコ
タイトル: 極東学園天国 1 (1)

精神が自由

社会が悪いから、
社会に自由がないから自分も不自由になってしまうという存在は、
まだ自分が確固としておらず、
依存的で自己に責任をもつということがわかっていない人である。
社会が悪いのなら社会を改善しよう、社会が不自由なら自由にしよう、
と前向きに取り組むことができ、環境がどうあれ、
精神が自由であることが人間にとって望ましいのではなかろうか。
(飯田澄美子・見藤隆子編著「ケアの質を高める 看護カウンセリング」より)



他人の所為にするのは、子供のすることだ。
大人ならば、環境はどうあれ、
自分で切り開く姿勢を持っていなければならない。
それはとても、難しいことだけれど。
篠原美也子が言うように、歯を食いしばっても、
愚痴を言うべきではないのだ。
それに、世の中にはどうにもならないことに満ち溢れているけれど、
自分の心だけは自分で自由に出来る唯一のものでしょ?
(2004)




著者: 飯田 澄美子, 見藤 隆子
タイトル: ケアの質を高める 看護カウンセリング

自由な時間

自由な時間というのかな、空白の時間も含めて、
そういう時間がこれからはとっても必要だという気がするのね。
そうすると商品をたくさん生産できないから、
どうしたらいいかっていうと、
単価を高くするしかないわけ、僕なんかの場合は(笑)。
自分の時間を確保することをやっていかないと駄目なんだよね。
(村上龍・坂本龍一「EV. Cafe」より坂本龍一の発言)



仕事に追われて、でも仕事が嫌いなわけでもなくて、
それでも何故か息苦しい気分から逃れられない時がある。
そういった時は、やはり自分の時間を確保することが必要になる。
坂本龍一氏はどうやったら自分の時間を確保出来るのか、
具体的に考えることが出来る人の様子で、正直に羨ましいなあと思う。
これが上手に出来る人こそ、仕事上手、なのではないだろうか。
(2004)




著者: 村上 龍, 坂本 龍一
タイトル: EV.Caf´e―超進化論

自分を主体にした形

「自分を主体にした形で相手を見ることができるようになれば、
恋愛において成熟していく」
(日経WOMAN207号より内田恵理子の発言)



自立していなければ、
恋愛すら成立させることが出来ない、のかもしれない。
相手に振り回されるだけの恋愛は、
それはそれで一つの体験だろうけれど、
しんどいことが多い。
そこで惚れちゃったんだから仕方ない、と思うか、
相手を責めてしまうかで随分内容は変わってくるのではないだろうか。
どんなに辛くても、相手を責めてはいけないのだ。
惚れたのは自分なのだから。
それが自分を主体にする、ということなのかもしれない、とも思う。
(2004)

自分を受け入れる

自分を受け入れることのできない人は、
他人からも認められない。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)



自分は世界中の誰よりも自分をよく知っていて、自分自身に近い人間。
その自分が自分を受容出来ていない状態で、
一体どうやって他人に認められるというのだ?
まずは、自分がどうして自分を受容出来ないのか、
その原因をきちんと見極めることが必要、なのだ。
(2004)




著者: GENEVIEVE BURTON, 大塚 寛子, 武山 満智子
タイトル: ナースと患者―人間関係の影響

走れるかぎりは

自分より優れている人が身近にいる。
意識しないようにするなんて無理だ。
でも、それにひるんでたら前に進めない。
だから、もやもやした、この劣等感をバネにして走ってみよう。
走れるかぎりは大丈夫。まだ成長できる。
私もそうだったから。これからも、そう信じてる。
(西山優理子「Harlem Beat」第9巻、作者のメッセージより)



……走り続けることが、大切なのだ。
走れ。走れ。走れ。倒れるまで、走り続けろ。
そうすればいつか、どんなに遠くても、道の果ては必ず見えてくる筈だから。でも、わたしはいつまで走り続けられるのだろうか?
いつまで走ったらゴールが見えるのだろうか?
人生に、ゴールなど無いのかもしれない、けれど。
(2004)




著者: 西山 優里子
タイトル: Harlem beat (9)

軽蔑せずにはいられない

自分が適性に欠け、価値のないものと感じているために、
他人と競争しなければいられないし、
自分の価値を立証するためには(たとえ自己満足にすぎなくても)、
他人を軽蔑せずにはいられないのである。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)



そうなんだ……そうなんだよね……。
誰かを見下さないと、生きていけないんだ。
優越感というのは、なんて甘美で心地良くて。
でもそこにどっぷりと浸かってしまうことは、
物凄く恐ろしくて、限りなく孤独なことだ。
誰かを見下し、踏みつけにすることでしか自分の居場所を確認出来ない人は、とても可哀想なのだと思う。
そして一番怖いのは、
無意識のうちに誰かを見下して安心してしまっている自分だ。
(2004)




著者: GENEVIEVE BURTON, 大塚 寛子, 武山 満智子
タイトル: ナースと患者―人間関係の影響