あけましておめでとうございます。
今日は映画の感想などつらつら述べようかと思います。
絵描いたりCGやったりしゃべったり書いたり忙しいやつですね。
多趣味というんでしょうか。
『楽園追放』
主人公はアンジェラとディンゴ、フロンティア・セッターということでいいのかな?
アンジェラはディーバという組織(?)に管理されている人間です。自分の人格を電脳化してるわけですね。
地球に降り立つ際には、生身の身体を与えられます。
ディーバは電脳化した人間たちが住む世界と言うべきですかね。
アンジェラはそこの保安官です。
ディンゴは地球に住む人間で、見返りがいいのでよくディーバに依頼された仕事などを手伝っています。
フロンティア・セッターとは招待不明のスーパーハカーでディーバに不正アクセスを繰り返しては、ディーバ内の人間たちに宇宙探索に同行しないか勧誘します。
不正アクセスを攻撃と見なしたディーバはアンジェラなどの保安官を地球に派遣し、フロンティア・セッターの正体を見極めさせるというところから物語は始まります。
以下、ネタバレ&感想
フル3DでSFもの!というわけで見ないわけにはいかないな、と購入した次第ですが正解でしたね。
モデリングもかっわいいのですがよく動く。
特に表情。
ラストのバトルなど手書きのアニメに負けず劣らず怒った表情などよくくずれていてもうここまでの表現ができるのかと感動しました。
メイキングやインタビューなどを見たときも製作者さんたちが語っていたのですが
2Dアニメにできるだけ近づけた上で、3Dでしかできないことをやろうと。
そうじゃないと3Dのアニメに未来はないと語っていました。
アンジェラの身体の凹凸も本当によくうごk…ごほん
戦闘シーンのアーハンたちの動き、カメラワークにエフェクト。
どれをとっても素晴らしい。
食い入るように何度も見ております。
技術的な部分はさておき。
こういったどこまでを人間と定義するのか、といった命題は大好きです。
ディンゴは人間らしい人間で、アンジェラは人間の身体を捨てた人間で、フロンティア・セッターは人工知能が進化し意思を持っている
味や、感動。そういった快楽を無駄としてしまうアンジェラと
古いロックミュージックを限られたメモリの中でも口ずさむほど好きなフロンティア・セッター。
どちらが人間でどちらが機械なのか。
バトルシーンの最後アンジェラがフロンティア・セッターに宇宙探索に勧誘を受けます。
そこで無音。アンジェラから地平線にカメラがドン。
豊かな地球から荒野に変わっていく様が映しだされ、宇宙探索を拒否したあと
まだまだ知らないことがあるといい地球に残るアンジェラ。
このときアンジェラはなにを感じたんでしょう。
廃れる地球を見て宇宙探索よりも前者を選んだ理由。
そこにアンジェラが人間らしさを取り戻そうという意思があったんでしょうか。
音楽は骨で感じるもんだ。
そう言われ理解のできないアンジェラは、機械でありながらそれを理解するフロンティア・セッターに嫉妬をしたんでしょうか。
ディンゴと楽しそうに会話をしてるところに嫉妬も可愛いですが、
それよりもっと内面の自分の理解が及ばないところで楽しそうに
言い方を変えると快楽を共有してる様が羨ましかったのでしょうか。
そういった意味で、地球の可能性。人間の可能性は無限大で、
廃れた地平線の先にまだ自分の知らないことがあるという好奇心がそうさせたんでしょうか。
どうでもいい話ですが、僕は幼い頃サッカー少年でした。
体力をつける為、校庭を何周も走るんですよね。
真夏日で汗と陽でもう無理だと諦めかけると、大っきい緑のイチョウの木が目に入るんです。
学校のシンボルとも言える大きなイチョウの木。
それを見ると、自然とまだ走れる気がして活力を与えてくれました。
そのシーンがなぜだかフラッシュバックして、
上手く言葉で説明できないけどアンジェラの気持ちがわかったような気がしています。
そしてエンディング後のワンカット
いっつぁふぁーらうぇーいとフロンティア・セッターが口ずさみなが宇宙を旅するシーンを見て
自然と笑顔になった自分がいます。
