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年末のご挨拶を済ませたつもりだったのですが、LIBよっつさんのブログで

とても素晴らしいお話を取り上げられていたので、私からもご紹介します。

野口さんの書かれたブログで紹介されていました。

                                                                                   

読んだ人の9割が涙した話:鏡の法則

                                                                            

野口さんのブログはこちら↓                                                                                

http://coaching.livedoor.biz/archives/50286976.html

                                                                         

それでは皆様、よいお年を!

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今年もいよいよ残すところ、あと1日余りになりました。

昨日から、年末の恒例になっている城崎温泉への家族旅行に行ってきました。

かに料理と温泉三昧(城崎温泉の7湯全て制覇)を堪能できた、楽しい癒しの旅でした。


さて、昨年も紹介した記憶がありますが、日本漢字能力検定協会が発表する2005年の世相を象徴する今年の漢字に“愛”が選ばれました。今年で11回目になるそうですが、今まで選ばれてきた字を振り返ると、2004年“災” 2003年“虎” 2002年“帰” 2001年“戦” 2000年“金” 1999年“末” 1998年“毒” 1997年“倒” 1996年“食” 1995年“震” だそうです。字の印象から、過去10年間がどのような時代であったか想像に難くない気がします。


今年の漢字が開始された1995年といえば、私の住んでいた神戸の街が、阪神大震災という未曾有の大地震に見舞われた年でした。飛行機が墜落したのかと間違うようなドス~ンという轟音と振動(縦揺れ)で目が覚めた次の瞬間、横揺れが長時間に渡り襲ってきました。わずかな時間で、たくさんの生命が奪われた瞬間でした。あれから10年・・・私の中にも大きな変化が訪れました。ライトワーカーとしての意識が目覚め、ヒーラーを目指す道程で、自分自身の心と真摯に向き合う時間を取ることが出来ました。そうすることによって、忘れていた多くのことを思い出しました。私が自分の道を思い出すのを待っていたかのようなタイミングで、素晴らしい人との出会いが次々に与えられました。それは、本当に自然な形で訪れてきました。『生徒の準備が整ったところで、教師が現れる』という古い格言があるそうですが、本当にその通りだなと実感しています。


今年の漢字は 『愛』 です。この時期に愛という字が選ばれたことには、とても大きな意味があるような気がします。単に世相だけを反映しているのであれば、今年も幼い子供たちが犠牲になる痛ましい事件が後を絶たない悲しい世の中を反映する字が選ばれたと思いますが、愛という字を選んだ人が最も多かったいうことは、集団としての意識が愛へと向かっている証拠です。愛は誰の心にも、中心の部分に存在する最も基本的で大切な意識です。神の本質は“愛”です。そしてまた、人間の魂の本質も“愛”なのです。物質文明に翻弄され、自分自身の本質を忘れてしまっている時代を生きている私たちが、愛に向かう時期が来たことを感じます。


私は自分の使命を生きる決心をして道を歩んでいます。今までは、この世的な恐れを手放すことが怖くて、一歩踏み出すことを躊躇していた部分がありましたが、自分の中で恐れを手放すプロセスが少しずつ進んできました。これも、ガイドに導かれるまま、私らしく生きていけるようになったお陰です。こうした変化には、たくさんの仲間の存在が大きな力となっています。自分が変わろうと決意すれば、いろいろな奇跡が起こります。自分の内面とつながることで、私たちの周りにいる目には見えない多くの存在とつながることが可能になるのかもしれません。来年どんな年にしたいのか・・・しっかりと自分の心と向かい合って道を歩んでいこうと思います。


最後になりましたが、私と出会ってくださった全ての皆さんに心から感謝しています。

今年一年、本当にありがとうございました。

来年が皆様方にとりまして、素晴らしい一年になりますように!

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1ヶ月ぶりの更新です・・・すっかりサボってしまいました(笑)。心配して個人的にメールをくださった皆さん、お気遣い本当にありがとうございました。皆さんの気持ちがとても嬉しかったです。日本では12月を師走と呼ぶだけあって、何故かこの時期は気持ちの上でも忙しい気分になります。会社の研修課題や通っているライフスクールの課題に追われて、ブログの更新は滞っていましたが、ヒーラーとして自分らしく道を進んでいくための実践系の第一歩を踏み出すことが出来ました。私がやっていこうとしていることに関しては、これから少しずつブログでも紹介していこうと思っています。以前(スピリチュアルに目覚め、この道を進んでいこうと決めた頃)の私ならば、自分が納得できるまで徹底的に学んだ上でないと一歩を踏み出せなかったかもしれません。しかし、学びには終わりがないということがわかってきました。魂としての自分の成長は無限に続きます。現世だけでなく、何度も何度も生まれ変わりながら魂の学習を続けてきたのでしょうし、これからもそうしていくのだと感じます。


ですから、私も次のように考え、行動に移そうと決めました。100出来てから始めるのではなく、今自分の力が10あるのであれば、10の範疇で出来ることから始めようって・・・。自分の力を知り、その中で実践していくのは大切なことだと思います。間違ってはいけないのは、10の力以上のことをしようとすることです。これは身の程知らずであり、人にも迷惑をかけます。特に私のやろうとしている精神世界は目に見えない世界だけに、日々しっかりとした自己を確立させながら、正しい倫理感とバランス感覚を持っていないといけません。人の心と向き合うためには、その前に自分自身の心としっかりと向き合うことが必要です。私自身がしっかりと地に足をつけ(グラウンディングし)、この世的にもバランスの取れた人間へと成長していきたいと思っています。魂レベルの学びは永遠に続いていきます。そして、自分に力がついてくれば、それだけたくさんの人の心をサポートすることも可能になります。これからも、自分の魂・スピリチュアルガイド・大いなる存在とつながり、楽しみながら自分の道を進んでいこうと思います。


いつものように前置きが長くなりましたが、23日から25日までのクリスマスの期間、東京に行ってきました。今回の東京行きの目的は、私が学んでいるOSVのオープンスクールの授業に出席することと、ブログで出逢った心の友“木下詩野さん&村井美月さん”にお逢いすることでした。本来ならば、22日の夜行バスで東京へ向かう予定でしたが、厳冬を象徴するかのような雪の影響でバスが運休になり、23日早朝5時に家を出て東京に向かいましたが、雪による徐行運転で新幹線が1時間半も遅れたため、スクールに着いたのは6時間後の11時を過ぎていました(あ~、疲れた)!


今回のスクールのテーマは、『チャクラの視点から世界を見る』・・・オーラフィールド(ヒューマン・エネルギーフィールド)とチャクラ・システム、1から7それぞれのチャクラの働きについて学びました。オーラとチャクラが心と体の健康とどう関わっているか、チャクラをバランスされた状態に保つにはどうしたらよいかについて、知識と体験の両面からアプローチし、それぞれのチャクラのエネルギーを体感的に感じる練習や、チャージとバランスのためのメディテーションなど、盛りだくさんのテーマがあって非常に楽しかったです。同じ意識を持つ人たちが集う空間は、エネルギーがとても回っており心地よく感じられました。実習を通しての収穫は、オーラを感じるだけでなく、ぼんやりとですが、視認することが出来たことです。また、二人ペアになってのオーラに触れる練習やエネルギーを流す練習など、とても勉強になりました。特に、ペアを組んでいただいた方は、既にヒーラーとして活躍されているインターン生の方でしたので、的確なアドバイスも参考になりました。特に特定の色のエネルギーを流してもらったときは、色の違いによって感じるエネルギーの質がまったく違っていることに気がつきました。1チャクラの赤のエネルギーは、パワフルで川に例えると急流に手を入れたような勢いを感じましたし、4チャクラの緑のエネルギーは手を包み込んでくれるような温かさと優しさを感じました。最後に流してもらった5チャクラの青のエネルギーは波のようにどっと押し寄せてくるようなイメージでした。また、発達したチャクラによって分類されるタイプも、実際にそのチャクラの強い人のグループを見ることでイメージとして掴むことが出来ました。座学も興味深いのですが、実習を通して学ぶ授業は新鮮で楽しいものでした。こうして3日間にわたる学びの場は終わりました。


今回は、スクールの終わった後の時間もとても充実していたので、そのことにも触れたいと思います。23日は予てから約束していた村井美月さんと待ち合わせ、表参道で食事と会話を楽しんだ後、木下詩野さんのアトリエに遊びに行きました。お二人はこのブログを通じて知り合った方で、今日まで心の友としての交流を持たせていただいています。6月に続く2度目の再会でしたが、前回よりも深い魂レベルでの絆を感じたひとときでした。いつまでもつきない会話の後、先日のバースディライブの映像を見せていただきました。木下詩野さんと大内義昭さんとのジョイントコンサートでしたが、詩野さんの持つ天然の明るさと感性を、大内さんが大きなオーラで包み込んで引き出しているようなライブで、会場とも一体化した心温まる素晴らしいものでした。曲も素晴らしく、私の大好きな 『ひまわり』 『あなたと』 も聞けて大満足でした。大内さんの唄も素晴らしく、温かい人柄が曲から溢れてくるようでした。何といっても彼の作った校歌が最高に素晴らしかった。あの校歌を歌う生徒は幸せですね(笑)。ライブ映像が終わるともうお別れの時間でしたが、詩野さんの一言で時間という制約から解放されてクリスマスイブへと時間は過ぎていきました。サプライズなゲストの登場もあり、全員がとても楽しい素敵な夜を過ごすことが出来ました。人とのつながりは不思議なご縁ですが、きっと偶然の出会いはありません。私の意識が引き寄せた素敵な心の友との出逢いが、それを確信させてくれました。詩野さん&美月さん、そしてPさんにも感謝です!翌朝、美味しいモーニングコーヒーをいただいた後、次の再会を約束して詩野さんのアトリエに別れを告げました。

                                                                                                  
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その日はクリスマス・イヴ・・・スクール終了後に、ともに学ぶ仲間とともに東京ユニオン教会のクリスマス礼拝に参加しました。東京ユニオン教会は表参道に面した教会で、午後7時に始まったクリスマス・ミサは大半が外国人で、当然のことながらプログラムもお祈りも賛美歌も全てが英語で進められました。クリスマス礼拝に出席するのは、大学時代以来20年ぶりの経験でしたが、心が洗われるような清清しい気持ちになりました。パイプオルガンの奏でる讃美歌のメロディーは何ともいえない心地よさを感じました。参加者全員がキャンドルサービスの灯りを手に“Silent Night”を合唱したとき、眩いばかりのロウソクの光の中に天使が舞い降りてくるイメージが浮かびました。人々の祈りが天に届いた瞬間でしょうか・・・とても感動的な夜でした。

                                                                                              

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クリスマスのこの時期に私が思い浮かべるのは、アッシジの聖フランシスコ 『平和の祈り』です。

神よ、わたしをあなたの平和の使いにして下さい
私が、憎しみのあるところに、愛を
争いのあるところに、許しを

分裂のあるところに、調和を
疑いのあるところに、信頼を

誤りのあるところに、真実を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを

暗闇のあるところに、光を
もたらすことができますように、助け、導いてください
                                                                              

神よ、私に、慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを

愛されることよりも、愛することを求めさせてください

与えることによって、人は与えられ

許すことによって、人は許され

死ぬことによってこそ、人は永遠の生命を生きていることを悟れるのです

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                                                                        今日は、私がしている瞑想をご紹介したいと思います。先日の大江山旅行の際にも、ご一緒したメンバーに誘導瞑想の形でやらせていただきましたが、評判がよかったのでブログでもシェアすることにしました。既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、“光の瞑想”といって、とても安全で且つパワーのある瞑想法でもあります。サイババも、瞑想の対象として光を用いることを奨励しています興味のある方は、是非試してみてください。以下、私がやっている瞑想の手順を掲載しますので参考にしてください。素晴らしい経験が出来ることをお祈りしています。


この瞑想は 【光の瞑想】 と言って、自分の光を感じ、それを宇宙にまで広げ、愛を広げるという行為に他なりません。ですから、この瞬間に自分からエネルギーを発信していくという意図を持ってやってください。まずは、ガヤトリーマントラを唱えます。


OM Bhur bhuvah svaha

オーム ブール ブワッ スワハー

至高の神よ、 地よ、 空よ、 天界よ

Tat savitur varenyam

タッサビトゥー ワレーニャムー

私たちの聖なる母よ、その輝きは私たちの心にある暗闇を滅します

Bhargo devasya dhi mahi

バルゴー デーヴァシャ ディー マヒー

私たちは、その聖なる輝きに瞑想します

Dhi yo yona pracodayat

ディーヨーヨーナッ プラッチョーダヤート

私たちの内なる知性を目覚めさせたまえ

~以上を繰り返し3回唱える~

シャーンティー シャーンティー シャーンティーヒー

平安        平安       平安


では、今から目の前にロウソクの炎を想像してください。想像できないときは、ロウソクの炎を見てください。ロウソクの炎を、あなたのサードアイ、つまり眉間にある第六チャクラから、光の玉となったロウソクの炎をどんどん吸収して、あなたの頭に入れてください。


頭に入った途端、この炎は真っ白い光のボールに変わります。この真っ白い光のボールは、通り道全てを浄化する力を備えています。さて、今まずは、頭全てに光を広げてください。あなたの頭が、本当に美しいものを考えることが出来るように、光に浄化してもらいましょう。


そして次に、その光の玉を、両目のところにもって来ます。あなたが、これから美しいものだけを見ることが出来るように・・・という願いを込めて、両目を白い光で満たしてください。愛に満ちたものを見れるように、白い光で満たしてください。


そして次に、白い光を両耳にもって来ます。これからは、美しい調べを聴けるように、愛で満ちたものを聴けるように、白い光で、両耳を浄化してください。


そして次に、鼻に持ってきます。鼻が、美しい香りを嗅げるように、愛で満ちたエネルギーを嗅ぎ分けられるように、白い光で鼻を浄化してください。


さらに、口元に持っていき、口の中を白い光で満たしてください。これから、あなたの口が発する言葉が全て、愛の力で満ち溢れていきます。愛に基づいた言葉のみを、口から発することの出来るように、口を浄化してください。そしてまた、頭全体を白い光で覆ってください。


さて次に、喉元を通ります。白い光が喉元を通るとき、あなたの喉元は浄化されるでしょう。さらに、右肩から右の手のひらまで、白い光で満たしていってください。どうぞ、愛のために右腕が使われますように・・・という思いを込めて、光を通してください。光は、ゆっくりと通ります。ただ、地球上の時間軸で言うなれば、早く通ります。あっという間に、浄化は行われます。


さらに、手のひらから指の先まで、光は通ります。あなたの右手は、これで合いのために使われるでしょう。次に、手のひらから右肩に移し、さらに左の肩へと移動し、左の手のひら、左の指の先まで、白い光を移動させてください。私たちの左手が、どうか愛のために使われますように。

                                                                           

そして、左の指の先から手のひら、そして肘、肩まで戻してきます。次に、首の下、胸板、全てにおいて光で満たします。痛みも、怖れも、固まりも・・・全てがこの光が浄化します。


次に、あなたのハートチャクラに、この光を持ってきてください。そうです、ちょうど胸と胸の間です。あなたのハートが愛に満ち、愛のハートをあなたが心から開けるように、白い光がここを満たします。さて、ハートチャクラの中には、あなたの信じている、あなたの中で信頼できる、神様のような、天使のような、ガイドのような存在がいますよ。どなたか、よく見てください。あなたのハートチャクラには、どなたかがいらっしゃいます。誰がいるのか、よく見てください。


そして、その方は笑っています。そこに、よく見たら、あなたがいます。あなたが子供のように、その大いなる方の膝の上に、抱かれていますよ。そして、本当に、本当にいい子だね!というように、頭を撫でられています。そして、あなたを抱きしめています。


さて次に、その白いハートチャクラにあった光を、腰までおろしてきます。そして、上半身全てを白い光で満たし、自分の上半身全てが愛のために使われますように・・・という思いで、白い光を満たしてください。


さて次に、あなたの腰元を、全て白い光が包みます。腰元のブロック、腰周りにあるほんの少しの痛み、大きな痛み、全てをこの光が取り除いてくれます。


次に、腰から右の太もも・ふくらはぎ・足の甲・足の指先まで、右足全体を光が包んでいきます。この右足が、愛のために使われますように。そして光を、右足の指先から、腰まで戻します。


次に、左の太もも・ふくらはぎ・足の甲・足の指先まで、白い光が伝わっていきます。左足全てが、白い光で満たされています。どうか、この左足が、愛のために使われますように。


さて今この時点で、あなたの体全てのレベルにおいて、白い光で満たされています。あなたは、完全にクリアになっています。白い光が、体から徐々に広がり、卵のオーラの形まで広がっていきます。あなたの、1メーター外側位まで、卵の殻で包んでください。あなたの体は、白くて眩い光に包まれています。あなたのオーラも、あなたの中心、ハートチャクラから出る光によって、四方八方、全ては白い光で満たされています。あなた自身、全てが白い光で満たされ、とてもリラックスでき、とても気持ちよくなっていきます。


さて次に、目を開けずに、この部屋の状況を想像しましょう。ここは、大江山グリーンロッジ(・・・ご自分のいる場所に置き換えてください)です。まずは、この場所から光を発しましょう。この部屋全てに、自分の白い光を放ってください。つまり、オーラレベルではなく、もっともっと光を、あなたを中心にした光を広げていくのです。部屋の隅々にまで、行き渡るようにあなたの光を拡大させてください。これは、下にも上にも横にも、四方八方に広がります。あなたを中心とした、まるで球体です。あっという間に光は広がります。光により、この部屋は浄化されました。そして、愛のために使われるでしょう。


さて、部屋から少しばかり出て、部屋の外へどんどんどんどん光を広げていってください。自分の意識を伴った光が、愛の光が広がります。光の速度はどんどん増します・・・ここは大江山です。あっという間に大江山全体に広がり、そしてその先、東へも西へも、北へも南へも、全ての方角に広がります。


日本地図を思い浮かべてください。あなたのいる場所は何処ですか?自分の今いる、大江山の場所を点で指してください。そしてそこから、あっという間に白い光が広がりだしています。あっという間に、日本全国を覆っています。


そして次に、地球儀のようなものを思い浮かべてください。そしてそこで、日本の位置を探すのです。そしてそこで、大江山を探すのです。そこから、あっという間に白い光が地球儀全体、つまりこれは本当の地球なのですが、あっという間に広がっているのを想像しましょう。


地球全体は白い光で覆われました。今この現在、大江山のこの地点にいる、あなたからの光が、地球上をぐるっと取り囲んでいます。今、全ての人方は愛の思いで満たされています。


次に、地球を含む宇宙を想像しましょう。地球から、あなたを中心とした白い光が、どんどんどんどん広がります。宇宙の果てまで、どんどんどんどん速度を増して白い光が広がり、宇宙の他の惑星、全ての星星、全ての生命体、全ての空間を満たし始めています。


あっという間に、宇宙の本当に遠いところ、宇宙の果てまで、あなたの光は広がっています。ある時点で、光はストップします。さて、ここでしばらく休憩しましょう。あなたの放つ光が、宇宙の果てまで広がっている・・・それを想像してください。それは、あなたの、そして宇宙の愛で満たされています。ゆっくりと感じてください。


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                                                                            さて、そこからのエネルギーの全てを貰って、あっという間に帰ってきましょう。全ての光は収束に向かいます。あっという間に地球全体に届き、地球からあっという間に日本に戻り、日本からあっという間に大江山に戻り、大江山からあっという間にあなたの所に届きます。そして、あなたのまわりのオーラにまで収束されます。

全ての宇宙のエネルギーを含んだ愛が、あなたの元に届いています。今、その光をハートチャクラに収まるくらい小さくして、ハートチャクラに収めてください。あなたのハートは今、強大な力を得ています。宇宙のエネルギー、宇宙の愛で満たされています。


意識が戻ってきたら、ゆっくりと目を開けてください・・・以上で、終わりです。


光の瞑想・・・如何でしたでしょうか?

私の場合、好きな音楽を流しながら20分くらいかけて、この瞑想をやっています。

この瞑想を試された方は、是非感想を聞かせてくださいね。

また、皆さんがお薦めの瞑想があれば、是非是非教えてくださればとても嬉しいです!

11月19~20日にかけて、京都府北部にある大江山へ旅行に行ってきました。今回の企画は、友人のヒーラー“KEIKOさん”が主催するル・クールの日曜日という月例のスピリチュアル勉強会での情報がきっかけでした。参加メンバー“REIKOさん”が、以前に大江山に行った時に、とてもよい気を感じたこと、UFOの写真を撮影したこと、などをシェアしてくれた時、参加していたメンバー4人の意見が一致し、大江山に行くことが即決しました。毎回違うメンバーが参加する会でもあり、参加メンバーが違っていたら今回の旅行は実現しなかった(スケジュールがあわない)ことを考えると、これも偶然ではなく必然だったのだと感じます。


19日早朝に出発し、愛車で3人をピックアップしながら一路大江山を目指しました。途中、大江山の麓にある“元伊勢内宮皇大神社”に参詣しました。小雨の降る生憎の空模様でしたが、歴史を感じさせる立派な杉木立の山道を登っていくと、空気の質が変わっていくのを感じました。特に鳥居を潜って境内に入ると明らかに空気が違って感じられました。外界との見えない結界でもあるかのように空気の密度が濃いのです。荘厳なとても心地よいエネルギーを感じながら、明日の朝、念願の雲海を見ることが出来るように祈念しました。


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元伊勢内宮皇大神社に参詣の後、今宵の宿である大江山グリーンロッジの離れ(私たちの貸切)にチェックインしました。夕食である鍋の準備をした後、明日の雲海見学の場所を下見することにして出発したのですが、山頂へと続く道路が途中で通行止めになっているではありませんか・・・ガ~~~ン!絶句したのも束の間、封鎖されている看板の間から車一台が通れる隙間を発見した私は、そこをすり抜けて通行止めを無視して山頂を目指す覚悟を決めました。そして、一同を見渡すと誰も異論のない様子・・・こうして、4人の命は私の運転に託されたのでした(怖)。


封鎖を突破して走っていると、通行止めの理由がはっきりと理解できました。何と、道路のあちこちで土砂崩れの痕が残っているではありませんか。一応、応急措置として土砂の除去はしてありましたが、数箇所で、道の3分の1程度が崩落して崖下に落ちているのです。崖下に転落しないように、慎重に運転しながら、それでも断念せずに山頂を目指しました。二度にわたる通行止めを突破して、ようやく遠くの山々を見渡せる目的地に到着したのです。天候は生憎の曇り空、天気予報もあまりいい情報を提供してくれませんでしたが、明朝に雲海が見れることを祈りながらその場を後にしました。


ロッジに戻ってからは、テレパシーカード、カエルカード、エネルギーの交流、丹田たたき、瞑想などなど、たくさんのワークをして大いに盛り上がりました。ほんの少し前まで、お互いの事をほとんど知らないもの同士が、スピリチュアルという共通意識の下で集い、一夜を共にし(決して変な意味はありませんが・・・笑)語り合うことの出来る幸せをしみじみと感じながら眠りに就きました。


嬉しくて5時前に目覚めた私でしたが、起床時間にはまだ間があったため布団の中で静かにしていました。その後、皆を起こして、いよいよ念願の雲海見学に出発・・・しかし、外はかすかに小雨の降る生憎の空模様。それでも、『大丈夫、絶対に雲海が見れる』と言い聞かせて、夜明け前の暗い山道を、崖下に落下しないように注意しながら山頂を目指しました。神さまのご加護か、ご来光前に無事到着することが出来ました。


そして、そこから見た光景に 感動・・・ただ感動・・・雲海が出てる~!


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 しばし言葉を忘れて風景に見入りました   左端が私(BON)です・・・初顔出し


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 ご来光の瞬間、そこだけ雲が途切れ陽光が顔を出しました・・・また感動!


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 これもひとえに、昨日祈願した“天照大神”のなせる業かもしれません・・・


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 雲の隙間から下界を照らす幾筋の光・・・神々しい輝きに、またまた感動!

                                                                      ☆それぞれの写真をクリックすると、もう少し大きな画像がご覧いただけます

  是非、この感動を共有してくださいね

今日はブログを始めて以来の新ネタを披露しま~す!

といってもよくある美味しいお店レポートですので、あまり期待されると困りますが(笑)。


車で15分という距離に住んでいながら、なかなか行けなかった念願の店に今日行ってきました。          

メンバーは妻と息子と私の三人・・・かなりの人気店なので事前にバッチリ予約しておきました。                  

店の名は “CIRO(チーロ)” 明石から淡路島に渡るたこフェリー乗り場のすぐ傍にあり、明石海峡大橋を見渡せる素敵なイタリアンのお店です。播州赤穂にある“さくらぐみ”から独立された小谷さん夫妻が開いたお店だそうで、ナポリの窯で焼く、本場のナポリピッツァを食べさせてくれます。

                                                                 

タコェリー 店内

 レインボーに輝く明石海峡大橋を望む    お店の窓からは左の風景がバッチリ

                                                            

私は大学時代、RYURYUという美味しいスパゲティー専門店でアルバイトしていたこともあり、パスタは大好物です。気が向けば、休日に家でパスタを作ることもあります。家族や友人に好評なのは、ナスベーコン、たらこツナ、オイルサーディンコンビーフ・・・極たま~にトマトソースやホワイトソースベースのものも作りますです、ハイ・・・ちょっと自慢気味(笑)!前置きが長くなるのが私の悪い癖ですが、ややピンボケ気味の写真(誰が撮ったん?←出た~神戸弁)を交えながら、今日食べた料理を紹介したいと思います。


★前菜二種盛り

前菜1 前菜2

   タコとイカと貝のマリネ・・・旨い!         この温野菜たちもGOOD!


★ピッツァ (カプリチョーザ)     

ピザ 釜

  生地にもちもち感があって美味しい!          本場ナポリの窯

敢えて言わせて貰うなら、モッツァレラに                                                 

きのこの味はどうかな?という感じ
                                                                         

★アクアパッツァ
             アクアパッツァ
         明石鯛が二匹も出てきて吃驚!これで二千円は安い!
誰が食べるん?というほどの量でしたが、白ワインの味付けがまた絶妙で気がつけば                     

綺麗にペロリ・・・恐ろしき私たち夫婦の胃袋!!!
                                                                       

さて、念願のパスタはゴルゴンゾーラを頼もうかと思いきや・・・ここが思案の為所・・・

息子の『もうお腹一杯で、パスタを食べるとデザートが別腹にならない』という一言で断念。

そして、いよいよ最後のデザートに突入したのであります・・・まだ食うか!


★デザート各種

ジェラート&ソルベ デザート

イチゴシャーベット&バニラジェラート   イタリア風モンブラン(生クリームたっぷり)

下にあるフルーツポンチもなかなか       カプチーノを飲んでフィニッシュ


こうして、念願のチーロでの楽しい時間は過ぎていったのでありました。

美味しいものを食べると、人間誰もが幸せな気分になります。

そして、心が満たされます・・・これもスピリチュアルなのかもしれませんね。

妻と息子はすでに夢の世界です・・・私ももう寝ます。

おやすみなさ~い!

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先日、ブログを通じて素晴らしい交流をさせていただいているVOXY様より、私の記事(青文字)に対して以下のメッセージ(赤文字)をいただきました。


現在の私は、仏教をはじめどの宗教にもまったく関心がありません。

宗教を肯定も否定もしませんが、今世の私には必要がないようです。

これからの時代は、一人一人が自分の精神性を高めていくことが、当然のように

起こってくる予感がありますが、それを司るのは最早、宗教ではない筈です。

一人一人の中に、神がいます。

その神の部分とつながることで、本当の自分を思い出すことが出来るようになってきます。

今、私はそのプロセスを歩みながら、少しずつそのことを思い出し始めています。

同じ意識の人が、地球上にどんどん増えていることも感じます。

これからは、『人生は素晴らしいものだ』 ということを自分自身が体現し、

私の経験をシェアすることで、今はそのことを忘れている人にも

思い出してもらえる自分であり続けたいと思っています。


> 宗教のことに触れておられましたので

> BONさんに限ってということではないのですが、最近のスピリチュアル、

> 癒しのブームにわたくしは、一抹の不安を感じているものの一人です。

> 万が一、もしも、聖書の記述が真実ならば、すべての愛、癒しはイエス=キリストという

> おかたを源としていることになります。

> まことのいやしはイエス=キリストから来るということが書かれています。

> そのイエス=キリストの教えを中心に、キリスト教の宗教は存在しています。

> 一つのしっかりした理性や知性をふまえた宗教という枠組みで規定するこなしに、

> スピリチュアル(霊的な部分=神の領域)に人間がかかわることは、第二、第三のオウム

> 麻原教祖のような存在を生む危険をわたくしは感じています。 (マタイ福音書24章11節)

> オウム信者は、まことに不思議なことに

> 人間的には、優秀な科学者であり、また、学歴もIQ的にも高い人々でした。

> そのような方々が何故あのような事件を起こすに至ってしまったか。

> スピリチュアルな面に大変大きな問題があったからです。

> あくまで、聖書の価値観でものを言って大変申し訳ないのですが

> ヒーラーの本質については、

> もし可能ならば、映画【パッション】をみていただきたいのですが、そこに

> メルギブソン監督が、かなり聖書に忠実にいやし主の本質を表現していると思います。

> 宇宙、命、愛という概念について愛するものに命を与えるということ

> 特定の宗教【団体】に属される必要はないと思いますが、ヒーラーを目指されるにあたり、

> ぜひとも、聖書との比較研究省察はお願いしたいと思います。

> 勿論本心は、BONさんのような愛情深く、素敵な方が、わたくしたちの共同体に属してくださり

> 助けてくださることことを希望してはいるですが、信教の自由がありますから・・・。

> いろいろ僭越なことを申し上げましたがお赦しください。


VOXY様らしい、愛と思い遣りに満ちたとてもあたたかいメッセージだったので嬉しかったです。

すぐに返事を書こうと思いましたが、宗教という大きなテーマなだけに自分の想いを言葉で表現することの限界を感じ、しばらく返事をかけずにいました。今でも言葉では上手く表現できるとは思えないのですが、心に問いかけて浮かんできた言葉を綴ってみたいと思います。言いたいことの半分も言えないないかもしれませんが、出来るだけ正直な気持ちを書いてみたいと思います。


VOXY様、ご心配いただき本当にありがとうございます。ご指摘いただいた文面から、仰りたい意図は十分理解しているつもりです。私のメッセージを読み返してみても、誤解を生じる表現があったことと深く反省しております。VOXY様には、以前にもお話したかもしれませんが、私が子供の頃には近所に外人宣教師が住んでいて、彼らが開催してくれていた日曜学校にも通っていました。また、ミッション系の大学だったため、チャペルの時間やキリスト教学の授業も履修していました。建学の精神である“Mastery for Service ”に集約されるキリスト教主義に基づく教育は、現在の私の人間形成にも大きな影響を与えてくれていると確信しております。その他、クリスマスコンサートや結婚式で奏でられる賛美歌も大好きですし、新約聖書も愛読しています。キリスト教の献身的な愛や犠牲的な愛を実践する主人公が登場する、作家/三浦綾子さんの作品も大好きでよく読んだものです。


一方、学生時代は観音様も好きだったので、西国の札所を巡っては心の平安を得ていました。大晦日には、除夜の鐘を聴きながら心に去来する煩悩を洗い流すことも好きでした。煩悩により四苦八苦するのが人間・・・四苦八苦=四×九+八×九=36+72=108・・・煩悩を断つ除夜の鐘が何故百八つなのかという意味を知って凄いと感じたものでした。今では、観光以外で寺参りをする機会はめっきり減ってしまいましたが、代わりに自宅で瞑想という形で自分の内なる存在と繋がり、心に溜まった垢落としをしています。


私の考えを述べさせていただけるならば、宗教の教えそのものを蔑ろにしているわけではありません。私自身の輪廻転生(キリスト教では認められない概念ですよね・・・)の過程でも、様々な宗教に関わり、信者として学んでいた過去世の記憶があります。勿論、今生の学びにおいてもキリスト教からは多くのことを学ばせていただいております。夫々の宗教には素晴らしい教えがたくさんある(カルト教団のような例外もたくさんありますが・・・)と感じながらも、現在までどこにも所属しておりません。しかし、宗教からたくさんのことを学んでいますし、今後も必要な知識を得ることにはかわりないと感じています。


宗教が作ったしっかりした理性や知性をふまえた教義そのものは素晴らしい智恵であり、私たちが実践する生き方のヒントであると思っています。しかしながら、固定された教義に基づいて組織を固めていかなければならない古い形の「宗教」の在り方には、甚だ疑問を覚えてしまうのです。本当に素晴らしい教えであっても、他宗を排撃するような人を産出するようになった瞬間に、組織としての宗教の持つデメリットが表出してしまうのだと思います。組織という枠組みを守るために、他の考えを受け入れないという人間のエゴです。愛の教えを崇拝するキリスト教国であるアメリカと、イスラム教圏の国々との火種が絶えないのも、政治や経済利権だけの問題ではなく、根底に宗教観の違いに端を発した人間のエゴが潜んでいるのではないでしょうか?


かつて、時代時代の節目に救世主と呼ばれた偉大な光の存在が、神の教え(宇宙の真理)を説きました。その偉人達が説いた教えが、ある地域では仏教として、またキリスト教として、ユダヤ教として、イスラム教として、儒教として、日本古来の日本神道として、世界の国々で広がってきたのだと思います。ですから、どの宗教もその時代のその地域で必要とされた教えであったと思います。同じ仏教から派生した宗派であっても、日本に伝来されて以降、時代背景や時の権力者の影響を受けて様々な形に変化したことをみてもそれは明らかです。

                                                                  キリスト教の歴史を観察しても例外ではないでしょう。本来、人々を導く愛の教えを説いたイエス=キリストの教えが、時代や環境の変化、その時代の支配者に利用されてしまうのも世界の宗教の歴史を見れば明らかです。イエスの教えとは関係なく、組織としての宗教を利用したり守ろうとする人間の出現により、本質が歪められてきているように思います。キリスト教において、宗教革命が起こったこともそうでしょう。マルチン・ルターを始めとした原理主義者は、自分達が正しいキリスト教者だとして、カソリックと対立し、蹂躙してきた歴史も然りです。


イエス=愛の代名詞とも思っていますし、イエス=キリストという人物が説いた愛の教えは普遍的なものだと思っています。しかし、イエスだけが愛の源ではありません。イエスは神の愛の実践者であり、宇宙に蔓延する神の愛をこの地球に、私たち人間に説いた偉大な指導者だったのだと思います。イエスの教えを学ぶことで、神の愛を学ぶことは素晴らしいと思いますが、キリスト教こそが全てであるという妄信はよくありません。


可能性という点で言えば、一人一人の心にはイエスと同じように神の愛を感じ、体現するだけの力が備わっているのだと思います。これまた極論ですが、増上慢な心で持って、誰もがすぐに悟れるといっているわけではありません。その可能性が誰にでも平等に与えられているといっているのです。何故ならば、全ての人間の本質は光であり、愛であるからです。そして、全ての人間が神の一部であるということを私は信じています。


今の時代もそうです。教祖と呼ばれた偉人が説いた教え(悟り)は素晴らしいものであり、輝きが消えることはありません。しかし、その教えを崇拝しているだけでは決してだめだと思うのです。彼らだけが神から選ばれた特別な存在ではないのです。確かに歴史に名を残し、何十億という人々に影響を与えた素晴らしい光の存在です。ゆえに彼らの生き様や教えは称えられることはあっても、否定されるものでは断じてありません。読まれている方も、これだけは誤解のないようにお願いします。


しかし私は、誰もがひとりひとりの心の中に、彼らと同じ悟りを経験することを可能にする神性な部分を有した存在だと思っているのです。それを、言葉というもので表現することは非常に難しいですが・・・・・宇宙で唯一の真理(叡智)があったとしても、その叡智を感じて表現した言葉(人)が10あると、10通りの解釈が生まれます。その10通りの解釈を聞いた人が、他の人に伝えると、また違った解釈が生まれます。私はその10の解釈が広がり、教えとなったものが宗教だと思っています。どれも正しいのですが、どれもが真理の一部を伝えているに過ぎず、真理(叡智)を100%伝えられているわけではありません。ですから勿論、その教え夫々の違いであって上下はないのです。


私もよく使いますが、スピリチュアルという言葉の定義はあまりに広すぎて私自身も説明できませんが、今の私の立ち位置を表す言葉として、一番しっくりくる言葉ではあります。私が感じているスピリチュアルは、自分の中にある神聖な部分と一体化することです。私自身が光であり、愛であり、神の一部であるということを信じられること。本当は内なる神とつながることで、悟ることも癒されることが可能であるということ・・・全ての救いや答えが、本当は外でなく自分の中にあるということを思い出すこと。そのために、自分以外の全てが存在してくれているという真実に気付くことなのだと思います。


まとまりのない文面になってしまいましたが、上記のメッセージは、あくまでも私の個人的な見解であり、正邪を問おうという意図は全くありません。宗教という非常にデリケートな問題ですので、読まれた皆様、どうか悪意の解釈や誹謗中傷の対象には絶対にしないでください。それ以外のコメントであれば、私の学びにもなりますので喜んで拝聴させていただきます。

                                                                          

VOXY様へ・・・私が影響を受けた様々な書籍の中で、最も私の疑問に対しての答えをくれたのが、ニール・ドナルド・ウォルシュ著 『神との対話』 でした。VOXY様にも是非読んでいただき、どのような感想を持たれるかを訊いてみたいと思います。最後に、重ね重ね失礼な表現があったかもしれませんが、何卒お赦しください。

                                                                          

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最後に、私が学んでいるライフスクールの師である王由衣さんが、彼女のブログでスピリチュアリズムについて次のように書かれています。その中に、宗教に関する今の私の考えを代弁してくれているフレーズ(ピンク色で表示)があったので、参考までに掲載させていただきます。


スピリチュアリズムは、19世紀半ばにアメリカで生まれ、アメリカ全土やイギリスに広がりました。その運動のピークは20世紀前半とされますが、今でもアメリカ、イギリス、ブラジル他の中南米などにメンバーや活動家(司祭/牧師、霊媒、ヒーラーなど)がいて、世間の目にはあまり見えないところで活動しています。スピリチュアリズムは、人間の魂が死後も生き続けることを信仰・信条の土台とします。そしてそれを証明するための方法論として、霊媒(「チャネラー」)とスピリチュアル・ヒーラーの訓練と養成に力を注いできました。


スピリチュアリズムからは多くの優れた霊媒が輩出していますが、ほとんどは無名で活動しています。比較的有名な人では、アメリカ先住部族のスピリチュアル・ガイド、シルバーバーチをチャネリングしたモーリス・バーバネルや、同じく先住部族のガイド、ホワイトイーグルをチャネリングしたグレース・クックなどがいます。欧米のスピリチュアリズムは、活動の形によって幾つかの派に分かれています。独自の宗教運動というスタンスを保っているところもあれば、キリスト教プロテスタント宗派の中に足場を持って、より一般社会の中で受け入れられやすい形で活動しているところもあります。


これは、転生輪廻を通しての魂の進化を教えるスピリチュアリズムが、キリスト教という、転生輪廻の考えを否定する宗教が主流を占める社会で活動していかなければならなかった歴史と関係しています。

私自身は過去6年、アメリカのオランダ改革派教会スピリチュアリスト派のセミナリー(聖職者課程)で学んできました。あと何年かのうちに司祭(牧師)として叙階を受ける予定です。しかし、スピリチュアリズムを「宗教」として広めようとは考えていません。少なくとも、固定された教義に基づいて組織を固めていかなければならない、古い形の「宗教」の在り方は、その役目を終えつつあると思うからです。スピリチュアリズムは、自らを宗教であると同時に、哲学であり、科学であると定義します。簡単に言えば、宗教とは信じること、哲学とは探求し、深く考えること、そして科学とは、証明を通して客観性を求めることです。スピリチュアリズムの視点と方法論は、今の日本に生きる人たちが直面しているたくさんの問題に解決の手がかりを与え、生きるための指針を示すことができると考えています。人は精神的な視野と価値観なしには、生きることはできない。そしてスピリチュアリズムは、そのためのバランスされたアプローチを示してくれる。これが私の視点です。


最近は日本でも、スピリチュアリズムとの関係をうたっているグループや個人がありますが、本来のスピリチュアリズムについては、シルバーバーチ関連の翻訳以外、あまり知られていないように思います。例えば、スピリチュアリズムに「先祖供養」という考えはありませんし、人を不安に陥れるような形で、目に見えない世界とのコンタクトを仲介することもありません。スピリチュアリズムでは、すべての「霊的存在(スピリット)」とのコンタクトは、私たちが人間としてよりよく生きるための癒しや支え、そして学びと成長のためのきっかけや機会として与えられるものであると考えます。訓練された霊媒やチャネラーが提供するのは、このような機会としての目に見えない世界とのコンタクトです。

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昨夜、久しぶりにセルフ・セラピーカードを使ってのリーディングをしました。セルフセラピーカードでのリーディングにはいろいろなやり方がありますが、今回私がしたのは3枚のカードを使っての問題解決のためのリーディングです。3枚のカードに込められたメッセージは以下の通りです。


1枚目に引いたカード・・・直面している問題や課題の根底にある、隠れた原動力

⇒ このカードを研究し、現在の問題とどんな関係があるかを見る

                                                                         2枚目に引いたカード・・・その状況を変容していく癒しの原則

⇒ 問題とその根底にある原動力という観点からそのカードを研究する

                                                                        3枚目に引いたカード・・・癒しの結果

⇒ 障害や妨害を取り除いた結果、その状況に現れてくるギフトを表す


実際に、今私が直面している問題(課題)を思い浮かべ、そのことをスピリチュアル・ガイドに問いかけながら、カードを引いてみました。


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★1枚目のカード ⇒ 試練 (SHARMANIC TEST)


◆このカードの意味・・・・・【 次のレベルにいくための大きなチャレンジであり、新たな意識の

          レベル、ビジョンやパワーへの飛躍のチャンス 】

                                                                            『試練』 とは、私達自身が作ったチャレンジです。そこにはネガティブな力を使い、それを統合して、より高いレベルの意識やパワー、ビジョンに跳躍する機会があるからです。この状況で失敗してしまうと、それを悲劇だと感じます。あまりにもひどい痛みなので、心臓がえぐられる様な感じさえするでしょう。生きるか死ぬかの状況にもなりかねません。また必ずしもネガティブな状況ではなくても、危険な状況であったりすることがあります。この機会に失敗してしまうということは、今までの人生で築きあげてきたものを失うことを意味します。『試練』の体験は、古い自分の死です。まったく新しいレベルに前進できることもできるし、そこでつぶれてしまうこともあります。テストに失敗すると、その痛みを心の奥深くに埋め込んでしまいがちですが、それでもそこからネガティブな影響を受けるのが普通です。しかし今からでもそのレッスンを学び、テストに合格して、状況を変容させ、成功の見返りをすべて受け取る機会はあるのです。最初のテストに合格しなかったとしても、テストは今でもずっと続いています。


◆このカードが出たら

                                                                             始めに、このチャレンジはチャンスだという見方をしましょう。ここで成功する道は必ずあります。そして成功すれば新しいレベルのビジョンと誕生、愛、創造性、サイキック能力、芸術性やヒーリング能力に到達できるのです。また全く新しいレベルの人間関係がもたらされることでしょう。

あなたは今、次の高次のレベルのテストに直面しています。このテストに失敗すると、まるで世界が崩壊したかのような感じがするでしょう。ことに高度なレベルのテストの場合は、大いなるものの導きを求めることが大切です。あなたの存在の中心に戻り、あなたを通して天の恩恵が降り注がれることをお願いしましょう。普通このような状況では、自分だけの力だけでは何をしても多分うまく行かないでしょう。しかし、天の助けを借りれば、あなたを通じてどんなことでも可能になるのです。あなたが「これをしたらいい」と直感的にひらめいたことは、何でもしてみましょう。

シャーマニックテスト(試練)もさらに上の高度なレベルのテストも、あなたの内面から出現してくることが多いのです。あなたが過去にそのテストに失敗した時の記憶や、さらには太古の記憶からも湧き上がってくるのです。痛みが今再び浮上しているのは、今の自分にはそれに成功するだけの力があると感じていればこそなのです。

気づきをもって大胆に冒険し、自分のすべてを与えつくすこと。そして、ハイアーマインドの助けを求めること。インスピレーションが浮かんできた時に積極的に耳をかし、自分のすべてをここに賭ける。そうすればあなたはシャーマニックテストやさらにその上の高度なレベルのテストにも見事に合格できるでしょう。そしてあなたの意識は新たなレベルに到達できるのです。さらにそれを自分のためだけではなく、周囲の人達のためにも活用することが出来ます。あなたが今このテストに直面しているということは、あなたの心の気づきを持っている部分が、成功できると信じたからに違いないのです。頑張れ!


★2枚目のカード ⇒ 選択 (CHOICE)


◆このカードの意味・・・・・【 あなたの観念を生みだす源、 マインドの持つ最大の力】

                                                                               『選択』 とはマインドの持つ最も強力な道具です。どんな人間関係を持つのか、成功を経験でできるかどうかは、意識の深い所の『選択』 の力によって決まります。

思考や、観念、感情や行動もまた 『選択』 の結果です。言い換えれば、どんな『選択』 をするかによって自分で自分の経験を決めていることになるのです。そして何が起きてくるのかも、その 『選択』 の結果です。

このことに気づくと、より良い 『選択』 をし続けることができます。起きている出来事に対する姿勢を意識的に『選択』 できる力によって、悲劇が英雄的行為に変わり、大惨事を悟りをもたらす経験に変容させることもできるのです。


◆このカードが出たら

                                                                                    このカードを受け取った人は気づくべきです。あなたを前進させるのは、欲しいものを『選択』 することが出来るという明確な力なのです。今起こっていることが気に入らなかったり、自分が望んでいないことが起きていると思うなら、別の 『選択』 をすることが出来るのです。

次の言葉を使うと役に立つでしょう。

「これは私が望んでいることではない。私はこんな痛みや、喪失の悲しみや、ストレスや、惨めさはいらない」

「わたしが欲しいのは・・・・・・・です」 (できるだけ明確に、正確に述べること)

自分の観念や、思考や、感情や行動、状況が嫌ならば、それを『選択』 によって変える責任は自分自身にあると気づきましょう。「いったい何を 『選択』 したらよいのかを示してください」 とお願いすることもできます。天の恩恵を『選択』 することもできます。ハイアーマインドにすべてを任せると 『選択』 することもできます。ミラクルを求めると 『選択』 することもできます。

慢性的な魂のパターンによっては、ネガティブな観念が何千もの層になっていることもあります。その場合でも、ひとつ『選択』 すれば、少なくともひとつの層が癒されます。時には多くの層や、すべてが一度に癒されることもあるのです。


★3枚目のカード ⇒ 喜び (JOY)


◆このカードの意味・・・・・【 願望実現。神の愛を受け取り、与えられているという勝利感

愛と結びつき、地上に天がもたらされる前兆

                                                                                   『喜び』 とは実現のカードです。今日あなたに受け取る意志があるならば、『喜び』 という恩恵はあなたのものです。愛があるところに自然に 『喜び』 がやって来ます。真実の結びつきを認識するところから 『喜び』 は生まれます。たとえあなたのまわりに何が見えていようとも、本当は愛が勝利し、成功が訪れていることを 『喜び』 が教えてくれます。もう祝福し始めてもよいのです。あなたの 『喜び』 は人にもうつっていきます。『喜び』 は癒しをもたらし、息苦しい世界に息吹を与えてくれます。通常認識している現実よりも、より真実に近い現実への扉を開いてくれます。それは地上に天国が訪れる前兆であり前ぶれです。

今日はあなたの人生や身のまわりの人々の人生を味わい楽しむ日です。そしてあなたが愛と創造性につながっていることを認識する日です。そしてそのことがあなたの経験する最初の最も根本的な現実なのです。


◆このカードが出たら

                                                                           このカードを受け取った人は、『喜び』 で満たされるでしょう。そして、自分を通して周囲の人々もまた 『喜び』 で満たされることでしょう。神からも人々からも愛されていることをここで認めるのです。そうすると今度はあなたから愛を与えることができるのです。幻想が消え去った時、あなたは自分が愛そのものだということを知るでしょう。その時に、『喜び』 がいつも道づれになるでしょう。


カード・リーディングをしていつも感じることは、絶妙なタイミングで適切なアドバイスを受け取れるということです。本当にすごいな~と思います。例え、一見厳しいなと感じるメッセージであっても、その奥には温かい愛に満ちたギフトが隠されています。自分自身の心が、その恩恵を受け取る準備さえ出来ていれば、必ずや光が差し込んできます。何故なら、このメッセージは誰でもない、自分自身の内面(ハイアーマインド、高次の自己、神と呼ばれる存在)からの愛に満ちたメッセージだからです。今日ご紹介したカードのメッセージは、私が今直面している課題を乗り越えるためのものですが、もし皆さんの心に響くメッセージがあったとしたならば、是非受け取ってみてくださいね!

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アメブロを始めて、今日でちょうど1年が過ぎました。日記代わりに心の声を書き留めてきましたが、このブログのお陰で、実にたくさんの気づきを得ることが出来ました。言葉に記すことによって、『俺って、こんなことを考えていたんだ!』という新たな発見があったり、日頃無意識で感じていることを自覚(認識)できるようにもなりました。ふと、こんなことを書きたいというテーマが浮かんできて、キーボードを叩き出すと勝手に手が動いて文章になるという経験が何度もありました。例えると、既に出来上がっている文章(メッセージ)があって、私を通して表現されているみたいな感じです。そして、何より嬉しかったことは、本当にたくさんの人と出逢い、お互いが意識の上で繋がれるようになったということです。ブログに書き込んでくださるコメントに、どれほど励まされたことか、どれほど勇気づけられたことか・・・そして、大切なことを教えていただくことが出来ました。こうした機会を与えてくれたアメブロと、ブログ上で交流させていただいている皆さんに感謝です・・・・・   本当にありがとうございます!


今の状態を観察してみると、ヒーラーへ向かって進んでいる私の道はとても順調で、一点の迷いも不安もない状態です。しかし、人生という観点でみると、この先に越えなければならない壁が立ちはだかっているような気がしています。それを脱するためのキーワードが浮かんできたので書き綴ってみました。

『自分を信じる』 『怖れと不安からの開放』 『子供の自分を思い出す』 『思いっきり遊ぶ』 『ありのままを受け容れる』 『自分を愛する』 『自分を許す』 『家族との関係』 『ソウルシート』 『今この瞬間に生きる』 などなど・・・今まさに私自身が変容する時期にあるのだと感じます。       

キーワードの言葉を見て、それぞれのメッセージの意味するものを感じます。以前、このブログで書いたメッセージの中にも同じような内容が含まれているので、また読み返してみるのもいいかなと思っています。新たなメッセージには、その奥に含まれている意図を感じていこうと思っています。


魂レベルでは、今の状況に何の不安も感じていないどころか、ワクワクしているにも関わらず、頭(思考)レベルで何らかの不安を拭いきれません。それは、自分の両肩に背負っていると思い込んでいる価値観や観念から齎されているのかもしれません。仕事のこと、将来のこと、家族のこと・・・スピリチュアル的には成長できたかな?と思う反面、私の思考は相変わらず頑固です(笑)。

~しなければならない・・・という呪縛から抜けきれず、『もっと、頑張らなければ・・・』 と無意識でやっているのかもしれません。そんな時には、瞑想しても深く入っていきません。思考(エゴ)の囁きに心が乱れ、内なる自分と対話することも叶いません。何となく漠然とした不安(怖れ)が消えないのです。心の声を聴いてみると、確実に次のステップに入ってきていると感じているのに、魂が望んだ展開に思考が怖れを抱いているのかもしれません。エゴに支配された思考を止め、自分の本質と繋がることこそが、唯一の解決策なのでしょうね。


私の人生を振り返ってみると、リラックスすることが下手だったように思えます。肩に力を入れて、一生懸命やらなければ・・・・と頑張って生きてきました。数ヶ月前、ある人から、あなたは過去世で飛鳥時代の高僧だったことがあると言われました。修行僧という過去世には、思い当たる節が大いにありました。大学生時代の私は、見た目(服装)が結構派手だったので、よく知らない人からは、軽薄でチャラチャラした印象を与えていたかもしれません。テニスサークルの代表を務め、女性客の多い人気パスタ店でアルバイトをする傍ら、暇があればお寺巡りを密かな楽しみにしていました。納経帳を持って西国や新西国三十三ヶ所の札所を巡り、住職と話すことに喜びを感じていました。般若心経や観音経も空で唱えていましたが、特に誰に教わることなく、何度か声に出して読んでいたら、勝手に諳んじられるようになっていました。今思うと、これは過去世の記憶だったのですね(笑)。


現在の私は、仏教をはじめどの宗教にもまったく関心がありません。宗教を肯定も否定もしませんが、今世の私には必要がないようです。これからの時代は、一人一人が自分の精神性を高めていくことが、当然のように起こってくる予感がありますが、それを司るのは最早宗教ではない筈です。一人一人の中に、神がいます。その神の部分とつながることで、本当の自分を思い出すことが出来るようになってきます。今、私はそのプロセスを歩みながら、少しずつそのことを思い出し始めています。同じ意識の人が、地球上にどんどん増えていることも感じます。これからは、『人生は素晴らしいものだ』 ということを自分自身が体現し、私の経験をシェアすることで、今はそのことを忘れている人にも思い出してもらえる自分であり続けたいと思っています。


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今週の月曜日、ビジョンダイナミックス研究所代表で、ビジョン心理学アドバンストレーナー/栗原英彰氏のセミナーに行ってきました。ビジョン心理学とは、ハワイ在住の心理学者チャック・スペザーノ博士の提唱する実践的な心理学で、学問としての心理学とスピリチュアリティ(霊性・精神性)とを統合させた全く新しい形の心理学です。今回の講演は、“成功するお金の使い方”というテーマでした。受講後の感想としては、セミナーで話される内容は知っているものが多かったものの、知っているのと実践するのとでは天と地ほどの違いがあることに改めて気づかせていただきました。知識はいくら吸収しても知識でしかなく、実践することによってこそ、ビジョンが実現するのだということを再確認できました。


“お金”に対する私の観念は、ここ数年でかなり変わりました。以前の私ならば、『あなたはお金に対してどのような観念を持っていますか?』と質問をされたら、肯定的に見るよりも否定的に見る事のほうが多かったように思います。否定的に見た場合の観念を単語で表現すると、“汚いもの・罪悪感・嫌悪感”といったところでしょうか。反対に肯定的な観念だと、“豊かさの象徴・大切なもの”といった感じになります。


しかし、今の私の観念は違います。お金はただのエネルギーです。エネルギーであるから循環させることが大切だと思います。お金は中立であり、お金そのものには良いも悪いもないのです。そういう考えが出来るようになると、お金に対する見方が大きく変化しました。お金に対する自分のネガティブな観念を癒すことが出来れば、きっと幸せになれます。お金はエネルギーなのだから、どう使うかは自分の人生の目的をしっかりと意識すれば有効に活かせます。スピリチュアル的な観点から見ても、人生は幸せになるためにあるのです。そうであるならば、お金は自分が幸せだと感じられることに使うことが大切なのではないでしょうか。今、私が投資しているのは他ならない自分自身にです。具体的には、年収の10%程度を自分の好きなこと(ヒーリング関係の学び)に充てています。また、昨年の夏から、ナリッシュ・ザ・チルドレンという世界中の飢餓の子供たちを救うプログラムに毎月決まった金額を継続的に寄付しています。

                                                                                       最近、世間ではホワイトバンドが大ブームになりました。例え一過性のものであっても、若者を中心にたくさんの人々の意識が愛へと向かうことはとてもいいことだと思っています。しかし残念なことに、善意の名のもとで多くの人が参加されている“ホワイトバンド”は寄付でも何でもなく、“3秒に1人”で死んでいっている子供たちには全く届けられていないのが現実だというではありませんか。私も詳しくは知りませんでしたが、この情報が本当ならば悲しいことです。全てのことには良いも悪いもないということがわかっていても、心が痛みます。詳しくは、you-heyさんのブログを見て皆さん一人一人が考えてみてください。

http://ameblo.jp/you-hey/


話が脱線してしまいましたが、このセミナーの冒頭に、栗原氏よりとても印象的な次の質問がなされました。『もし、3億円当たったらどうしますか?』

私は明確なイメージが出来ていたので、ノートに細かく書き出しました。その使い道を見ていると、本当に心がワクワクしてくるのを感じました。この書き出したイメージこそが“ビジョン”です。鮮明にイメージ出来たので、必ずや実現できると確信しました。後は、宇宙を信じ、自分を信じ、全てを委ねる勇気があれば大丈夫、きっと現実レベルでも豊かになってくるに違いありません(笑)。


皆さんのお金に対する観念はどうですか?