前回は、G20とG8の違いについて少し考えましたが、今回はもっともっと根本的な話に。

G20は自らを「premier forum for the international economic development.....(国際経済と国際開発のための最たる場)」として自らを位置づけ、金融危機が起きてからの金融政策を初め、こうした経済(+開発)政策を論じ、各国の足並みを揃える場としている。

だけど、G20は、例えば国連によって民主的に選ばれた代表20カ国の集まりでもなんでもない。

実態は、かなり恣意的に選ばれた「仲良しクラブ」に過ぎない。

G20の「illegitimacy (非正当性)」については、市民社会が広く問題視するところだけど、今年6月のカナダ・トロントで開かれたG8/G20サミットの際に、デモクラシーナウのインタビューに答えたナオミ・クラインが面白い裏話を公開している。ざっとまとめるとこんな感じ。

1999年、当時カナダの財務大臣であったポール・マーティンと当時のクリントン政権下で財務長官だったラリー・サマーズが、中国やインドなどの新興国の台頭という現実に直面する中、G7を拡大しなければならないという話をしていたという。二人は、「クラブ」に招待すべく国を列記してみようという話になり、適当な紙すらその場になかったので、手持ちの封筒の裏に国名をメモって決まったのが現在のG20メンバー国とのこと。

サマーズも後に認めているように、G20とは、世界の中でGDP上位20カ国が自動的に選ばれたわけではない。米国にとって戦略的に都合のよい国に選択的に声が掛けられたのが現実だ。米国の意向が色濃く反映されているわけだから、イランがメンバー入りを果たせなかったのにサウジアラビアに声が掛かったことも頷ける。

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いずれにしても、G20がトップダウンで恣意的な判断によって構成された「クラブ」に過ぎないことは間違いない。

もちろん、各国が自由に「クラブ」を構成する権利はあるし、そこが必ずしも問題ではない。

だけど、G20が今回自らが背負うテーマとして「開発」を掲げていること。彼らの合意する政策や方針が、G20メンバー各国にとどまらないところ(具体的にはアフリカの各国を始めとする途上国)にまで影響を及ぼすことは重大な点だ。例えば国連などの場と違い、開発の当事者である途上国の参加や発言権すら認められていないG20という場で「開発政策」を始めとしたグローバルな課題の方向性が決定されてしまうことが、民主主義に反するプロセスであり、重大な問題なのだ。

しかし、こうしたG20への対応として、「反G20」「打倒G20」を掲げデモ行進することが最善で最も有効な対策かというと必ずしもそうでない。G20は今現在、国際政治上の意思決定の場として実際に存在するし、当面は存在し続けるだろう。このような問題の指摘や批判も、現実を見据え、出発点にしないといけないといけないだろう。
G20でのアドボカシー活動を行うためにソウル、韓国にきています。

そこでG20にまつわる論点についていくつか考えを。

そもそも論 その(1)G8とG20の役割は同じ?

金融危機への対応を協議する場として大臣レベルの会合から首脳会合へと発展したG20。中国、インド、ブラジル、南アなどの新興国の台頭という国際政治の変化がG8からG20への拡大を促したという論調はよく耳にするけれど、だからといってG8の担っていた役割がそのままG20に引き継がれるかというとそうじゃない。

例えば、開発援助の分野での話では、G8はやはり世界の経済大国の集まりだけあって、彼らがサミットでいくらの援助を具体的にコミットするかが一つの大きな焦点だった。

実際、2005年のグレンイーグルズで開かれたG8サミットでは、最貧国の債務の取り消しやミレニアム開発目標へ向けた援助拡大が500億ドル約束された。(こうした約束がどれだけ実際守られたかについての指摘はまたの機会に・・・・)

だけど、こうした目標設定がG20という場で可能かというとそうじゃない。G20という場に限らず、気候変動交渉の場でもいえることだけれど、中国を筆頭とした新興国は、自らの立場を悪く言えば「都合よく解釈」をすることで、時として発展国の「仲間入り」を果たした特別扱いを受ける一方で、時として途上国であることを盾に先進国に求められる責務を回避しようとする。

だから、G20で「開発」なんていうテーマが議論されるときには、G8のときのような「私たちは先進国だから支援する側だから、どのような支援をするかを議論しよう」というスタート地点なんかにはそもそも立てない。「開発」を議題に挙げれば自国内の貧困の話もたんまりできるのが新興国。実際、彼らは経済成長の裏で深刻な格差拡大という難問を抱えている。

ようはするに、「開発」というテーマで具体的支援額をG20として表明してもらうなんていう政治的要求はかなり現実とそぐわない。

もちろん、G20に求める役割というのも各国流動的。例えば、G8には入っていない韓国は国際政治の場がG8からG20へ移行することを望んでいる。だから、一時の危機管理を超えた役割をG20に与えるためにも、より継続性を持ったテーマとしてG20が「開発」に取り組むべきとしてかなり積極的に「開発」という議題を推し進めてきた。

先進国の中でも「G8不要論」が一時勢いづいたこともあったけれど、現在の評価はもう少し微妙。実際、G20に携わる日本政府関係者の声を聞いていると、G8とG20の明確な役割の棲み分けやG20における具体的な戦略があるようでもない。だけど、G20では、新興国(特に中国がという感じだけど)が途上国としての主張をするのではなく、新興国として先進国と同じまでにはいかなくても、それ相応の責務を負う姿勢を見せないと彼らをそうした「国際政治のエリートクラブ(そもそもG8やG20ってそういうものに過ぎない)」に入れるメリットがないと考えている本音が見て取れる。

いずれにしても、本質的にG8とは違う力学が働いていて、だからこそ、G20に対して働きかける市民社会のアドボカシーのあり方も変わらざるを得ないことだけは確かなようです。