私たちが
自分の本当に生きたい人生を生きる事が難しいのはなぜか?
この答えの一つが
【生きることの手段を目的化している】
事なのではないかと思う。
何かを「する(do)」ことは
自我の満足につながるのかもしれない。
自我は「する」ことでしか自分を確認できないのかもしれない。
自我は
肉体や人間集団での自己価値が脅かされた時に
死から自分を守る事が大切な役目。
役目を果たしているだけなのだろうな。
つまり
肉体や精神に危険が及んでいるかのモニタリングと
危険が及んでいると判断したら危険を回避することが役目。
自我の役目が
それ自体が目的化していると
苦しみだけが生まれるのかもしれない。
簡単に死んでしまうことから自分の個体を守るという「自我の役目」は自我にお任せして
自我で守って、「生きたい」生を生きる事が
本来の目的。
死から守ることは手段であるのに
手段を目的化している。
手段を目的にしてしまうと
本来の目的が追いやられてしまう。
手段の目的化で教育が本来の機能を失っていることを
麹町中学校の工藤校長が言ってたな。
それは、教育の問題だけじゃなくて
私たち人間の生き方が教育現場にも現れているだけのことなのだろう。