海を旅する愛と美の表現者 舞海です。コンにちは。
京都の旅も美味しいものだけレポ書いて(笑)、その後すぐの名古屋の旅も楽しく終わり…
(恒例の?トーキュータワーw)
その反動か、帰ってきてからずぅ~んという時間が過ぎております…。
これからどうしていくのか。
『お前それついこの間落ち着いただろう!』
ってツッコミたくなるのはごもっとも。自分が一番激しくツッコんでおります(笑)
わたし、忘れっぽいんですよ…。
忘れっぽいというか、自分の『どうしたい』がすぐ見えなくなる。
『どうしたらいいか』
『どうするのが一番最適なのか』
にスグすり変わる。
このすり替えは、ちかしい関係性の中で起こりがちです。
期待に応えようとしたくなる。
ちかしい人の期待に応えようとしてしまうのは、ガッカリされるのが悲しいから。嫌われたくないから。好きでいて欲しいから。その人との関係が、平和なものであってほしいから。
質として、トークバトルを好みません。なるべく穏便に済ませたいのです。
だから、ガッツリ本音のトークバトルの先にある調和というものを見ずに来ました。意見を闘わせる位なら、不戦を選ぶのですよ。
それは例えば『譲歩』という形で現れたり、『言ってもしょうがない』という諦めで終わったり。その認識がある場合はまだ良い方。
時に、自分の『どうしたい』から離れたことであっても『わたしがそうしたい』と思ってるときがあるから始末が悪い。
選んでる時点で『わたしがそうしたい』のは同じなんだけど、『したい』の発露が自分の純粋な所からなのか、ちかしい関係性の中で出てきたストラテジーとしてなのか、と言うところを、見失う。
そうやって進んだ先に、おいてけぼりになった最初の『どうしたい』がポッカリとブラックホールのように空虚を生んで、吸い込まれそうになって初めて違和感を感じる…。
これの重症なやつが、『自分が聞こえない』状態ですよね。
なのでね、この辺で座右の銘に加えようかと思うんです。
『我に問う。ホントのところ、どうしたい?』
ホントのところのしたいことって、結構単純だったりするのにね。
もう、毎朝唱えようかしら(笑)
名古屋に向かう車中、刈谷での日没風景。
あ~、10周年DVD観たいよ~(ノ_・。)