211、紀元節セレモニー | *Heaven's Blue* -色と海とお茶、そしてコンユとジュリーを愛でるMaiumi's Blog-

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今日の私の幸せが、いつか誰かの幸せに繋がりますように・・・

すでに一週間も経ってしまいましたが、神戸に行く前、2/11に参加した集まり「紀元節セレモニー(於:横浜シャスタ)」の感想というか、受け取ったメッセージなどを書いておきたいと思います。

今回のセレモニーについてはmixi内での告知で、他に参加する皆さんは色々と調べたり報告・発表する事があったり事前準備が必要だったりしたのですが、私は特に何もなかったので気楽~にしていたつもりでした。


当日、巫女係の皆さんが会場づくりをしている隣のキッチンでハーブティーを淹れて。

一口二口飲んだ頃、セッティングが終わり会場に入ると、噂のカテドラルライツブラリー「セレスティア」を中心としたクリスタルのグリッドが中央に組まれていました。

$*Heaven's Blue*
(これはイベント終了後に参加者の一人、Tさんがセレスティアを撮影されたもの。グリッドの写真は皆さん撮り忘れていたそうです)

もう、セレスティアの存在感は圧倒されるばかり。でも、柔らか~い波動に私は感じていました。


そしてセレモニーが始まって。

ホワイトポマンダーで輪になってワーク。
その後神主資格をお持ちの参加者の方が大祓詞を奏上。
そして、小泉マーリさんの誘導瞑想。この誘導瞑想は、シリウスの鍵を開く、というものでした。

これらの中で私が受け取った言葉・イメージは次のようなもの。(「」で区切られている部分は言葉・メッセージ、それ以外は映像やイメージで見えたものの説明書き)

◇ポマンダーワーク中
・「肩の力を抜きなさい」
・「見えないものを見ようとしないで、見えているものをちゃんと見なさい」

◇誘導瞑想の間
・シリウスの扉は、氷のようなクリスタルのような質感で上部から白~グリーンのグラデーション。下はハッキリと地面が見える訳ではない。
・カマボコ型というか、上が円で下は直線、よくある扉の形。身長の2,3倍位の高さ。
・暗闇の中にあるが、扉の向こうは光にあふれている様子。扉の境目から光がこちら側に洩れている。
・鍵穴をゴリゴリゴリと回すと、扉は開かれるというよりは光に消える感じ。
・扉の向こうは色で言うとアイスブルー。しかしそこらじゅうが光にあふれていてまぶしい。
・自分は何故か少年トリトンみたいになっている。(ちゃんとアニメ見た事ないのに・・・)
・誰かに会いたい、と凄く思う。周りに誰もいない。(けど、心の中の疑問に答える声はあり、孤独ではない)
・何で誰もいないの?と思うと「居ない訳じゃない、みんな繋がっているんだよ」の声。
・部屋にいるから誰もいないのか、と思い、上空から見てみる。するとシリウスは地球的な物質ではなくクリスタルのようなもので出来ている世界っぽい。
・クリスタルのようだが、地球にあるものは全てシリウスにもある、という感覚。
・地球にあるものを探そうとすると、これまでクリスタルで覆われていた世界がまるで溶けるようにして、みるみる道路やビルや草原や砂漠などに変わっていく。
・「地球の目でみようとすればそれに応じたものに見えてくるが、それによってあるはずのものが見えなくなることもあるのだよ」
・見える世界が地球物質状になったところで、眼下にキャンパスのようなものが広がっていて何人かおしゃべりしている人達がいるのに気づく。

◇誘導瞑想の中であった質問
Q1.あなたの輝きはどこから?(というような質問だった気が・・・)
⇒A1.どことは言わず、体の内側全体から発光していて、全身光っている。
Q2.あなたが輝くとどうなりますか?(というような質問だった気が・・・)
⇒A2.それぞれが持つ光を放つ事が出来れば、お互いに見つけやすくなる。繋がりやすくなる。

◇自分の体に戻る前に「セレスティア」に聞いてみたい事があれば質問を。
Makanani:どうしたらみんなに会えるの?繋がる事が出来るの?
⇒セレスティア:「繋がってない訳じゃない。それぞれの輝きが活かされれば、お互いに認識しやすくなる。」「三次元的・地球的目線で見ていては見えないものもある。今の自分の視点で見えていないだけ」



そして、トーニング(チャクラに合わせて音を発声し、グラウンディング・センタリングする)で自分の今ここ意識に戻ってきて・・・・。


セレスティアは、私にはとても優しい、柔らかい印象でした。
恐らく、ポマンダーワークの際に受け取ったメッセージも、セレスティアのもの。

私は何も事前準備がなく気楽にしていたつもりでしたが、色々と役割がある他の皆さんに対して「私は何も辛いものと向き合いながら準備する事がなくて申し訳ないな」とか、「私がこの集会に参加して一体何の力添えになるんだろう?」とか思う自分もどこかにいたんですね。
(この集会の後に個人的に控えていた鳴門でのセレモニーの事もあったかも知れません)

でも、そんなことは気にせず「肩の力を抜け」と。そんなに「何か」を引き受ける心構えをしなくてもいいのだと。


そして、ポマンダーワークの時の「見えないものを見ようとしないで、見えているものをちゃんと見なさい」というメッセージと、最後の質問での答え「三次元的目線で見ていては見えないものもある」というメッセージが、自分の中では一瞬矛盾のような気がして「??」と思ったんですけど、しばらくしたら感覚的に「あーーー、そういうことか」と分かりました。

最初のメッセージ、「見えないものを見ようとしないで、見えているものをちゃんと見なさい」というのは、恐らく、現実に見えているものもそうだけれど、何かの時に受け取っているサインやメッセージ、そういうものをちゃんと見なさい、ということなんだな、と。
自分の感覚が信じられなくて、サインかな?メッセージかな?と思ってもやり過ごすことって結構あるんですよね・・・。それが、三次元的にハッキリと目の前に現れていることだとしても。そして、何か「特別な能力」があればハッキリ分かるのかも知れない、という幻想のような、「自分にない力があれば解決出来る」的な事をしようとするな、という意味なのだろう、と。

詰まる所、何がしかの霊的能力の封印が解ければ自分にも何かが出来る、というような事ではなく、今の自分の中にある力だけでも解決出来る事はまだまだ沢山あるのだ、と。見えているものをちゃんと見ずに見過ごしているから、色々なものが意味を失っているんだ、と。。。。

そして、最後の「三次元的視点では見えないものもある」というのは、そういう今のままでは立体的(三次元的視点以上)には物事を捉えることは出来ないよ、と。
※この理解は、のちの神戸での曼荼羅アートのワークにも繋がりました。。。

とても優しく穏やかながら、凄く大きな気づきを、セレスティアは私にもたらしてくれました。


そして、参加したみんなでシェアリングをして。

君が代の歌詞の元になった和歌をみんなで歌って。

私はその後少し経って皆より一足先に帰途に着いたのですが、建国記念日=初代天皇(神武天皇)の即位日という、今の日本ではある意味重いテーマを持った「紀元節」のセレモニーだった割りに、とても穏やかな気持ちになっていました。

今後、これらの流れがどういう意味を持つのかは分かりませんが、私の中では、個人的に思えていた出来事の連続もそれぞれ繋がりがあって大いなる流れの一雫なのだなぁ・・・という事を、しみじみと実感した出来事の一つでした。


さて、今度はどんな展開が待っているのやら(笑)


横浜ナディアのゆみこさんのBlogに開催の動機や当日の様子が幾つかに分かれてシリーズで書かれているので、是非読んでみて下さい。
◆2-11 紀元節 セレモニー① 開催の動機 ←紀元節セレモニーについての最初の記事
http://ameblo.jp/nadiayumiko/entry-10799516224.html