みなさん、こんばんは~
曇りや雨空でも蒸し暑さはあまり
変わりませんね~~
といいつつ夜中になったら寒くなりました
体調お気をつけながら心地よい
素敵な毎日をお過ごしくださいね!
今日8月25日(日)
Seeding Hope第一回フォーラム
「ふくしまのおんなこども~私たちの語り(ナラティブ)~」
でお話を聴かせてもらいました。
※ナラティブ=物語、朗読、語り口の意味
私が感じたことを交えてお話したいと
思います。
・・・・・・・プログラム・・・・・・・・・・・

曇りや雨空でも蒸し暑さはあまり
変わりませんね~~
といいつつ夜中になったら寒くなりました

体調お気をつけながら心地よい
素敵な毎日をお過ごしくださいね!

今日8月25日(日)
Seeding Hope第一回フォーラム
「ふくしまのおんなこども~私たちの語り(ナラティブ)~」
でお話を聴かせてもらいました。
※ナラティブ=物語、朗読、語り口の意味
私が感じたことを交えてお話したいと
思います。
・・・・・・・プログラム・・・・・・・・・・・
13:00 開演
13:10-14:15 吉田麻里香講演
14:30-15:30 河野アミ×吉田麻里香対談
15:40-16:30 祐生カオルライブ
16:30 終了
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
吉田麻里香さんはふくしま心のケアセンターで
カウンセラーをしていらっしゃるのですが
その時にある一人の女性から
「こうして、カウンセラーや支援の方に話を聞いて
もらって、心は少し楽になるけれど
そこで話が留まり、外へ届かないことに
無力感と憤りを感じる。」と聞いたことから
この講演会で多くの人に知ってほしいと
思ったそうです。
とても、その場の困難さや状況が
伝わってくるお話でした。
「ふくしまの人」という言葉を使うこと
はどうなのか?ということでしたが
特定の人を指す言葉として
他に言い換えできなさそうですね。
そう呼ばれて不快に感じるふくしま在住の
人もいるのではないかと心配になりましたが
一般的には、分かりやすい言葉
なのかも知れませんね。
「ふくしまの人は、センセーショナルに取り上げられて
誤解されるのを恐れている」とうお話から始まりました。
原発事故から10ヶ月目にあたる
2012年1月12日に吉田麻里香さんが
感じたこと思ったことを記したポエム
「私がふくしまに暮らすということ」
が、シェアなどで広まり大反響を呼び
数カ国語にも翻訳され、海外で本や歌も
できたそう。すごいですね!
でも、そこから、共感や意見、非難など
様々なことが湧き上がり
「思っていることを言ってはいけない。
許されないことなんだ。」と悩まれたそうです。
ブログやFBなどでも
誰かが何かを行ったり書いたりしたことで
そのことに対する受け取り方は
人それぞれで、ある特定の人へ向けて
言ったことでなくても、それを見た側が
その人なりの解釈や自分自身の思い
と重ねあわせて、共感したり
憤慨したりすることもよくあることだと
思います。
でも、非難って何?
非難って、要するに自分の憂さ晴らしの
ために、人を攻撃すること?
非難からは何も生まれないと
日頃思っています。
講演の中でも
「責められるのではなく支援を必要としている。」
特に「子供を守れ!」の声も多いそうで
子供を守るには母親が安全でないと守れないのに
そこでも・・・・・
「産んだ子供に障害などあり健康でなかった罪悪感」
「子供のことを周りから言われることで
子供が好きなのに、子供に追い詰められて
いる気がする」
「健康な子供は守る価値がないの?」
などの思いや言葉が飛び交ったそう。
講演をひと通り拝聴して私が思ったことは
場所は、ふくしまだけれど
そこで起こった様々な人の気持ちの問題は
日常的にどこでも、起こっていることと
全く同じ。
ということでした。
例えば、有名人が寄付やドナーバンク登録など
すれば、必ず「売名行為」「偽善者」など
悲しいことに非難はつきものですよね。
攻撃や怒り=弱さ
でも、ありますが
まさに、そのことを考えさせられました。
「自分も助けを必要としている」という想いが
あると、他者が優遇されている状況に
憤りや不満が生じますよね。
ふくしまでなくても、生活保護問題でも
実際は受ける権利があり必要としている人
なのですが他者からみれば
「税金で遊んで暮らしてる」というように
見えてしうことも。
人は、自分の生活や心身が安定しているときは
周りにも寛容になれるものですよね。
肯定形が多くなるないでしょうか。
私のことで言えば「絶対恨み殺してやる」と思っていた
両親のことをLAで人生バラ色で幸せだったとき
許せるどころか産んでくれたことに感謝すら
溢れてきました(笑)
逆に、苦しいときや疲労困憊しているときに
誰かから頼まれ事や愚痴をこぼされると
ウザく感じたり、怒りが湧いて
否定形が多くなりませんか。
私は、うつ病、アルコール依存症の連続飲酒
薬物の大量服用(そこまでいったら動けもしないし
思考も停止してますが・笑)拒食などで
寝込んで引きこもっていた時期は
前にもお話したことありますが
「地球が爆発しちゃえばいいのに」とか
友人が「元気?」と私を心配してくれて
メールをくれたときに
「私がずっと連絡しないから私のこと責めてる(>_<)」
(すごい被害妄想・笑)
なんて受け取ってしまったり
「今幸せでフツーに生活送っている人は
みんな私の状態になればいいのに。」
なんて酷いことも思いました。(;^∇^)ハハハ
子供の頃に雑談で友人が何気なく
「他人の不幸は蜜の味じゃん~~」と
言ったことで
「こんなこと酷いこと思ってる友人だったんだ」と
ショックを受けてしばらく立ち直れないことが
あったのですが(笑)
そういう言葉が世の中にあるくらい
生活や心身ともに安定しつつ
幸せを感じて生きている人は
意外と少ないということなのかも知れませんね。
ふくしまやその周りでは
家族や家、仕事を失くしたり
環境がいきなり変化したりして
極度のストレス状態。
ふくしまの人と周辺地域の
誰もが心身ともに疲れ果て不安定な状態で
そのようなことが起こるのも
人として自然なことだと思います。
講演の中でも
被災地での児童虐待、DV(家庭内暴力)
アルコール依存症 についても
それらは「元々あったもの」が
家族、地域、コミュニティの脆弱化によって
心身ともに不安定な中
より引き起こされたというお話もありました。
講演の中でも
河野アミさん×吉田麻里香さん対談の中でも
「他者(人)への痛みへの想像力」という
キーワードが出てきました。
私は、美智子皇后の
「被災地の方と同じ気持になれるよう尽力します」
というような言葉を思い出しました。
対談の中で
FBやブログなどで
「共感した気になっている」
「共感しなきゃいけない」という感じで
共感が安売りされているようだけれど
本当の共感はそういうものではないし
「行ったことがないから分からない」ではなく
「行ったことがないけれど分かろうとする。
想像する。」ことではないか。
というお話や
ふくしまとユダヤのアウシュヴィッツの
話もありました。
似通ったシチュエーションありますね。
実際に経験しないと分かり得ないことって
たくさんあります。
私のことで言うと
例えば、避難しなければいけない人なのに
「ここを離れたくない」と居続ける人に対して
「周りに迷惑かけてなんてワガママなんだろう」
と思ったことがありますが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
吉田麻里香さんはふくしま心のケアセンターで
カウンセラーをしていらっしゃるのですが
その時にある一人の女性から
「こうして、カウンセラーや支援の方に話を聞いて
もらって、心は少し楽になるけれど
そこで話が留まり、外へ届かないことに
無力感と憤りを感じる。」と聞いたことから
この講演会で多くの人に知ってほしいと
思ったそうです。
とても、その場の困難さや状況が
伝わってくるお話でした。
「ふくしまの人」という言葉を使うこと
はどうなのか?ということでしたが
特定の人を指す言葉として
他に言い換えできなさそうですね。
そう呼ばれて不快に感じるふくしま在住の
人もいるのではないかと心配になりましたが
一般的には、分かりやすい言葉
なのかも知れませんね。
「ふくしまの人は、センセーショナルに取り上げられて
誤解されるのを恐れている」とうお話から始まりました。
原発事故から10ヶ月目にあたる
2012年1月12日に吉田麻里香さんが
感じたこと思ったことを記したポエム
「私がふくしまに暮らすということ」
が、シェアなどで広まり大反響を呼び
数カ国語にも翻訳され、海外で本や歌も
できたそう。すごいですね!
でも、そこから、共感や意見、非難など
様々なことが湧き上がり
「思っていることを言ってはいけない。
許されないことなんだ。」と悩まれたそうです。
ブログやFBなどでも
誰かが何かを行ったり書いたりしたことで
そのことに対する受け取り方は
人それぞれで、ある特定の人へ向けて
言ったことでなくても、それを見た側が
その人なりの解釈や自分自身の思い
と重ねあわせて、共感したり
憤慨したりすることもよくあることだと
思います。
でも、非難って何?
非難って、要するに自分の憂さ晴らしの
ために、人を攻撃すること?
非難からは何も生まれないと
日頃思っています。
講演の中でも
「責められるのではなく支援を必要としている。」
特に「子供を守れ!」の声も多いそうで
子供を守るには母親が安全でないと守れないのに
そこでも・・・・・
「産んだ子供に障害などあり健康でなかった罪悪感」
「子供のことを周りから言われることで
子供が好きなのに、子供に追い詰められて
いる気がする」
「健康な子供は守る価値がないの?」
などの思いや言葉が飛び交ったそう。
講演をひと通り拝聴して私が思ったことは
場所は、ふくしまだけれど
そこで起こった様々な人の気持ちの問題は
日常的にどこでも、起こっていることと
全く同じ。
ということでした。
例えば、有名人が寄付やドナーバンク登録など
すれば、必ず「売名行為」「偽善者」など
悲しいことに非難はつきものですよね。
攻撃や怒り=弱さ
でも、ありますが
まさに、そのことを考えさせられました。
「自分も助けを必要としている」という想いが
あると、他者が優遇されている状況に
憤りや不満が生じますよね。
ふくしまでなくても、生活保護問題でも
実際は受ける権利があり必要としている人
なのですが他者からみれば
「税金で遊んで暮らしてる」というように
見えてしうことも。
人は、自分の生活や心身が安定しているときは
周りにも寛容になれるものですよね。
肯定形が多くなるないでしょうか。
私のことで言えば「絶対恨み殺してやる」と思っていた
両親のことをLAで人生バラ色で幸せだったとき
許せるどころか産んでくれたことに感謝すら
溢れてきました(笑)
逆に、苦しいときや疲労困憊しているときに
誰かから頼まれ事や愚痴をこぼされると
ウザく感じたり、怒りが湧いて
否定形が多くなりませんか。
私は、うつ病、アルコール依存症の連続飲酒
薬物の大量服用(そこまでいったら動けもしないし
思考も停止してますが・笑)拒食などで
寝込んで引きこもっていた時期は
前にもお話したことありますが
「地球が爆発しちゃえばいいのに」とか
友人が「元気?」と私を心配してくれて
メールをくれたときに
「私がずっと連絡しないから私のこと責めてる(>_<)」
(すごい被害妄想・笑)
なんて受け取ってしまったり
「今幸せでフツーに生活送っている人は
みんな私の状態になればいいのに。」
なんて酷いことも思いました。(;^∇^)ハハハ
子供の頃に雑談で友人が何気なく
「他人の不幸は蜜の味じゃん~~」と
言ったことで
「こんなこと酷いこと思ってる友人だったんだ」と
ショックを受けてしばらく立ち直れないことが
あったのですが(笑)
そういう言葉が世の中にあるくらい
生活や心身ともに安定しつつ
幸せを感じて生きている人は
意外と少ないということなのかも知れませんね。
ふくしまやその周りでは
家族や家、仕事を失くしたり
環境がいきなり変化したりして
極度のストレス状態。
ふくしまの人と周辺地域の
誰もが心身ともに疲れ果て不安定な状態で
そのようなことが起こるのも
人として自然なことだと思います。
講演の中でも
被災地での児童虐待、DV(家庭内暴力)
アルコール依存症 についても
それらは「元々あったもの」が
家族、地域、コミュニティの脆弱化によって
心身ともに不安定な中
より引き起こされたというお話もありました。
講演の中でも
河野アミさん×吉田麻里香さん対談の中でも
「他者(人)への痛みへの想像力」という
キーワードが出てきました。
私は、美智子皇后の
「被災地の方と同じ気持になれるよう尽力します」
というような言葉を思い出しました。
対談の中で
FBやブログなどで
「共感した気になっている」
「共感しなきゃいけない」という感じで
共感が安売りされているようだけれど
本当の共感はそういうものではないし
「行ったことがないから分からない」ではなく
「行ったことがないけれど分かろうとする。
想像する。」ことではないか。
というお話や
ふくしまとユダヤのアウシュヴィッツの
話もありました。
似通ったシチュエーションありますね。
実際に経験しないと分かり得ないことって
たくさんあります。
私のことで言うと
例えば、避難しなければいけない人なのに
「ここを離れたくない」と居続ける人に対して
「周りに迷惑かけてなんてワガママなんだろう」
と思ったことがありますが
私が10代の頃、摂食障害で拒食と食べ吐きが
酷かったときに親に
「もし、震災とか起こったら
無理やり食べさせられたら嫌だし
吐く場所もないかも知れないし絶対に
避難所に行かないから」と言っていました(笑)
他には・・・・うーん・・・
「癌になって余命を宣告される人って
なんであんなに落ち込むんだろう?
今まで危険な目にあうことなく
辛い思いして生きてこなかったんでしょうね。
私だったら、何度も死ぬ思いしてきたから
余命宣告されても全く動じないな。」
なんて思っていましたが
あるとき婦人科検診で再検査の通知が来て
それまでは、今までの人生と関わってくれた人たちに
感謝しながら元気で楽しく過ごしていたのに
「私の人生1つもいいことなかった。
地獄の人生だった。このまま死ぬなんて!」
と一変してしまった自分に笑えました。
たしか、周りに当たり散らした微かな記憶が・・・(^^ゞ
結局、再検査で異常なしだったオチが(笑)
恥ずかしい~~。
アルコールや薬物依存症、摂食障害
うつ病にしたって
実情を知らない人は
「強い意志で、止めればいいだけじゃん」
と思うと思います。
実情知らずにフツーに頭で考えると
そうなんですけどね(笑)
「正義感が強い人や善意から
の言葉に傷ついた。
もちろん、有り難いことだと分かっているけど。」
とうお話もありました。
このようなことも日常生活の中でも
ありますよね。
私も病気のときに
周りから善意でいろいろ「こうしたら、ああしたら」
と言われたことを負担に感じたり
「じゃぁ、具体的にどうすればいいの?」
と憤りを感じたこともありました。
もちろん、有り難いことだと分かっている
けれど。
言う側、見る立場になってみると
病気だったときは
ニュースなどで、被災地の話題などを
やっていると
「自分だって苦しいのに!」と
被災地の人だけが優遇されているような
気分になったこともあります。
実際は、支援を受けている人がごく
一部だったり、住むところもないのは
頭では分かっているのですが。
ニュースなどを見て
具合悪くなった人もたくさん
見てきました。
「力になりたいけど自分も苦しい!」
という葛藤もありますよね。
ふくしまの人も関わる地域の人も
相手の状況を自分の状況と
照らし合わせ実際に何か言ったり
言わなくても思ったりして
傷つく。無力感。怒り。など
様々な感情が揺れ動いたのでは
ないでしょうか。
混沌とした様子が伺えます。
私がある地域の支援をさせてもらい
しばらしくて電話で様子を聞いたら
「おかげさまでもう皆元気で生活楽しんでます。」
と言ってくれましたが
実際は、そうではないのに
こちらに対する気遣いからかも知れないと
考えこんでしまったこともあります。
人に何かしてもらうことに
「申し訳ない。面倒をかけたくない。」
と感じる気持ちも辛くて大きなストレスですよね。
実際に経験した本人や家族
よく知っている人から話や気持ちを聞かないと
想像したくてもなかなか想像し難いことも
あると思います。
想像力って人の痛みを察するにも
生活でも仕事でも遊びでも
欠かせないものですよね。
想像力を使うにも精神的な余裕がないと
なかなかできない。
特に「人の痛み」の想像は。
まずは、自分に余裕を持たせることでしょうか。
フォーラム最後は
祐生カオルさんのライブでした。
ピアノを演奏しながらのアップテンポな
明るく素敵な曲でリラックスできました♪
酷かったときに親に
「もし、震災とか起こったら
無理やり食べさせられたら嫌だし
吐く場所もないかも知れないし絶対に
避難所に行かないから」と言っていました(笑)
他には・・・・うーん・・・
「癌になって余命を宣告される人って
なんであんなに落ち込むんだろう?
今まで危険な目にあうことなく
辛い思いして生きてこなかったんでしょうね。
私だったら、何度も死ぬ思いしてきたから
余命宣告されても全く動じないな。」
なんて思っていましたが
あるとき婦人科検診で再検査の通知が来て
それまでは、今までの人生と関わってくれた人たちに
感謝しながら元気で楽しく過ごしていたのに
「私の人生1つもいいことなかった。
地獄の人生だった。このまま死ぬなんて!」
と一変してしまった自分に笑えました。
たしか、周りに当たり散らした微かな記憶が・・・(^^ゞ
結局、再検査で異常なしだったオチが(笑)
恥ずかしい~~。
アルコールや薬物依存症、摂食障害
うつ病にしたって
実情を知らない人は
「強い意志で、止めればいいだけじゃん」
と思うと思います。
実情知らずにフツーに頭で考えると
そうなんですけどね(笑)
「正義感が強い人や善意から
の言葉に傷ついた。
もちろん、有り難いことだと分かっているけど。」
とうお話もありました。
このようなことも日常生活の中でも
ありますよね。
私も病気のときに
周りから善意でいろいろ「こうしたら、ああしたら」
と言われたことを負担に感じたり
「じゃぁ、具体的にどうすればいいの?」
と憤りを感じたこともありました。
もちろん、有り難いことだと分かっている
けれど。
言う側、見る立場になってみると
病気だったときは
ニュースなどで、被災地の話題などを
やっていると
「自分だって苦しいのに!」と
被災地の人だけが優遇されているような
気分になったこともあります。
実際は、支援を受けている人がごく
一部だったり、住むところもないのは
頭では分かっているのですが。
ニュースなどを見て
具合悪くなった人もたくさん
見てきました。
「力になりたいけど自分も苦しい!」
という葛藤もありますよね。
ふくしまの人も関わる地域の人も
相手の状況を自分の状況と
照らし合わせ実際に何か言ったり
言わなくても思ったりして
傷つく。無力感。怒り。など
様々な感情が揺れ動いたのでは
ないでしょうか。
混沌とした様子が伺えます。
私がある地域の支援をさせてもらい
しばらしくて電話で様子を聞いたら
「おかげさまでもう皆元気で生活楽しんでます。」
と言ってくれましたが
実際は、そうではないのに
こちらに対する気遣いからかも知れないと
考えこんでしまったこともあります。
人に何かしてもらうことに
「申し訳ない。面倒をかけたくない。」
と感じる気持ちも辛くて大きなストレスですよね。
実際に経験した本人や家族
よく知っている人から話や気持ちを聞かないと
想像したくてもなかなか想像し難いことも
あると思います。
想像力って人の痛みを察するにも
生活でも仕事でも遊びでも
欠かせないものですよね。
想像力を使うにも精神的な余裕がないと
なかなかできない。
特に「人の痛み」の想像は。
まずは、自分に余裕を持たせることでしょうか。
フォーラム最後は
祐生カオルさんのライブでした。
ピアノを演奏しながらのアップテンポな
明るく素敵な曲でリラックスできました♪
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