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先日の講義の後、何故か恐れが襲ってきました。講義が何か恐ろしいものに思えて、普段なら翌日から毎日録画音声を聴くのですが、今回は丸1週間全くファイルを開けることが出来ませんでした…また同時に、自分が何かやらかしてしまったような感覚が常にありました。
もちろん講義の内容に恐ろしいものは全くなくて(エゴにとっては恐ろしい、聞きたくないことですね!)、自分でもおかしい、認知が歪んでる、と気づいてはいたんです。恐ろしいどころか、逆に前回の講義は今までで一番美しいものを見た、と感じていたんです(毎回インパクトがありますが、今回は美しさが特に余韻として響いています)。
特に一粒の真珠のイメージ…本当に同一として見れたら、それはどんなに清いか…極め付けは、コップをコップとして見たらそれは冒涜だと!非常に強い衝撃を受けて、これらのイメージが頭から離れません。そのせいで恐ろしくなったかも。
そんな中、つい3日前、シンクで洗い物をしていた時、しゃもじを洗おうとしたら、しゃもじが、おしゃもじが、、、何と言っていいかわからないけど、慈愛だったんです。微細な光というか、愛、友愛、慈悲、何でもいいけど、もはやしゃもじじゃなかった…
私は泣いてしまいましたよ。
(…ていうか、何でしゃもじ?もっとお洒落なモノがよかったわ!せめてコーヒーカップとか!とちょっと思いましたが)
あたたかくて、馴染みのある…とても親しい…
それからやっと、録画ファイルを開く気になれました。講義を改めて聞いてみたら、何の怖いことはない。私も普通に話してるし。というかむしろ、本当に感激してるのに、たいしてその感情が表れてないくらい普通に反応してましたね。何なのだろう。不思議。
これ以上書くと、もっと取り留めなくなりそうなのでこの辺で終えます。
いつも明晰でハッとするような気づきを与えてくれる講義を有難うございます🍀
またすぐに次回の講義を申し込みたいと思いますので、よろしくお願いします🌟
今日も良い1日を✨✨✨