新しい曲、新しいスターが多く誕生していったこの1年。
同時に、今年2010年に空へ旅立って行かれたミュージシャンも何人かいました。
自分が音楽を聴いてきた高校時代や、「全米トップ40」を聴いていた頃に、
ゆかりのある人たちを中心に紹介したいと思います。
今年の2月14日。
ディスコミュージック全盛の1979年に、ストレートでわかりやすいロックの、
大ヒットを放ったバンドのヴォーカリストが旅立ちました。
ザ・ナック「マイ・シャローナ」
70年代後半にロサンジェルスで結成された4人組ロックバンド。
1979年のデビューシングルとなったこの曲が、全米で6週間の1位となり、
1979年の年間シングルでも1位となった、大ヒットとなった曲。
これ以降、大きなヒットに恵まれず、いわゆる「一発屋」の代名詞とも
いわれているバンドでした。
①いわゆる演奏シーンですが、なつかしの洋楽番組でもよく紹介される、人気の高いPV。
②何年かは不明ですが、比較的近年と思われるライブ映像です。
☆The Knack "My Sharona" from the album "Get The Knack"
1979年Billboard Hot100 最高位1位(8/25-9/29付の6週間) 1979年年間Hot100 1位
Ooh my little pretty one, pretty one.
When you gonna give me some time, Sharona?
Ooh you make my motor run, my motor run
Gun it comin' off the line Sharona
Never gonna stop, give it up
Such a dirty mind. Always get it up
For the touch of the younger kind
My my my i yi woo. M M M My Sharona
>> おおボクの小さなかわいい君、かわいい君
>> いつになったら、ボクに時間をくれるのかい、シャローナ?
>> ああ、君のせいでボクのあそこはいきっぱなし、いきっぱなしさ
>> このラインをはずしてすっ飛ばさせてくれないか、シャローナ
>> もう止まらないぜ、お手上げさ
>> こんなみだらな気持ちに、いつも襲われちゃうんだ
>> 君のそのかわいらしい手が触れちゃうとさ
>> ボクの、ボクの・・・ああ、マ・マ・マ、マイシャローナ
Come a little closer huh, ah will ya huh
Close enough to look in my eyes, Sharona
Keeping it a mystery gets to me
Running down the length of my thighs, Sharona
Never gonna stop, give it up
Such a dirty mind. Always get it up
For the touch of the younger kind
My my my i yi woo. M M M My Sharona
>> もう少しだけ近くにおいで、お願いだよ
>> ボクの瞳を十分見つめられるまでさ、シャローナ
>> その謎めいたしぐさ、ボクにもくれないか
>> ボクの足の長さのところまですり寄ってきておくれ、シャローナ
>> もう止まらないぜ、お手上げさ
>> こんなみだらな気持ちに、いつも襲われちゃうんだ
>> 君のそのかわいらしい手が触れちゃうとさ
>> ボクの、ボクの・・・ああ、マ・マ・マ、マイシャローナ
When you gonna give it to me, give it to me.
It is just a matter of time Sharona
Is it just destiny, destiny?
Or is it just a game in my mind, Sharona?
Never gonna stop, give it up.
Such a dirty mind. Always get it up
For the touch of the younger kind
My my my i yi woo
My my my i yi woo
>> いつになったらボクの相手してくれるの、相手をしてくれるの?
>> もうがまんできないよ、シャローナ
>> これって運命なのかな、運命なのかな?
>> じゃなきゃただボクをからかってるだけなの、シャローナ?
>> もう止まらないぜ、お手上げさ
>> こんなみだらな気持ちに、いつも襲われちゃうんだ
>> 君のそのかわいらしい手が触れちゃうとさ
>> ボクの、ボクの・・・ああ・・・
>> ボクの、ボクの・・・ああ・・・
M M M My Sharona
M M M My Sharona
M M M My Sharona
>> マ・マ・マ・マイシャローナ
>> マ・マ・マ・マイシャローナ
>> マ・マ・マ・マイシャローナ
Ooooh......My Sharona
Ooooh......My Sharona
Ooooh......My Sharona
>> あああああ・・・・・・マイシャローナ
>> あああああ・・・・・・マイシャローナ
>> あああああ・・・・・・マイシャローナ
本当にただただ、憧れの女の子に対しての、エッチな気持ちを
そのまんま歌っただけの曲なんですけどね。
ノリの良さ、わかりやすさ、そしてディスコばかりが流れる周りで、
ちょっとした反抗心でもあったのでしょうか。
本当に当時バカ受けのナンバーでした。
もちろん日本でも大ヒットし、後年CMなどにも何度も使われました。
ダグ・ファイガーを中心とした4人組で1979年にデビュー。
アルバム「ゲット・ザ・ナック(Get The Knack)」からは、
他に、「グッド・ガールズ・ドント(Good Girls Don't)」が11位、
「ベイビー・トークス・ダーティ(Baby Talks Dirty)」が38位と、
3曲のTop40ヒットを出しているのですが、
何分この曲のインパクトがあまりにも大きく、
セカンドアルバム以降、大きなヒットが全く出なくなってしまい、
不本意ながら「一発屋」の冠をかぶせられてしまいました。
バンド自体は、不安定な活動ながら、近年までアルバムを発売したり、
ライブ活動も続けていたのですが、
2006年にオリジナルドラマーのブルース・ゲイリーが他界し、
ここ数年はダグ自身のがんとの闘いもあって、バンド活動が停滞していました。
今年の2月14日に、ダグは肺がんと脳腫瘍の併発のため、57歳で他界しました。
ボクらの世代には、決して忘れることのないロックの代表的ヒットとして、
いつまでも後年に伝えられることでしょう。
空に旅立っていったロックスターは、他にも、
4月には、ニューヨーク・ドールズやセックス・ピストルズのマネージャーとしてはもちろん、
自らもミュージシャンとして、活躍したマルコム・マクラレンが、64歳で。
5月16日には、へヴィ・メタル界のカリスマヴォーカリスト、
ロニー・ジェイムス・ディオが、胃がんのため67歳で他界しました。
ブラック・サバスやレインボーを経て、自身のバンド、ディオで活躍。
ヘヴィメタル界のメンバーを中心に集めたチャリティ企画、
ヒア・アンド・エイドでもその中心的存在でした。
近年もブラック・サバスのメンバーを集めたバンド、
ヘヴン・アンド・ヘルでアルバムリリースとツアーを行っていました。
5月24日には、スリップノットのベーシスト、ポール・グレイが、
38歳の若さで、薬物のオーバードーズによる心臓発作で急逝しています。
日本の音楽界では、3人の個性的な女性ヴォーカリストが他界しました。
1月には、伝説のジャズ、ブルースシンガー、浅川マキさんが67歳で。
3月には、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」などのヒットで知られ、
子供心にも歌のうまい人だったなあと思いだされる、しばたはつみさんが、
57歳で他界しました。
11月には、ロスインディオスとの大ヒット「別れても好きな人」で、
きれいでスタイルも良く、声も美しいデュエットシンガーとして知られた、
シルヴィアさんが、ガンで他界しています。
そして、今年はR&Bの世界でも大きな実績を残した人たちがいなくなりました。
1月13日、元ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツのリードシンガーとして、
活躍し、70年代半ばからはソロヴォーカリストとしてR&Bのヒットを持つ、
テディ・ペンダーグラスが、59歳で亡くなっています。
ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ時代には、
「二人の絆(If You Don't Know Me By Now)」が全米3位となる大ヒットとなり、
後に、80年代後半にシンプリー・レッドがカバーして全米No.1となっています。
大好きな曲なので、いずれ別の機会に紹介したいと思います。
77年にソロシンガーとしてデビューしてからも、数々のR&Bヒットを残し、
1978年の「クローズ・ザ・ドア(Close The Door)」がR&Bチャートで1位となり、
Billboard Hot100でも25位の大ヒットとなっています。
79年のR&Bヒット、「カム・ゴー・ウィズ・ミー(Come Go With Me)」は、
21世紀にはいって、ネリーのNo.1ヒット「マイ・プレイス(My Place)」の
サンプリングナンバーとしても知られています。
サンプリングといえば、日本人には圧倒的にこの曲で知られているでしょう。
日本では、別にアレンジがなされて「ひげダンスのテーマ」として知られていますが、
もともとは、テディの1979年のアルバム「Teddy」に収められている、
「ドゥ・ミー(Do Me)」という曲。
いわゆるシングルヒットした曲ではないのですが、こういうところを聴いてた
志村けんさんの耳って、本当にすごかったんだなあと改めて感心させられました。
テディは、1982年に交通事故で四肢麻痺となり、車いすの状態でその後も、
数々のR&Bヒットを世に送り続けました。
今年ブログでは、「やさしいソウル」という企画ものを行いましたが、
またの機会に、こういった曲を取り上げたいですね。
他に、モータウンソウルの名門グループ、テンプテーションズに、
1984年からリードシンガーとして加わった、アリ・オリ・ウッドソンが、
5月に白血病のため、59歳で他界しています。
また、近年もグループとして活躍を続けるアイズレーブラザーズの、
ベーシスト、マーヴィン・アイズレーも長年の闘病生活の末に他界してしまいました。
そういった中、「全米トップ40」で活躍したシンガーの一人で、
つい先日の12月26日に、白人のブルーアイドソウル女性シンガーが、
心臓まひで53歳の若さで他界してしまいました。
ティーナ・マリー「ラヴァーガール」
1970年代にモータウンレコードからデビューし、
エピックに移籍してからの1985年、この曲がポップチャートで、
最高位4位となる大ヒットとなりました。
☆Teena Marie "Lovergirl" from the album "Starchild"
1985年Billboard Hot100 最高位4位
Coffee, tea or me, baby, touche ole
My opening line might be a bit passe
But don't think that I don't know what I'm feeling for you
'Cause I got a vibe on you the first time that I saw you, saw you
>> コーヒー、ティー、それともあたしにする?ベイビー、ミルクもちょっとね
>> こんああたしの一行目ってちょっと古くなっちゃったのかしら
>> でもあたしがあなたのことをどう思ってるかわかってないなんて思わないでね
>> だって初めてあった時、あった時からあなたのバイブを感じてるんだもの
I need your love and I won't bring no pain
A little birdie told me that you feel the same
I'm for the real and for you I'm true blue
Let's make a deal, sugar, all I want to do is be your one and only lover
>> あなたの愛が必要、そうすれば何の痛みも感じないわ
>> あなただって同じように感じてるって小鳥さんが言ってくれるもの
>> あたしはまごころに、あなたのために忠実でいたいの
>> 駆け引きしましょう、あたしが必要なものはただあなたのものになること、ただ一人の恋人にね
I just want to be your lovergirl
I just want to rock your world
Hey...hey...hey...
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいの
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
Hook, line and sinker baby, that's how you caught me
My second verse might be a bit old hat
But don't think that I don't know what it's doing to me
'Cause I got a vibe on you the first time you saw through me, through me
>> 右左とあちこちいきながら、あたしを守ってくれるのね
>> あたしの二度目の言葉はちょっと古臭いものかしら
>> でもあたしがあなたのことをどう思ってるかわかってないなんて思わないでね
>> だって初めてあなたがあたしを見つめた、見つめた時からあなたのバイブを感じてるんだもの
I need your love and I won't bring no pain
A little birdie told me that you feel the same
I'm for the real and for you I'm true blue
Let's make a deal, sugar, all I want to do is be your one and only lover
>> あなたの愛が必要、そうすれば何の痛みも感じないわ
>> あなただって同じように感じてるって小鳥さんが言ってくれるもの
>> あたしはまごころに、あなたのために忠実でいたいの
>> 駆け引きしましょう、あたしが必要なものはただあなたのものになること、ただ一人の恋人にね
I just want to be your lovergirl
I just want to rock your world
Hey...hey...hey...
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいの
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
I just want to be your lovergirl
I just want to rock your world
Hey...hey...hey...
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいの
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
Baby, let me groove you
Let me groove into your love
I just want to rock your world
>> ベイビー、あなたに溺れさせて
>> あなたの愛の中にあたしを溺れさせてよ
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
Coffee, tea or me, baby, touche ole
My opening line might be a bit passe
But don't think that I don't know what I'm feeling for you
'Cause I got a vibe on you the first time that I saw you, whoa...
>> コーヒー、ティー、それともあたしにする?ベイビー、ミルクもちょっとね
>> こんああたしの一行目ってちょっと古くなっちゃったのかしら
>> でもあたしがあなたのことをどう思ってるかわかってないなんて思わないでね
>> だって初めてあった時あなたのバイブを感じてるんだもの、ああ・・・
When the push comes to shove
And you need a little love
Let me put some rock into your world
Call me up don't be shy
For my love will make you high
I just want to be your lovergirl
>> 心が何かが突き動かされている時
>> あなたは少しの愛を必要としているの
>> あなたの世界の中に同じように突き動かせて閉じ込めてよ
>> あたしを読んで恥ずかしがらずに
>> あたしの愛はあなたを最高にするわ
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいのよ
この曲のヒットした、1984年暮れから1985年にかけて、
ちょうどプリンスが「バープルレイン」で大ヒットしたのをきっかけに、
プリンスファミリーが次々とブレイクし、
ロックとの融合されたファンクミュージックの全盛期でした。
彼女はいわゆるプリンスファミリーではないのですが、
そんな流れに乗った感もあるこの大ヒットだったかもしれません。
ただ何より彼女のヴォーカルの強さと一方で見せるキュートさが、
非常にセクシーで攻撃的な歌詞をなんとなくかわいらしく見せている、
この曲の最大の魅力だと思います。
彼女は1970年代にモータウンレコードと契約後、
当時全盛を極めていたリック・ジェームスの眼にとまり、
彼のプロデュースのもと、アルバムリリースがなされました。
のちにセルフプロデュース、ソングライトの形で音楽制作をし、
白人ながらBlackCommunityで非常に支持される女性シンガーとして、
R&Bヒットを数々発表しました。
リック・ジェームスとのデュエットもこの時期実現しています。
ところが、リリース作品の意見の相違からモータウンからの作品が
リリースされないまま、レーベル契約を続行されるのは違反だと、
彼女が裁判を起こし、アーティストの不当なレーベル拘束が、
違反とされる、のちに「ティーナマリー法」と呼ばれた結審により、
彼女は晴れて自由の身として、エピックレコードに移籍します。
その移籍先での1984年発売のアルバム、
「スターチャイルド(Star Child)」からのファーストシングルである、
この曲が、全米最高位4位の最大のシングルヒットとなりました。
こうしたパワフルなファンクナンバーの一方で、
1988年のR&Bヒット「ウー・ラ・ラ(Ooh La La)」のような
メロウなR&Bサウンドでも聴かせてくれるシンガーとして、
長くシーンで活躍してきました。
21世紀に入り、HIP-HOPからの支持を受け、
キャッシュマネーレーベルとの契約をし、
発売したアルバムが再びTop10入りするなど、
つい先日まで、ライブ活動も順調に行われていました。
1か月ほど前に、てんかんの発作をおこしたことから、
娘を呼んで、様子を見てもらっていたとのことですが、
12月26日に自宅で亡くなっていたところを発見されたそうです。
同じ時代に活躍した、プリンスファミリーのシーラ・Eと仲良しで、
今回の訃報も、シーラ・Eのツイッターなどで知ったという人も多く、
レニー・クラヴィッツも、まだデビュー前だった当時に、
彼女にお世話になり、人間的にも素晴らしい人だったと語っています。
ボク自身が50歳に近い年齢になってきたということは、
自分が若い日に聴いてきたシンガーも、どんどんと年をとっているということで、
仕方ない部分もあるのかもしれませんが、
どんどんといなくなってしまう人を惜しまなければならないのは、
残念でなりませんね。
彼らの音楽が来年以降も受け継がれていくことを願いたいと思います。
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同時に、今年2010年に空へ旅立って行かれたミュージシャンも何人かいました。
自分が音楽を聴いてきた高校時代や、「全米トップ40」を聴いていた頃に、
ゆかりのある人たちを中心に紹介したいと思います。
今年の2月14日。
ディスコミュージック全盛の1979年に、ストレートでわかりやすいロックの、
大ヒットを放ったバンドのヴォーカリストが旅立ちました。
ザ・ナック「マイ・シャローナ」
70年代後半にロサンジェルスで結成された4人組ロックバンド。
1979年のデビューシングルとなったこの曲が、全米で6週間の1位となり、
1979年の年間シングルでも1位となった、大ヒットとなった曲。
これ以降、大きなヒットに恵まれず、いわゆる「一発屋」の代名詞とも
いわれているバンドでした。
①いわゆる演奏シーンですが、なつかしの洋楽番組でもよく紹介される、人気の高いPV。
②何年かは不明ですが、比較的近年と思われるライブ映像です。
☆The Knack "My Sharona" from the album "Get The Knack"
1979年Billboard Hot100 最高位1位(8/25-9/29付の6週間) 1979年年間Hot100 1位
Ooh my little pretty one, pretty one.
When you gonna give me some time, Sharona?
Ooh you make my motor run, my motor run
Gun it comin' off the line Sharona
Never gonna stop, give it up
Such a dirty mind. Always get it up
For the touch of the younger kind
My my my i yi woo. M M M My Sharona
>> おおボクの小さなかわいい君、かわいい君
>> いつになったら、ボクに時間をくれるのかい、シャローナ?
>> ああ、君のせいでボクのあそこはいきっぱなし、いきっぱなしさ
>> このラインをはずしてすっ飛ばさせてくれないか、シャローナ
>> もう止まらないぜ、お手上げさ
>> こんなみだらな気持ちに、いつも襲われちゃうんだ
>> 君のそのかわいらしい手が触れちゃうとさ
>> ボクの、ボクの・・・ああ、マ・マ・マ、マイシャローナ
Come a little closer huh, ah will ya huh
Close enough to look in my eyes, Sharona
Keeping it a mystery gets to me
Running down the length of my thighs, Sharona
Never gonna stop, give it up
Such a dirty mind. Always get it up
For the touch of the younger kind
My my my i yi woo. M M M My Sharona
>> もう少しだけ近くにおいで、お願いだよ
>> ボクの瞳を十分見つめられるまでさ、シャローナ
>> その謎めいたしぐさ、ボクにもくれないか
>> ボクの足の長さのところまですり寄ってきておくれ、シャローナ
>> もう止まらないぜ、お手上げさ
>> こんなみだらな気持ちに、いつも襲われちゃうんだ
>> 君のそのかわいらしい手が触れちゃうとさ
>> ボクの、ボクの・・・ああ、マ・マ・マ、マイシャローナ
When you gonna give it to me, give it to me.
It is just a matter of time Sharona
Is it just destiny, destiny?
Or is it just a game in my mind, Sharona?
Never gonna stop, give it up.
Such a dirty mind. Always get it up
For the touch of the younger kind
My my my i yi woo
My my my i yi woo
>> いつになったらボクの相手してくれるの、相手をしてくれるの?
>> もうがまんできないよ、シャローナ
>> これって運命なのかな、運命なのかな?
>> じゃなきゃただボクをからかってるだけなの、シャローナ?
>> もう止まらないぜ、お手上げさ
>> こんなみだらな気持ちに、いつも襲われちゃうんだ
>> 君のそのかわいらしい手が触れちゃうとさ
>> ボクの、ボクの・・・ああ・・・
>> ボクの、ボクの・・・ああ・・・
M M M My Sharona
M M M My Sharona
M M M My Sharona
>> マ・マ・マ・マイシャローナ
>> マ・マ・マ・マイシャローナ
>> マ・マ・マ・マイシャローナ
Ooooh......My Sharona
Ooooh......My Sharona
Ooooh......My Sharona
>> あああああ・・・・・・マイシャローナ
>> あああああ・・・・・・マイシャローナ
>> あああああ・・・・・・マイシャローナ
本当にただただ、憧れの女の子に対しての、エッチな気持ちを
そのまんま歌っただけの曲なんですけどね。
ノリの良さ、わかりやすさ、そしてディスコばかりが流れる周りで、
ちょっとした反抗心でもあったのでしょうか。
本当に当時バカ受けのナンバーでした。
もちろん日本でも大ヒットし、後年CMなどにも何度も使われました。
ダグ・ファイガーを中心とした4人組で1979年にデビュー。
アルバム「ゲット・ザ・ナック(Get The Knack)」からは、
他に、「グッド・ガールズ・ドント(Good Girls Don't)」が11位、
「ベイビー・トークス・ダーティ(Baby Talks Dirty)」が38位と、
3曲のTop40ヒットを出しているのですが、
何分この曲のインパクトがあまりにも大きく、
セカンドアルバム以降、大きなヒットが全く出なくなってしまい、
不本意ながら「一発屋」の冠をかぶせられてしまいました。
バンド自体は、不安定な活動ながら、近年までアルバムを発売したり、
ライブ活動も続けていたのですが、
2006年にオリジナルドラマーのブルース・ゲイリーが他界し、
ここ数年はダグ自身のがんとの闘いもあって、バンド活動が停滞していました。
今年の2月14日に、ダグは肺がんと脳腫瘍の併発のため、57歳で他界しました。
ボクらの世代には、決して忘れることのないロックの代表的ヒットとして、
いつまでも後年に伝えられることでしょう。
空に旅立っていったロックスターは、他にも、
4月には、ニューヨーク・ドールズやセックス・ピストルズのマネージャーとしてはもちろん、
自らもミュージシャンとして、活躍したマルコム・マクラレンが、64歳で。
5月16日には、へヴィ・メタル界のカリスマヴォーカリスト、
ロニー・ジェイムス・ディオが、胃がんのため67歳で他界しました。
ブラック・サバスやレインボーを経て、自身のバンド、ディオで活躍。
ヘヴィメタル界のメンバーを中心に集めたチャリティ企画、
ヒア・アンド・エイドでもその中心的存在でした。
近年もブラック・サバスのメンバーを集めたバンド、
ヘヴン・アンド・ヘルでアルバムリリースとツアーを行っていました。
5月24日には、スリップノットのベーシスト、ポール・グレイが、
38歳の若さで、薬物のオーバードーズによる心臓発作で急逝しています。
日本の音楽界では、3人の個性的な女性ヴォーカリストが他界しました。
1月には、伝説のジャズ、ブルースシンガー、浅川マキさんが67歳で。
3月には、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」などのヒットで知られ、
子供心にも歌のうまい人だったなあと思いだされる、しばたはつみさんが、
57歳で他界しました。
11月には、ロスインディオスとの大ヒット「別れても好きな人」で、
きれいでスタイルも良く、声も美しいデュエットシンガーとして知られた、
シルヴィアさんが、ガンで他界しています。
そして、今年はR&Bの世界でも大きな実績を残した人たちがいなくなりました。
1月13日、元ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツのリードシンガーとして、
活躍し、70年代半ばからはソロヴォーカリストとしてR&Bのヒットを持つ、
テディ・ペンダーグラスが、59歳で亡くなっています。
ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ時代には、
「二人の絆(If You Don't Know Me By Now)」が全米3位となる大ヒットとなり、
後に、80年代後半にシンプリー・レッドがカバーして全米No.1となっています。
大好きな曲なので、いずれ別の機会に紹介したいと思います。
77年にソロシンガーとしてデビューしてからも、数々のR&Bヒットを残し、
1978年の「クローズ・ザ・ドア(Close The Door)」がR&Bチャートで1位となり、
Billboard Hot100でも25位の大ヒットとなっています。
79年のR&Bヒット、「カム・ゴー・ウィズ・ミー(Come Go With Me)」は、
21世紀にはいって、ネリーのNo.1ヒット「マイ・プレイス(My Place)」の
サンプリングナンバーとしても知られています。
サンプリングといえば、日本人には圧倒的にこの曲で知られているでしょう。
日本では、別にアレンジがなされて「ひげダンスのテーマ」として知られていますが、
もともとは、テディの1979年のアルバム「Teddy」に収められている、
「ドゥ・ミー(Do Me)」という曲。
いわゆるシングルヒットした曲ではないのですが、こういうところを聴いてた
志村けんさんの耳って、本当にすごかったんだなあと改めて感心させられました。
テディは、1982年に交通事故で四肢麻痺となり、車いすの状態でその後も、
数々のR&Bヒットを世に送り続けました。
今年ブログでは、「やさしいソウル」という企画ものを行いましたが、
またの機会に、こういった曲を取り上げたいですね。
他に、モータウンソウルの名門グループ、テンプテーションズに、
1984年からリードシンガーとして加わった、アリ・オリ・ウッドソンが、
5月に白血病のため、59歳で他界しています。
また、近年もグループとして活躍を続けるアイズレーブラザーズの、
ベーシスト、マーヴィン・アイズレーも長年の闘病生活の末に他界してしまいました。
そういった中、「全米トップ40」で活躍したシンガーの一人で、
つい先日の12月26日に、白人のブルーアイドソウル女性シンガーが、
心臓まひで53歳の若さで他界してしまいました。
ティーナ・マリー「ラヴァーガール」
1970年代にモータウンレコードからデビューし、
エピックに移籍してからの1985年、この曲がポップチャートで、
最高位4位となる大ヒットとなりました。
☆Teena Marie "Lovergirl" from the album "Starchild"
1985年Billboard Hot100 最高位4位
Coffee, tea or me, baby, touche ole
My opening line might be a bit passe
But don't think that I don't know what I'm feeling for you
'Cause I got a vibe on you the first time that I saw you, saw you
>> コーヒー、ティー、それともあたしにする?ベイビー、ミルクもちょっとね
>> こんああたしの一行目ってちょっと古くなっちゃったのかしら
>> でもあたしがあなたのことをどう思ってるかわかってないなんて思わないでね
>> だって初めてあった時、あった時からあなたのバイブを感じてるんだもの
I need your love and I won't bring no pain
A little birdie told me that you feel the same
I'm for the real and for you I'm true blue
Let's make a deal, sugar, all I want to do is be your one and only lover
>> あなたの愛が必要、そうすれば何の痛みも感じないわ
>> あなただって同じように感じてるって小鳥さんが言ってくれるもの
>> あたしはまごころに、あなたのために忠実でいたいの
>> 駆け引きしましょう、あたしが必要なものはただあなたのものになること、ただ一人の恋人にね
I just want to be your lovergirl
I just want to rock your world
Hey...hey...hey...
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいの
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
Hook, line and sinker baby, that's how you caught me
My second verse might be a bit old hat
But don't think that I don't know what it's doing to me
'Cause I got a vibe on you the first time you saw through me, through me
>> 右左とあちこちいきながら、あたしを守ってくれるのね
>> あたしの二度目の言葉はちょっと古臭いものかしら
>> でもあたしがあなたのことをどう思ってるかわかってないなんて思わないでね
>> だって初めてあなたがあたしを見つめた、見つめた時からあなたのバイブを感じてるんだもの
I need your love and I won't bring no pain
A little birdie told me that you feel the same
I'm for the real and for you I'm true blue
Let's make a deal, sugar, all I want to do is be your one and only lover
>> あなたの愛が必要、そうすれば何の痛みも感じないわ
>> あなただって同じように感じてるって小鳥さんが言ってくれるもの
>> あたしはまごころに、あなたのために忠実でいたいの
>> 駆け引きしましょう、あたしが必要なものはただあなたのものになること、ただ一人の恋人にね
I just want to be your lovergirl
I just want to rock your world
Hey...hey...hey...
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいの
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
I just want to be your lovergirl
I just want to rock your world
Hey...hey...hey...
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいの
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
Baby, let me groove you
Let me groove into your love
I just want to rock your world
>> ベイビー、あなたに溺れさせて
>> あなたの愛の中にあたしを溺れさせてよ
>> あなたの世界に閉じ込めてほしいの
Coffee, tea or me, baby, touche ole
My opening line might be a bit passe
But don't think that I don't know what I'm feeling for you
'Cause I got a vibe on you the first time that I saw you, whoa...
>> コーヒー、ティー、それともあたしにする?ベイビー、ミルクもちょっとね
>> こんああたしの一行目ってちょっと古くなっちゃったのかしら
>> でもあたしがあなたのことをどう思ってるかわかってないなんて思わないでね
>> だって初めてあった時あなたのバイブを感じてるんだもの、ああ・・・
When the push comes to shove
And you need a little love
Let me put some rock into your world
Call me up don't be shy
For my love will make you high
I just want to be your lovergirl
>> 心が何かが突き動かされている時
>> あなたは少しの愛を必要としているの
>> あなたの世界の中に同じように突き動かせて閉じ込めてよ
>> あたしを読んで恥ずかしがらずに
>> あたしの愛はあなたを最高にするわ
>> ただあなたのラヴァーガールになりたいのよ
この曲のヒットした、1984年暮れから1985年にかけて、
ちょうどプリンスが「バープルレイン」で大ヒットしたのをきっかけに、
プリンスファミリーが次々とブレイクし、
ロックとの融合されたファンクミュージックの全盛期でした。
彼女はいわゆるプリンスファミリーではないのですが、
そんな流れに乗った感もあるこの大ヒットだったかもしれません。
ただ何より彼女のヴォーカルの強さと一方で見せるキュートさが、
非常にセクシーで攻撃的な歌詞をなんとなくかわいらしく見せている、
この曲の最大の魅力だと思います。
彼女は1970年代にモータウンレコードと契約後、
当時全盛を極めていたリック・ジェームスの眼にとまり、
彼のプロデュースのもと、アルバムリリースがなされました。
のちにセルフプロデュース、ソングライトの形で音楽制作をし、
白人ながらBlackCommunityで非常に支持される女性シンガーとして、
R&Bヒットを数々発表しました。
リック・ジェームスとのデュエットもこの時期実現しています。
ところが、リリース作品の意見の相違からモータウンからの作品が
リリースされないまま、レーベル契約を続行されるのは違反だと、
彼女が裁判を起こし、アーティストの不当なレーベル拘束が、
違反とされる、のちに「ティーナマリー法」と呼ばれた結審により、
彼女は晴れて自由の身として、エピックレコードに移籍します。
その移籍先での1984年発売のアルバム、
「スターチャイルド(Star Child)」からのファーストシングルである、
この曲が、全米最高位4位の最大のシングルヒットとなりました。
こうしたパワフルなファンクナンバーの一方で、
1988年のR&Bヒット「ウー・ラ・ラ(Ooh La La)」のような
メロウなR&Bサウンドでも聴かせてくれるシンガーとして、
長くシーンで活躍してきました。
21世紀に入り、HIP-HOPからの支持を受け、
キャッシュマネーレーベルとの契約をし、
発売したアルバムが再びTop10入りするなど、
つい先日まで、ライブ活動も順調に行われていました。
1か月ほど前に、てんかんの発作をおこしたことから、
娘を呼んで、様子を見てもらっていたとのことですが、
12月26日に自宅で亡くなっていたところを発見されたそうです。
同じ時代に活躍した、プリンスファミリーのシーラ・Eと仲良しで、
今回の訃報も、シーラ・Eのツイッターなどで知ったという人も多く、
レニー・クラヴィッツも、まだデビュー前だった当時に、
彼女にお世話になり、人間的にも素晴らしい人だったと語っています。
ボク自身が50歳に近い年齢になってきたということは、
自分が若い日に聴いてきたシンガーも、どんどんと年をとっているということで、
仕方ない部分もあるのかもしれませんが、
どんどんといなくなってしまう人を惜しまなければならないのは、
残念でなりませんね。
彼らの音楽が来年以降も受け継がれていくことを願いたいと思います。
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