Hearth and Home

Hearth and Home

目指すは、人々が安心して、本来の自分に戻れる空間♪
そして、そこにいる人々から、自然と笑顔がこぼれ、愛と笑いのエネルギーがあふれ出ること・・・。

太陽がさんさん、美しい空が広がるフロリダでキネシオロジーのセラピーを一歩ずつ始めています♪

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Greatest man on the earth

http://youtu.be/R41uPoZOoqI

今日は朝から、とてもステキな動画をみることができた。
やはり、食べものと愛のエネルギーが組み合わさると、人間はとってもパワフルな栄養を与え、受け取ることができるんだな・・ってあらためて、確認できたよ。

周りの食べものに飢えている人々を同じ人間として、次々元気づけて行く彼の姿に、本当に尊敬します。

Food will give them physical nutrition.
Love will give them mental nutrition.


ならば、2つのエネルギーを合わせる行為から生み出される栄養は、どれだけパワフルに人に影響を与えることができるのかを考えたら、日々の料理も食事も、いかに大切か、感じられるよね。

心を込めて、家族に料理しよう。
心を込めて、おにぎりをにぎってみよう。
心をこめて、パンを作ってみよう。

そんな風に、まずは、日常の中で、自分の周りの人への実践してみよう・・・。
そんな思いがどんどん広がったら、地球はとってもステキに変わるねドキドキ
フロリダに来てから、ヨガを細々と続けている今日このごろ。オーランドに引っ越してきてからは、あちこちのヨガスタジオを訪ね、自分にあったスタイルを模索している。
昨日、久しぶりホットヨガ体験に行った。以前にも一週間だけトライしたことがあったのだが・・・。

少し早めにスタジオについて、手続きをして、スタジオに入る。期待通り、ムワ~~~~っと熱い!!!メラメラ 
「あれれ、前もこんなに温度高かったかな・・・。」と感じたが、まあ、慣れるだろうと、できるだけナチュラルな呼吸をしつつ、ストレッチしたり、瞑想したりして、クラスが始まるのを待っていた。
今を思えは、ちょっと早くからスタジオに入りすぎていたのかも・・・・。

クラスが始まり、インストラクターのやや元気すぎる掛け声のもと、次々とヨガのポーズをとっていく。汗がじわじわ、じわじわ噴き出してくる。普段はなかなか汗をかけないような場所からも汗か吹き出てくる。

「これ続けてたら、そうとうデトックスになるよな~」なんて考えつつ、周りのなれた人達の動きを真似ながら、ヨガを続けていく。

ビクラムヨガって、音楽をかけたりしない。聞こえてくるのは、インストラクターの指導する声とまわりの人の呼吸する息遣い、そして、部屋を暖めている暖房の音だけ。この暖房の音が聞こえる度に、自分を蒸されている感覚になった。

クラスは90分。後半の30分がとくにしんどかった。叫びなんか、久しぶりなためか、部屋が以前より熱く感じるからなのか、なんだかのぼせてきた。ヨガポーズも無理にすることはやめた。
ちょと力加減を抜きながら、呼吸に意識しながら、なんとか自分を保っている感じだった。
最後にやる呼吸方法もなかなかパワフル。そして、ようやく終わった90分。

顔もすっかりのぼせて、真っ赤になっていた。全身から出る汗で、ヨガマットに引いていたヨガタオルも絞れそうなほどビショビショ。こんなに汗かいたのはかなりひさしぶりだよ~~~あせる

スタジオを出ると、とっても涼しく感じた~。トイレに行って、顔を手を洗い、気分転換。
先生にありがとうを伝えて、スタジオを後にした。顔を洗っても、頭の脳天のほてりがまだ取れない。なんだかのぼせてるな・・・私。

家でシャワーを浴びるべく、車で帰宅中に改めて思ったこと。
「ビクラムって、めっちゃ修行系ヨガだなあ・・・」

近年、ビンヤサヨガのクラスが多かった。そして、こちらに引っ越してからはハタヨガや陰ヨガのクラスが多かった。そのためか、久々にチャレンジしたホットヨガは、なんだかとても過酷に感じてしまった。

ただでさえ、南国で暖かい(というか暑い)フロリダで、窓のない密室のスタジオを暖房でガンガン暖め、その中で汗をだらだらかきながらヨガをやる。これって、なんだか全然エコじゃないよね~~~!???
寒いNYにいた時なら、こんな環境でヨガやれて、ありがたや~と思ったことだろうけれど。
今回、ちょっと何か不自然に感じてしまった。暑い気候が必要なら、屋根のある外でやったって、十分暑いのに・・・。その方が自然の風も吹いて、気持ちよさそうだし・・・。ヨガって、本来、そうやって、自然や自分につながってやるものではないのかな・・・。

その後、帰宅して、シャワーを浴びて、体はすっきりしたの頭のほてりが全然とれない!!
頭痛もちょっとある感じだった・・・。
久々のホットヨガで、体調が崩れたんかな・・・。

そんなその日の晩、自宅からきれいな月が見えた。
「あれ、もしかして今日は満月か?」と思い、調べたらやっぱりそうだった!!!グッド!
満月の時に、たくさん汗かいて、いらないものを放出して、浄化したんだ~~~となんだか嬉しくなった。

が、しかし、頭のほてりはなかなか取れず、体温計をはかったら37.2℃。熱ちょっとあるやないの~。
ヨガやって、体調崩すわけ~~私カゼ

これも、きっと体からの何かメッセージなんだね。
よく朝、起きてもまだ頭が重い・・・。ダンナを送り出してから、また横になる・・・・。
うとうと眠りかけたときに、出てきたイメージというかメッセージが。

「みんなも汗と共にいろんな物を出しているからね・・・。」

眠りから覚めて、思った。そうか、汗だけじゃないもんな~~。90分もいろいろなエネルギーが発せられる密室で、暑さに耐えながらヨガをやってるんだ・・・。そりゃ、過酷だわ。にひひ

どんな環境でも、全然平気な自分でいられるように、今後も、心身の健康に励みたいと思います。

私達人間が命ある存在として生きている以上、「食べる」という行為は日常生活には必要なんだよね。
小さな頃から、親に食べ物を与えてもらい、気がつけば、食べることはあたりまえな行為になりつつあるけど、でもね、それを改めてもっと深く捉えてみる機会って、とても大切だと思う。

食べるという行為って、実はとってもスピリチュアルな連鎖だってことに近年、改めて気がつかせてもらった・・・。

私達人間は、命あるもの(あったもの)しか食べていけない。それらは、すべてもともと自然界に存在してきたもの・・・。

人間はどんなに発達しても、どんなに最新のものを作っても、パソコンや車などの機械をかじっては生きられない。

一人さんが、講演の中でさらりとお話していた。「人間は、どんなに発達しても、命あるものは作れない。葉っぱ一枚、この手で作れないんだよ・・・。」と。ほんとだよね・・・・。

与えられたものに感謝するって事の意味は大きいけれど、その中で、自然界という存在が浮き上がって見えた瞬間だった・・・。この自然の営みと恵みに対して、感謝するという原点を忘れてはいけないよね。その中で、生かされているんだな、私たちは・・・。

人間は、命を維持するために、自分では作り出せない、必要な栄養素を他の生き物から摂取しているんだよね。そう、命ある植物や動物たちから・・・。そして、エネルギーとしてとりこみ、命を維持している。
ならば、そのエネルギーを感謝して受け取り、私たちはそれを使い、さらに大きな世界にどんな行動を起こして、何ができるのかな・・・ということがきっと大切なんだよね。


「食べること」=「命を頂くこと」という意味について、タマちゃん先生のハートのある文章が改めて、その深い意味を教えてくれます・・・・。




【いのちをいただく】

「いただきます」って、
日本ならではの言葉なんだそうです。

だから、
この言葉を知らない外国の人は、

「いただきますって、何ですか?」
「それは、神に対する祈りですか?」

と聞いてきます。

もしもですよ、
みなさんが子どもたちに、

「なんで食べる前に『いただきます』
 って言わなきゃいけないの?」

って聞かれたとしたら、
どう答えますか?

たぶんですね、
みなさんは、

「それはね、
 命をいただく動植物、
 食料を生産してくれた人、
 そして調理してくれた人に
 感謝するためなんだよ」

って答えるんじゃないかな、
と思うんですけど、
子どもたちにその話をして、
はたして
どれくらいの子どもたちが
心から納得するでしょうか?

よく考えてみるとですよ、
子どもたちはおそらく、
似たようなことを
何回も聞いているはずなんです。

でも、残念ながら、
それが多くの子どもたちの心に
響いていないのが
現状ではないでしょうか?

それどころか、
給食指導の時間にですよ、

「ちゃんと
 いただきますを言わんね!」

「ごちそうさまは?」

「はい、合掌していない人が
 いるからやり直し!」

なんて、
つい言ってしまうことって、
ありますよね?

中学2年生の理科で、
「動物の生活と種類」という
単元がありまして、
その中で動物と植物の違いに
ついて学習します。

動物と植物の一番の違いは何か?

それはですね、

「動物は、
 食べるために
 動かなければならない。

 植物は、
 食べる必要がないので
 動かなくていい」

です。

植物は動けない、
じゃないんです。

動かなくていいんです。

なぜか?

生きていくための栄養を、
自分の力で作り出すことが
できるからです。

私たち動物には
それができません。

だから、
どうしても他の生き物を
「食べる」必要がある。

動物だろうが植物だろうが、
どんな生き物であっても、
自分の命の限り
精いっぱい生き続けたい、
そう願って生きているんだと
私は思います。

私たち動物は、
そんな他の生き物の「いのち」を
奪わなければ、
一時も生きていくことができない、
悲しい宿命を背負った
生き物なんです。

食を考えることは、
命について考えることです。

このことを、
どうやって子どもの心に
響かせるのか、
そして、
どうやって子どもの心に
火を灯していくのか、
それが、
きっとプロとしての
教師の仕事なんだろうと
思うんです。

私の心に深く残っているお話が
二つありますので、
ここでご紹介します。

一つは、
九州大学大学院助教授の
佐藤剛史先生が書いた、

「自炊男子~
 『人生で大切なこと』が見つかる物語」

 の中に出てくるお話です。

http://www.gendaishorin.co.jp/book/b89095.html

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「いただきます」「ごちそうさま」を
なぜ言わなければならないか
分かりますか?

「いただきます」の意味の一つは、
「作ってくれた人の命をいただく」
ということです。

命とは時間です。

ある人が80歳で
亡くなったとしましょう。

ということは、
80年間という時間が、
その人の命だということです。

今朝、みなさんのお母さんは、
30分かけて朝ご飯を作りました。

今日の夕食、お母さんは、
1時間かけて夕ご飯を作ります。

その朝ご飯には
お母さんの30分ぶんの命、
夕ご飯には
1時間分の命が
込められているのです。

みなさんが生まれてから
今日までの間、
お母さん、お父さんは、
自分の命の時間を使って、
みなさんを食べさせてきたのです。

そして、
これから親元を離れるまで、
ずっと、みなさんは、
お母さん、お父さんの
命の時間を食べていくわけです。

「いただきます」の意味の一つは、
「作ってくれた人の命をいただく」
ということです。

食べ物を粗末にすることは、
作ってくれた人の命を
粗末にすることです。

心を込めて、
「いただきます」「ごちそうさま」
を言いましょう。

食べ物を作ってくれた人に
感謝の気持ちを
忘れないようにしましょう。

出典:「自炊男子~
    『人生で大切なこと』が見つかる物語」
   佐藤剛史 著 / 現代書林

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そしてもう一つは、
内田産婦人科医院の
内田美智子先生が書いた、

「いのちをいただく」

という絵本のもとになったお話です。

この絵本、
ぜひともご購入いただいて
クラスの子どもたちや
ご自分のお子さんに
読み聞かせてあげてほしい、
そんな願いを込めて
ご紹介しますね。

http://shop.nishinippon.co.jp/asp/ItemFile/10000238.html

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坂本さんは、
食肉加工センターに勤めています。

(中略)

ある日、
一日の仕事を終えた坂本さんが
事務所で休んでいると、
一台のトラックが
食肉加工センターの門を
くぐってきました。

荷台には、明日、
殺される予定の牛が
積まれていました。

坂本さんが
「明日の牛ばいねぇ…」
と思って見ていると、
助手席から十歳くらいの女の子が
飛び降りてきました。

そして、
そのままトラックの荷台に
上がっていきました。

坂本さんは
「危なかねぇ…」
と思って見ていましたが、
しばらくたっても
降りてこないので、
心配になって
トラックに近づいてみました。

すると、
女の子が牛に話しかけている声が
聞こえてきました。

「みいちゃん、ごめんねぇ。
 みいちゃん、ごめんねぇ…」

「みいちゃんが肉にならんと
 お正月が来んて、
 じいちゃんの言わすけん、
 みいちゃんば売らんと
 みんなが暮らせんけん。
 ごめんねぇ。
 みいちゃん、ごめんねぇ…」

そう言いながら、
一生懸命に牛のお腹を
さすっていました。

坂本さんは
「見なきゃよかった」
と思いました。

トラックの運転席から
女の子のおじいちゃんが降りてきて、
坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、
 みいちゃんは、
 この子と一緒に育ちました。

 だけん、
 ずっとうちに置いとくつもりでした。

 ばってん、
 みいちゃんば売らんと、
 この子にお年玉も、
 クリスマスプレゼントも
 買ってやれんとです。

 明日は、どうぞ、
 よろしくお願いします」

坂本さんは、
「この仕事はやめよう。もうできん」
と思いました。

(中略)

牛舎に入ると、みいちゃんは、
他の牛がするように角を下げて、
坂本さんを威嚇するような
ポーズをとりました。

坂本さんは迷いましたが、
そっと手を出すと、
最初は威嚇していたみいちゃんも、
しだいに坂本さんの手を
くんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、

「みいちゃん、ごめんよう。
 みいちゃんが肉にならんと、
 みんなが困るけん。
 ごめんよう…」

と言うと、
みいちゃんは、
坂本さんに
首をこすり付けてきました。

(中略)

牛を殺し解体する、
その時が来ました。

坂本さんが、

「じっとしとけよ、
 みいちゃんじっとしとけよ」

と言うと、
みいちゃんは、
ちょっとも動きませんでした。

その時、
みいちゃんの大きな目から
涙がこぼれ落ちてきました。

坂本さんは、
牛が泣くのを初めて見ました。

(後略)

出典:「いのちをいただく」
    内田美智子・諸江和美 著
    西日本新聞社

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ある学校で、
保護者の一人から、

「給食費を払っているのに、
 『いただきます』と
 子どもに言わせるのはおかしい」

というクレームがあった、
との話を聞いたことがあります。

「なんという常識のない保護者なんだ!」

と片付けるのは簡単です。

でも、もしもこの保護者が、
この話を知っていたとしたら、
どうだったでしょう?

現在の食生活は、
「命をいただく」というイメージから
ずいぶん遠くなってきています。

そしてその結果、
食べ物が粗末に扱われて、
日本での一年間の食べ残し食品は、
発展途上国での、
何と3300万人分の年間食料に
相当するといいます。

私たちは
奪われた命の意味も深く考えることなく、
毎日の食事と向き合っています。

動物は、みんな自分の食べ物を
自分で獲って生きているのに、
人間だけが、
自分で直接手を汚すこともなく、
坂本さんのような方々の
思いも知らないまま、
毎日の食事を食べています。

動物だろうが植物だろうが、
どんな生き物であっても、
自分の命の限り
精いっぱい生き続けたい、
そう願って生きているんだと
私は思います。

命をいただくことに対しての「思い」。

お肉を食べて
「あ~、美味しい。ありがとう」
お野菜を食べて
「あ~、美味しい。ありがとう」

そこに生まれる思いは
どんな思いでしょう?

お肉を食べて
「うぇ~、マズッ!」
お野菜を食べて
「うぇ~、マズッ!」

そこに生まれる思いは
どんな思いでしょう?

食べ物をいただくとき、
そこに尊い命があったことを忘れずに、
その命を敬い、
感謝の言葉をかけてあげられる人に
育ちましょう。

今日もまた、
食べられることへの感謝の言葉、

「ありがとうございます。
 感謝します。
 いただきます」

食べているときの
「美味しい!」という言葉。

そして食べ終わった後の、

「あ~、美味しかった。
 ありがとうございます。
 ご馳走さまでした」

という「食べられたこと」への
感謝の言葉をかけてあげましょう。

もちろん、食べ残しをせずに。

食べ物が、
あなたの体を作ります。

あなたの体に姿を変えて、
あなたの中で生き続けます。

そして、
体の中からあなたを精いっぱい
応援してくれています。

あなたができる最高の恩返しは、
たくさんの生き物たちから
命のバトンを託された
あなたの命を、
いっぱいに輝かせること。

喜びに満ちた
人生を過ごすこと。

それが、
あなたと共に生きている
たくさんの命たちが、
いちばん喜ぶことなんです。
みんなの分まで、
命いっぱいに輝きましょう。

…これが、私が教師として、プロとして、
目の前にいる子どもたちやその保護者に
伝え続けていきたいメッセージです。