あれが欲しい

これが欲しい


欲しいものがいろいろあれど

結局のところ


平和であって欲しい


これに尽きる

それを願うのは欲深いのだろうか?

戦わずして得られるものではないのか?

戦うことでしか得られないのが

平和だとしたらそれって平和と言えるのか?


学生の頃に同じこと考えたな

人間って本当の平和ってものを

見たこと(経験したこと)がないから

戦争をしていない状態が平和

って思ってるだけなのかもって


脅かされることのない日常って

戦争が無くても難しいことは

承知している


家に鍵があるように

保険に加入したりするように

人と揉めたりしないように

とかも含めると

不安から身を守るための行為は

日常に溶け込みすぎてるけど

でも戦争ほど命がけになるレベルの話ではない

仮に今私の体の限界が来ていたとしてもそれは受け入れることが難しくはない

選択の余地はないという点で

同じだとしてもだ


平和ボケなんて言葉を初めて

耳にしたのはもうずいぶん前のこと

本当にボケるくらい平和ならいいように思うけど実際そこまでの平和を手にしているとは思えない


みんな何かに闘ってるし

自ら命をたってしまう原状を見たって

悲しい現実はいつもそばにあるのだから


それでも、学生の頃

君たちはありがたみをわかっていないと言われるたびにありがたみを感じさせるために起こしたのか?と不服な顔をした私がいたからそれを平和ボケというならそうなんだろう

もちろんありがたい気持ちはあるけど

愚かな選択しか出来なかった

知恵のない時代だったとするなら

私たちに平和ボケだとか言うより平和を創る知恵を授けてくれと願ったものだ

そんなものがあったなら

起きてないんだけど


とてつもない宿題だけが

次世代に残されたとも言える


シンプルに考えれば

原因があって結果

平和だけを願う人間だけが残れば

平和しかない世界

平和を願う欲望から逸脱しなければ

悪いワードは生まれない

っていう私の理想構想

もちろん努力は必要

未完成な人間がやることだから

でも諦めたら何も起きない起こらない



戦争で家族を失い

戦争で家族バラバラになり

戦争で貧困になり

それでも頑張って

生きた祖父母や

曽祖父母のことを忘れない

悲しい時代を生きた人たちから

直接聞いた話は今思い出しても

苦しくなるけれど

感謝に変えていまを生きることしかないと思っている



今日を

いまを


明日のために

未来のために


祈る全ての人たちに

私の祈りも重ねたい


ちっぽけでもね