違和感がありすぎるのに

擁護しているようにみえるとき


自分の理想にそのピースがはまる理由だけを優先してるようにみえるんだな


違和感という直感

もしかすると

私なりには外れたことないかも


あのワクチンも打たずに終わった

打てばよかったとは

1ミリも思ってない

誰かが言った何かというより

私の中でどうしても腑に落ちなかっただけ


20代はとくに言い寄られるというか

いろんな人がいろんな言葉で

私を惑わした

失敗とは思ってないけど

信じたがゆえ痛い勉強もしたとは思う


違和感があってもそのときは

その正体を明確に出来なかったから


そんな経験から思う

違和感は未来をそっと予想している

それでも突き進んだら

やっぱり行き止まりだとわかったとき

違和感の時点に心は戻っている

なぜあのときの自分を信じられなかったのかってね


違和感と不安って似てるときもあるけどひっかかるって感情があるのに

突き進むから不安になってるだけかも


今は経験値で違和感の正体がはっきりするまで様子をみることはしない

あぁダメだったね違ったねなんて

時間の浪費ができるほど人生残ってないと思うから


違和感


それは見えない力が

精一杯警告してるサイン


何度そんな失敗をしても

気が付かないと麻痺して

力技で生きてしまうのは

私に言わせると傲慢だと思う


それでうまくいかないならなおのこと

人は一人では生きていけないし

見えるものだけで世の中動いてないってこともいつかわかる

見えるものに裏切られ続けたら

見えないものなんてなおさら無いものになるだろうけど

逆だと思ってる

見えるものは裏切る可能性はあるけど

見えないものは裏切らない

だって違和感が外れたことがないっていう経験があるからね

異論はあるだろうけど

それが私にとって違和感になるなら

異論で左右される自分ではないな


ある人がアンチコメントが来たといって悲しそうにしてた

人によってはそれを逆手にとって

それすら利用しちゃう

ただでは起きないっていうね

コメントやレビューに一喜一憂してしまうことはあるけど

そのジャッジが全てじゃない

エキスだけでいい

そういう見方もあるのかって

直すべきがあればか改善すればいい

あまり感情的に受け止めないほうがいい

疲弊するだけだから

相手もこっちのことはわからない

こっちも相手のことはわからない

わかりあう必要があるかないか

わかりあえる余地があるかないか


石をぶつけて走って逃げるような言葉は痛いけど追いかけて行って同じように石を投げる気にはならない


私もびっくりするような反応をもらうときがあるけど

中にはそれが無かったら決断できなかったこともある

あぁ辞め時なのかとかね

なんとなくやってしまう私の性格を知ってるから知らせに来たんだなと捉えてる

ちょっとはちくっとするけど

結果すっきりしてる



今回の違和感はもう私の手を離れた


それより今の私がやるべきことを探す

少し部屋にこもりすぎた

考えることは大事だけど

運動もしなきゃね

動かないと運は掴めないよって言うもんね


経済なき道徳は寝言(虚言)

経済的なことを

まず外にでて新たな勉強をしてみることにした

ひかれる講座内容があったので申し込んだら抽選通った

怪しくないところを探して探して

違和感のないところを探して探して

2週間…

動き出せば見つかるもんだね


楽しみ