山陽道を行く旅の大きな目的は、
広島に住む 息子に逢う事でした
何とか、ナビ頼りで、息子探知にも成功(^_-)v

逢ったのは何か月ぶりだろう?

今回は妹もいたことから、

記憶の希薄なわたしが想いだせなかった、

かつての我が家にもたどり着け、

会食中には従弟たちの動向も聞きつつ、

自宅だけでは味わえない、

自分たちの「今」と「今まで」を再認識できた時間でした


共にお酒も酌み交わし、息子宅に一泊。

翌朝は、仕事へと行く息子を見送り、

わたしたちも、主要な目的を果たし、

気ままながら、220kmの大帰路へ・・・・


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広島には、今住む街ではお目にかかれない、

とうとうとした川とその岸の風景があります

風がそよぎ、木々が揺れる・・・・・・

そんな大好きな、木陰のイメージは

きっと、生まれ育ったこの街での風景のよるもの

辛く悲しい過去も持つ川です

でも、川として川らしく 多くを流し母なる海へ

だから、伝わるものがある街。

この日も「海の日」にふさわしく良く晴れ、

いい風が吹いていました


こんな日、車内はやはりこの曲・・・・・

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        空はまるで-MONKEY MAJIC-


ハンドル持つ手も軽やかです。



この旅では最後にこちらに 立ち寄りました


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呉にある、大和ミュージアム

(写真は、すぐそばの「てつのくじら」

          こと  海上自衛隊資料館)

広島市内からは クレアラインにて快適アクセス

10分の一スケールの戦艦「大和」を始め、

ここ呉で創られたタンカーなどの船の資料と

日本の近代化の歴史が 納められた

市海事歴史科学館。

ちょうど、集団的自衛権の有無について

身近で議論が盛んな時

歴史的な解釈にも、理解や反対への意思表示の

根幹となる経緯があります。

各ブース、真剣に見、耳を傾ける人が

たくさんいらっしゃいました。

ここにはその当時の資料と、事実と、

そして何にも代えがたい

経験・体験された方々の「声」が 

まだ、生きていました


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今年は、終戦から70年を迎えます

解釈はそれぞれ。それでも、事実は風化させることなく

教訓として 未来へ活かさなければ・・・・

この国の表現は、あくまでも「清く、正しく、強い」

それを、わたしは おおいなる「誇り」だと感じ、

そうした「想い」を引き継ぐ「呉」、「広島」に

また、この時期に来れて、良かったと

思ったのでした。


呉ではすでに やや日が傾きかけたため、

食事もそこそこに 食料を買い込み、東へ。

それから、同行の妹を JR在来線に送るまでは 

道なき畦道をナビを信じて行くしかない、

まるで肝試し…もう嫌な汗だく


一人の夜の高速走行は わたしには

少し、上級過ぎたかな と反省したものの、

無事に、想い出もたくさんで戻ってこれたのでした。

そして、気持ちは、早速・・・「次いつにしよう?!」

(^O^)「どこにしよう?!」なのでした